県立姫路南高等学校(兵庫)
準優勝に導いた2枚看板
姫路南高等学校 左納選手
と振り返る。チームの要は左納 悠貴、宮田 康喜の2人の右腕だ。
春に背番号1を背負っていたのが左納。
「テンポよく、コントロールもよくというピッチャー。キレがあって緩急で抑えるタイプ。調子のいい時は適度に打球が飛んで、野手もリズムよく攻撃出来るいい循環を作ってくれる」(吉本監督)
「1番は制球力。冬を越えて球の力が増してストレートで押せる場面も増えた。変化球の精度も上がって来てます」(福本 晃次捕手)
ブルペンではカーブやスライダーの逃げる球種をアウトコースに、詰まらせるシュートをインコースにと、きっちり投げ分けていた。
「春で自信ついたんで。常に試合を意識して、立ち上がりが悪いことがあるので何事も入りを大事にしたいです」と練習に励む。
春に背番号10を背負っていたのが宮田。
「だいぶ安定してきた。球速は130後半から140km/h出る。ランナーを背負ってからもバタバタしなくなった」(吉本監督)
「秋までは制球を乱すこともあったんですけど、冬にしっかり走り込んで、春は制球が安定して力強い球が低めに集まってました」(福本捕手)
ブルペンではいい球とそうでない球のバラつきはあったものの、ツボにはまった時のストレートの威力は抜群。アウトローに完璧に決まっていた。
「スタミナが無いので、走り込んでスタミナをつけたい。夏は、自分が投げる時は0点に抑えたい」と意気込む。
実力は遜色なく、どちらも先発、リリーフもこなせる文字通りの2枚看板。土日に試合が組まれ2ヶ月かけて行われる秋や春の大会と違い、夏は約2週間で全日程を消化する。連戦必至の戦いにおいて計算出来る投手を複数擁するアドバンテージは限りなく大きい。
体育がきつい、以外の環境は普通の公立校
ペッパーを行う捕手
就任9年目を迎える吉本監督だが、辞めた部員はほんの数人。真っ黒に日焼けした顔でノックバットを振る竹内コーチも吉本監督の指導を3年間受けた姫路南OB。教育実習で毎年のように野球部OBが母校に訪れることからも、吉本監督への信頼の厚さがうかがえる。
姫路南の1日は全員参加の朝練から始まる。月曜日は掃除、その他の曜日は野手はバッティングや守備練習、投手は体幹トレーニングなどに汗を流す。1時間半かけて通っている部員は毎日5時過ぎの電車に乗っている。放課後の練習時間は3~4時間。授業は月、水、金曜日が15時まで、火、木曜日は7時間授業のため16時まである。もちろんグラウンドはサッカー部や陸上部と共用のためノックでも外野フライは練習出来ず、19時半には完全下校(冬は19時)が学校の規則となっている。公立校のため100%地元の子が集まり、ボーイズリーグやシニアリーグで名を轟かせたようなスーパー1年生の出現には期待出来ない。
春の決勝で敗れた報徳学園との差について、藤森キャプテンは
「個人のスキル、打球の質が違いましたし、要所要所で勝負強さがありました」
吉本監督は
「何事もやり切らなあかんな、と。外野フライで頭4つ越されたんですけど3つは取れた。追い切らないと。練習でもやり切る、出し切るがテーマですね」
と、やりきることが大事だと感じていた。勝負の世界に「たられば」は禁物だが、もしその3つの飛球を捕れていたら・・・長打が3本減りアウトが3つ増えていれば・・・。2点差というスコアを考えれば、紙一重の差で兵庫の頂点は現実のものとなっていたかもしれない。
15ヶ所同時の打撃練習
取材で訪れたのは6時間授業の水曜日。15時過ぎから続々と部員が駆け足でグラウンドに姿を現し、学年に関係なく練習の準備を行う。この日のメニューは以下の通り
長尺バットで素振り
時間 | メニュー |
---|---|
15:30 | アップ(全員) |
16:00 | キャッチボール、守備練習(内野手) バッティング、バント練習(外野手) |
17:00 | キャッチボール、守備練習(外野手) バッティング、バント練習(内野手) |
18:00 | バッティング、バント練習(外野手) 守備練習(内野手) |
18:45 | 3キロ走、体幹トレーニング(全員) |
19:15 | ダウン、ミーティング(全員) |
投手はアップの後、キャッチボールを行いダッシュとブルペン投球。捕手はペッパーなどをこなしながら打撃練習も行う。バッティング練習はL字ネットの後ろに座った選手が山なりの緩いボールを投げ、それをフェンスに向かって打ち返すハーフバッティングと呼ばれるもの。これを3ヶ所で行う。
繰り返しになるがグラウンドを広々と使ってのフリーバッティングは出来ない。バント練習はストレートとカーブの2種類のマシンを用意しマウンド後方から一塁側、三塁側へ向けて行う。チームの方針でバントは全て一塁側に転がす。ランナーが一、二塁の場面ならサード前に転がすのがセオリーだがあくまでも一塁側を狙う。
「サードを狙って強めにバントしたのがピッチャーに捕られて失敗するというのが多かった。それだったら一塁側を狙おうと。それでアウトになったら仕方ない」
と、吉本監督はその意図を説明。実際、マシンに入れる球が無くなる頃には一塁側に設置したネット前にたくさんの球が転がっている。3ヶ所のハーフバッティングと2ヶ所のバント練習に加え、通常のティーバッティングは一、三塁側合わせれば10ヶ所で出来る。バントも打撃の一部と考えるならば、最大15ヶ所で同時に打撃練習が可能。限られたスペースと時間を最大限に生かした姫路南ならではの練習法だ。
そして、使う道具にも一工夫。細長い長尺バットで素振りを行う。手だけで振ろうとするとうまく振れず、体幹を使った体に巻きつくスイングの感覚を養うものだ。さらに、グリップから先端まで太さの変わらない一風変わったバットでも打撃練習を行う。
「先週土曜日の練習試合で長崎から来た高校が使っていたんですが、そのチームがよう打つんですよ」
その日のうちにネットで調べ注文、この日届いたばかりだという。効果としてはリストの返し、ヘッドを立てる感覚がわかる代物。初めて扱う道具を前に部員は「持ちにくいです」と本音をこぼすが、その成果は夏の大会で披露出来るか。
最後のランメニューはトレーナーと相談しながら、日によって有酸素運動系かダッシュ系を取り入れている。この日の3km走のタイムの目安は12分。75%の負荷をかけるのが狙いで、そこまで追い込む日ではなかった。
[page_break: 試行錯誤のチーム作り]試行錯誤のチーム作り
姫路南高等学校 宮田選手
「今年のチームはキャッチボールがしっかり出来るので暴投しないんです。守備に割く時間を打撃に回せるのは助かりますね。近年で1番打てるチーム。誰が何番打ってもそれなりの仕事をしてくれる。悪く言えば4番がいない」
春は日替わりオーダーに近かった。朝、学校で打撃練習をしてから試合会場へ向かっていたがその時のスイングを見て打順を決めていた。ただ打順のみならず、チーム力を最大とするための最適解を模索する日々は、新チーム結成時から始まっていた。
キャッチャーをどうしようかと思っていた時、白羽の矢が立ったのがショートを守っていた福本だった。「まさか僕が」と当時の心境を振り返った福本だが、わずか1ヵ月後には公式戦でマスクをかぶっていた。
そして、福本がショートからキャッチャーになったように、ファーストを守るキャプテンの藤森 雄也もセカンドからのコンバート。守備位置だけでなく秋と春のメンバーを比べても複数のポジションでレギュラーが入れ替わっている。「夏はある程度固定して戦いたい」と話す吉本監督、まずは初戦のオーダーに注目だ。
練習後のミーティングで吉本監督は
「3km走でコーンの内側走っとるな。これぐらいいいか、という気持ちがもろにゲームに出る。スポーツマンとして野球を通じていろんなこと学ばなあかんのに、それで勝利をつかめるのか」
と檄を飛ばす。報徳学園戦で感じたやり切る、出し切るという力の差はまだ全部員には浸透していなかったようだ。前向きにとらえるならまだまだ追い込む余地、伸び代があるということ。
「夏は守備からリズムを作ってバントや機動力を生かして1点をしっかり取りに行く野球がしたい」
という藤森キャプテンの言葉はどこまで実現出来るか。
姫路南が甲子園に出場したのは、戦後間もない1958年夏の1度だけ。第2シード権を獲得したため秋春兵庫2連覇中の報徳学園とは決勝まで当たらない。左納、宮田の2枚看板に長打力のある福本らと、戦力は充実している。
投打共に吉本監督が手応えを感じていることは間違いない。1ヵ月後、半世紀以上遠ざかる夢舞台を目指して姫路南ナインの戦いの幕が開く。
(文・小中翔太)