Column

県立海部高等学校(徳島)

2014.04.28

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正規部員9名で到達した「県大会ベスト4」の理由

守備タイムで集まる海部内野陣

 今春、27年ぶり出場のセンバツで22年ぶりとなる甲子園勝利をあげた名門・徳島池田。その復活へのターニングポイントとなった昨秋徳島県大会3位決定戦で彼らと対戦したのは、正規部員9名に中学時代の軟式野球経験者2名を臨時部員として加えた徳島県立海部高等学校である。

 けが人が1人でも出れば試合成立すら厳しい状況の中、このポジションまで進んだことも立派ならば、徳島北徳島商といった甲子園出場経験を持つ強豪を破ったことも立派。徳島池田には完敗を喫し四国大会出場は逃した海部だが、彼らの頑張りが同じ少人数に悩む他校に勇気を与えたことは間違いない。

 では、彼らはどうしてそんな「ジャイアントキリング」を起こせたのか?そこには練習、理論、探求など、様々な要素が絡み合っていた。

過去の栄光から半世紀、「逆境ナイン」で迎えた秋季県大会

 一番目立つ場所で輝くのは徳島海南高校野球部が尾崎 正司氏(現:プロゴルファー・尾崎 将司)をエースに1964(昭和39)年・初出場でつかみとった第36回センバツ優勝旗レプリカ。その周囲には後にWBCスーパーフライ級6度防衛の偉業を達成する川島 郭志氏が奪った1987(昭和62年)北海道インターハイボクシングフライ級優勝表彰盾や、男子バスケットボール部の1967(昭和42)年・第20回石川インターハイ優勝時の写真。徳島海南高校の他にも日和佐高校・宍喰商業高校の栄光がところ狭しと並ぶ。

 ここは旧・徳島海南高校の校地・校舎を引き継ぎ、2004(平成16)年4月に創設された海部高校の一角にある「三校歴史館」。合併統合された3校の貴重な資料には、かつて3校が南部地域のみならず徳島県・全国を牽引する存在だったことがうかがえる。

「この地域には身体能力が高い子どもが多いんです。野球では上田 利治さん(元阪急・日本ハム監督)、大石 友好さん(現:東北楽天)などが海部OBですし、大石さんとバッテリーを組んでいたのは尾崎 健夫(現:プロゴルファー)さん。最近でも平岡 政樹(徳島商業高→巨人→現:ジャイアンツアカデミーコーチ)は、海陽町出身ですね。
 他競技で言えば大神 雄子(女子バスケットボール)のご両親も牟岐町出身です。高校のバレーボール授業でも小学校バレーで全国大会に出ていた文化部の女の子が県ベスト4レベルのバレーをする。なかなかボールが落ちないんですよ」

 日和佐高校OBで高校野球監督暦29年目のベテラン。2011年には日本高野連から育成功労賞も受賞した就任5年目の小磯 博之監督がその理由を教えてくれた。海の幸・山の幸・そして豊富な自然で育まれる強い体。そういった地域特性に支えられ、併合後も県8強レベルの実力を堅持していた海部、しかし、少子化の影響だけはいかんともしがたく、昨年8月の新チームスタート時の人数は2年生3名・1年生6名のみとなってしまった。

「3年部員11名がいなくなる時点で、こうなることは判っていたのですが。ただ、中学校でも9名をそろえることが難しい状況下では、仕方がないです」(小磯監督)

 それでも試合はやってくる。そこで指揮官は優先順位を付けて新チームの布陣を決めた。

「まずはセンターラインをきちっとすることにしました。バッテリー、センター、二遊間。そこにはある程度能力の高い選手を置く。そのシュミレーションは旧チームの練習試合2試合目でずっとやってきて、こうなったんです。
 選手個々を見れば適材適所ではありません。前川は海陽中時代捕手ですし、仲村も海陽中時代は投手。ボールを投げられることから左翼手にしました。ただ、チームとしては適材適所だったと思います」

 

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1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番
中堅手 二塁手 三塁手 捕手 一塁手 左翼手 遊撃手 右翼手 投手
松本 忍 髙畠 庸平 篠原 風人 森 祐大 前川 大地 仲村 文優 戎谷 元気 菖蒲 利伎 上野 大成
(2年) (2年) (1年) (2年・主将) (1年) (2年) (1年) (1年) (1年)
右投左打 右投左打 右投右打 右投右打 右投左打 右投右打 右投右打 左投左打 右投右打
168センチ70キロ 171センチ60キロ 174センチ72キロ 170センチ82キロ 178センチ95キロ 168センチ63キロ 172センチ72キロ 170センチ60キロ 173センチ60キロ

* 学年表記は昨秋時点

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 8月末には新人南部ブロック大会3試合で最終テストを終え、「サイン確認をしっかりして前向きなプレーを心がけるようにして」(松本中堅手)迎えた逆境ナインの秋季大会。初戦の相手は「夏の徳島大会で開会式後の初戦で見ていて、なんとなくイメージをつかめていた」(森主将)徳島北である。

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[page_break:「三振を取りにいかない」を支える「接点・頂点」と創意工夫]

「三振を取りにいかない」を支える「接点・頂点」と創意工夫

 対戦相手を研究していたことについては後に記すが、相手以前に彼らは戦う自らの準備を着々と整えていた。

 まずは投手力。中堅手の松本も投手を兼務するものの、エース・上野の出来が生命線である海部にとって、彼のスタミナ切れは即敗戦を意味する。よって彼らは、最低3球を要する三振よりも、1球で打ち取る凡打を選択した。

「三振は全く取りに行きませんでした。森の要求通りに投げただけです」
 上野自身もそう語るように、とにかく打たせていく。
「外野手も大きなミスはしないようにする」(菖蒲右翼手)これがナインの合言葉だった。

 そこを支えているのが数年前に小磯監督が社会人野球の先輩から学んだ「接点・頂点」理論である。

「投手が投げる瞬間にサイドステップを取って=接点。打った瞬間に走り出す=頂点。空振りしたらそのまま戻る。もともとは走塁で取り入れているものなんですが、これを守備でも応用しています。
 例えばセカンドにはこう指示しているんです。『(左打者の場合)アウトコースにキャッチャーが構えた場合、思いっきり引っ張ってもセンター方向に飛ぶから、二塁キャンバス寄りにスタートを切れ。インコースにキャッチャーが構えた場合、一、二塁間にスタートを切る準備をしろ』。ですから上野には『森の構えた所に投げてくれればいい』とは言ってます。これだけは頭の中に叩き込んでいたらできることなので」

「個別ノックで練習した」(戎谷遊撃手)守備は人数が何人であろうともさび付くものではない。実際、海部守備陣はどの試合を見ても例外なく「抜けた」と思っていた内野ゴロや、外野フライを何本も正面で処理している。そこを支えているのが「接点・頂点」なのだ。

 肩を強くするトレーニングとして採り入れているソフトボール投げ

 これだけではない。海部高の練習メニューは創意工夫の玉手箱だ。アップではソフトボールを何度も叩きつけ、バウンドが背丈を越すまで繰り返す姿が。大阪教育大野球部が海陽町へキャンプに来た際に行なっていたものをそのまま採り入れたアップだが、雨天でも使えるこの基礎トレは毛細血管の活性化、しいては地肩の強化に大いに役立っている。

 キャッチボールでも軸足をキッチリ意識し、グラブを顔の前で回す形を徹底。これも「県外の公立高校に練習試合に行った際、キャッチボールの仕方やゴロの捕り方が同じチームが強いことに気付いた」指揮官の発案によるものだ。その際、投手陣は変化球を交えたキャッチボールや遠投を行なっている。

日和佐高校で監督をしていた当時、開校70周年記念試合で天理高(奈良)を招待したことがあって。その時に投手陣がこんなキャッチボールをしていたんです。ケースバッティングではストレートを低めに投げることを心がけてもらって、変化球はここで投げてもらう。そうすれば通常練習時間内でブルペン投球をしなくてもいいので」

 続いて行なわれた3人1組でのペッパーでも守備側の2人は捕球→トス→投球の動作を行い、併殺の動きと敏捷性を短い時間で染み込ませていく。

 さらにボールをトスした後、すぐに頭を後ろに向けてから打つ独特のノックも「ボールにスピンをかけて、より実戦に近いボールを捕球させるようにする」ため。約3時間の練習中にグラウンド整備をあえてしないのも、イレギュラーに対応できる守備を養うため。

 常に謙虚に、名門校や大学・社会人から学び続ける小磯 博之監督が施す観察力と応用力、そして徹底力。これがナインの能力を最大限引き出す大きな原動力となったのである。

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[page_break:コントロールタワーの配球と、選手たちの観察力で次々強豪撃破]

コントロールタワーの配球と、選手たちの観察力で次々強豪撃破

主将4番として絶対的存在感を発揮する海部・森祐大(3年)

 そんな小磯監督だが、相手投手・捕手の特徴を授けて臨んだ徳島北戦で、いや秋季大会を通じて特段な指示を行なうことは一切なかった。

 「昨秋の試合前に言ったのは『いいゲームをやって帰ろう』。あとは森に任せていました」

 「森」とは4番・主将・捕手の3役を務める森 祐大のことである。昨年、三菱自動車倉敷オーシャンズから福岡ソフトバンクドラフト2位指名を受けた森 唯斗の弟。兄を追って入学した海部で1年秋から正捕手を務める大黒柱である。

 このように全幅の信頼をおかれる森はチーム内の団結力を高めながら、徳島北攻略法をしっかりと考えていた。

 「(上野)大成は打たせて取る投手なので相手のスイングとか、打球の上がり方、肩の下がり方でどこに投げるかを決めていました」

 最初の打者は狙い通りのセカンドゴロ。三振はわずか4個。8安打を打たれながらも四球は2。バックも27アウトのうち13アウト(うち犠打2)に及んだ内野ゴロをノーエラーで支え108球で失点は1。「打順とか打力を見て位置を変えた」(仲村左翼手)外野にも破綻は見られなかった。

 打線も初回、
「接点と頂点を考えて反応を速くすることを心がけている。クイックの状況も見ていていけると思った」髙畠の三盗から「ずっと基礎的な練習をやってきた」成果が実った森のスクイズで先制。6回には暴投で決勝点を奪う。
 タイミングとポイントをしっかり心得た試合運びは「まさか勝つとは」と自分たちもビックリの初戦勝利となってついてきた。

 快進撃は続く。2回戦の阿南高専戦では仲村と松本の打順を入れ替え5対1で快勝。5番・松本、6番・戎谷、7番・前川、8番・上野、9番・菖蒲と5番以下の打順を微妙に入れ替えた準々決勝の徳島商業戦では3失策も「1回失敗しても、次のプレーに集中する」(前川)真骨頂を発揮。松本と「ランナーを返すことだけを意識した」篠原をそれぞれ3打点をマークするなど、終盤3イニングで6点を入れ10得点。「試合の中でリードを変えた」森のリードに上野・松本の2投手も応えた。

 かくして10対7でベスト4進出を果たした海部。残り2試合で「1勝」すれば…。海部としては初、旧・日和佐、旧・徳島海南、旧・宍喰商業を含めても小磯監督が女房役を務めていた1977(昭和52)年以来、36年ぶり6度目の秋季四国大会出場はすぐそこにあった。

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[page_break:「あと1つ」からの怖さ、「研究される側」の難しさ乗り越え、夏に向かう]

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9人の新入部員を迎え、18名となった海部高校野球部

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「あと1つ」からの怖さ、「研究される側」の難しさ乗り越え、夏に向かう

 準決勝の相手は新人南部ブロック大会3位決定戦で6対4と勝利した小松島。彼らにとってそれが仇になった一戦だった。4対5で迎えた二死二塁。5番・松本の打球はライト線への強烈な当たり。しかし小松島の右翼手はそこにいた。「研究する側」はいつの間にか「研究される側」になっていたのだ。

 加えてこの9回表の先頭打者、セカンドゴロでヘッドスライディングした髙畠が右親指を骨折。応急措置で6日後の3位決定戦・徳島池田戦に臨んだものの、「もし勝てても次の試合出場は無理」(小磯監督)な状況では、名西宥人にノーヒットノーランを喫する「完敗・力負け」(選手全員)も致し方なかった。

 そして春。春季県大会では南部地区のライバル校・富岡西初戦で敗れ、夏の徳島大会ノーシードスタートが決まった海部だが、「シードを取れなかった」悔しさはあれども、ナインに決して悲壮感はない。

昨秋は9人で注目を集めたからこそ、春を前に森には言いました。『自分ではなく、チームを勝たせていくようになってくれ』ということを。春は初戦で敗れましたけど、自分でセーフティーバントをするなど、チームを勝たせる意識はあったと思います」(小磯監督)

 けがも完全に癒えた髙畠も決意を秘めている。
「春は中途半端な部分があった。ここからは個人の技術をアップさせて、思い切りできるようにしたい」

「メンタルの強さが大事」(松本)
「1番として塁に出ること。セーフティーバントもできるように」(仲村)
「走塁を伸ばす」(篠原)
「マウンドで淡々と放れること。特に初回抑えられるようにしたい」(上野)

 夏へ向け、個々の課題も把握できている。

「9人でも戦える個人の力があることは昨秋わかったけれど、春はその部分に頼ってかみ合いができていなかった。もう一度団結力を持って、1人1人が何をしたらいいのか考えてやってきたいです」
 彼らを束ねる主将・森が最後にチームの指針をまとめてくれた。

 そして再び小磯監督。理想像はかつて自分が輪の中にあったあの「全員野球」である。

「今までやっていることのベースを高めていくことを前提として、夏までは気付いたことを教えあうようになることがテーマです。それを入学式の時に新2・3年生には言ってあります。理想は僕が亜細亜大4年時に新人監督・三塁コーチャーをやっていた時、ベンチ全員がボールの位置を叫ぶような野球。
 小粒でも勝ちにつなげていく。矢野 祐弘総監督(1955年~1965年・西条高(愛媛)監督<1959年夏の甲子園全国制覇>→1965年~1977年・亜大監督→1978年から1991年まで総監督。1993年6月11日・62歳で逝去)や、内田 俊雄監督(現:拓殖大監督)から教えて頂いた野球です。それができれば強豪校に夏勝つことにつながる。だから僕はこのチームを楽しみにしているんです」

 グラウンド整備後、選手のみで組まれた円陣。そっと近づくと2・3年生が1年生9名に練習試合でのサインをしっかりと教えていた。「新人戦の時の初心に帰り」(菖蒲)、「弱点を克服する」(篠原)。指揮官の意識は新入生たちにも伝承されている。

 取材日は4月11日・金曜日だった。全体練習の最後に小磯監督は初の練習試合を前にした選手たちに改めて話した。

「最後にやるのはお前らだぞ。特別なことをやらず、普通通りの繰り返しを夏につなげていこう」
「はい!」
 1・2・3年18名の大きな返事は、夏に向かって、そして初出場初優勝を成し遂げたセンバツ以来、半世紀以上遠ざかる夢舞台へ向かって続いていく。

(文・寺下 友徳

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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