都立小山台高等学校(東京)
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集中力を高めたい――。多くの野球部の選手たちから聞かれる言葉である。そのためにさまざまなトレーニングを試みたり、自分に負荷を課しながら、挑戦している選手たちも少なくない。
毎日の練習時間はわずかに1時間半。しかも、60×90mしかないグラウンドをサッカー部やラグビー部などと分けて使いながら、使用できるのは週3日だけ。それでも、今春は21世紀枠代表校として甲子園出場を果たしたのが小山台だ。
その背景には、限られた条件だからこそ、集中力を高めていくことができる秘訣があったようだ。
秋季大会では強豪校を相次いで撃破
校舎には出場を祝う垂れ幕
JR山手線の目黒駅で東急目黒線に乗り換えて2駅、武蔵小山駅で下車すると、地上に出てから徒歩わずかに15秒程度で都立小山台高校の正門にたどり着く。そこからすぐに、グラウンドを覗き見ることもできる。住宅街や商店街に隣接した都心の学校である。
交通の便の良さは言うことはないのだろうが、都心の学校の宿命ともいえるもので、グラウンドはとても思う存分に野球の練習ができるという広さではない。しかも、「進学指導特別推進校」に指定されていることもあって7時間授業が組まれており、定時制もあるということで午後5時には完全下校をしなくてはならなくなっており、グラウンドの使用時間も限られている。そんな中で成果を上げていくのには、それぞれが工夫をしていかなくてはいけない。
それでも秋季東京都大会では限られた中で、集中力を高めていった練習が功を奏した。一次ブロック予選を無難に勝ち上がると、本大会では、初戦で堀越、2回戦では早稲田実と甲子園出場実績のある強豪校に相次いで競り勝った。
終盤の粘り強さは近年の伝統にもなりつつある。少ないチャンスを生かす集中力も発揮した。さらには、3回戦では2000年夏に甲子園出場をしている日大豊山に完封勝利。堂々のベスト8進出を果たした。
準々決勝では、東海大高輪台の先制攻撃に屈する形で先制され、ついぞ追いつききれなかったが、その戦いぶりと、短い練習時間や狭いグラウンドなど限られた環境の中で工夫していく練習への取り組み方や、進学校として文武両道を貫いていく姿勢などが高く評価された。
21世紀枠代表候補として推薦され、選考委員会からの評価も高く、悲願のセンバツ甲子園初出場を果たした。都立校としても初のセンバツ出場ということになった。
日々の野球日誌で意識を高めていく
きっちり丁寧に書かれた日誌
小山台では一般にいう「部」活動のことを、旧制中等学校時代の名残を大事にして「班」活動と呼んでいるので、正式には野球班ということになる。その野球班では、限られた条件を最大限に生かす工夫の一つとして野球日誌がある。
近年、野球日誌を書くことを定番としている学校も多くなっているが、小山台の場合は、ただ単に練習で気づいたことや反省を書いて指導者に提出するというものではない。
それぞれの選手が毎日の生活の中で気づいたことを書いていくノート日誌と、日々の練習で気づいたことを書いていく班日誌という2種類のものがある。そして、班日誌を交換しながら、別の選手がまたそれを読んで感じたことや気づいたことを書いていくというスタイルなのだ。
都立小山台高等学校(東京)主将・伊藤 優輔君
それを、福嶋正信監督も随時目を通していくという形になっている。
甲子園が決まってからは、「21世紀枠の代表としての自覚を持とう。野球以外のことでも、マナーや生活態度などでも模範になれるチームだと言われるようにしていこう」というようなことを書き合っていることが多くなってきたという。
そんな野球日誌に書かれていたことを読むことと、自分が書いたことを改めて思い起こすことで、意識も高くなっていくのだという。
下級生の時から上級生のメンバーに入っていたエースで主将の伊藤 優輔君は、前のチームの時の日誌で1年上の大石 悠介君から、
「今、自分たちの代の仲間と行動を共にすることが多いけれども、同学年との付き合いも大事にした方がいい」
というようなことを書いてもらい
「それが今の自分に生きているような気がしています」と言う。
このように野球日誌によって、気付きを教えてもらうことも多いという。
都立小山台高等学校(東京)香村 洋臣君
日誌に何をどう書いていくのかということで、考えることが日常の中でも身についてくる。そして、考えることによって集中力が増していくという。それに、書いた物を他の生徒が読むということで意識も変わってくる。
「やっぱり、牽制球とかをひらがなで書いていたら、カッコつかないですからね。そういうところも意識しますよ」
と、そういった思わぬ効果もあるようだ。何をどう伝えるのかということも意識するため、場合によっては1時間くらいかかるというが、集中しているとその時間がたつのも気がつかないくらいだ。
秋季大会では4番打者として勝負強さを示していた香村 洋臣君は、「気持ちを切らさないようにということは意識していますが、短い練習時間だからこそ、集中してやっていかれるということもあると思います」と、やはり練習時間の短さやグラウンドがないことを逆に自分たちのエネルギーにしていっている。そして、「打席に入った時などに、自分が日誌に書いてきたことを思い出します。『そうだ、自分だけではなくベンチに入れなかった一緒にやってきた仲間のためにも、やらなくてはいけない』という気持ちになると、集中していくことができます」と言う。
こうした意識を作っていくことも、野球日誌で指摘しあい、意識を確認しあっているからということにもつながっているであろう。
練習時間が短いからこそ意識を集中できる
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自分たちに与えられている限られた条件という環境を、逆に利点と考える捉え方もある。
「練習はローテーションで動くことが多いですけれども、次の練習メニューへの移動なども素早くしていこうという意識になります」
と、伊藤君も言うように、練習時間が短いからこそ、集中力を高めやすいという。そのためには、行動のスピーディーさやメリハリのよさなども集中力を高めて行く要素となっている。
時間がない分、集中できる
こうしたことは、遠征試合などにも表れている。だから、現場に到着してから試合までの行動もテキパキとしており、このあたりも小山台の特徴となっている。
「全員での毎日の練習は、1時間半もないので、本気で甲子園を目指している学校の中では日本一短いのではないでしょうか。だけど、その分自分たちの練習時間を多くとることが出来るんです。つまり、野球について考える時間は日本一多く取れるということですよ」
と、福嶋監督も練習時間が少ないことを逆手にとって、「自分の時間の中で、野球について考えること」を大事にすることを進めている。
そして、そのためには毎日の生活も充実させていくのだということを強調する。
「まだ、甲子園に立つのにふさわしいチームになっているとは言えません。もっと心を磨いて、選考委員の人たちから『小山台を選んで、本当によかった』と、言ってもらえるようなチームにならなくてはいけません」
福嶋監督は、21世紀枠の代表として選ばれたからこそ、野球だけではない部分もより、しっかりとさせていかなくてはいけないということを常に口にしている。それを、選手たちにも浸透させていくことも大事な練習だ。
当たり前のことを当たり前にやる
それぞれがメニューをこなすとこんな状態
具体的なメニューの中では、狭いスペースをさらに細かく分けて、ポジション別にバント処理やマウンド周りの練習をする投手陣、ゴロ捕球やショートバウンド捕球と、とカットプレーを行う一塁手、捕球から送球を繰り返す内野陣、飛球に対する動きを確認しつつ手投げながらボールを追う感覚を確認する外野陣。そして、捕球から送球、ショートバウンドの補球などの練習を反復する捕手陣といったグループが、それぞれのスペースで考えながら工夫してメニューをこなしていく。
「試合で、一番起こりそうなことは何か、それを考えて練習しよう。それが何かを考えること、その対応を工夫することも大事だぞ」
時に福嶋監督の声がかかる。どんなケースが試合で一番多いのか、そしてそれに対処していくことが一番大切なのだということなのだが、それを選手たちがそれぞれ考えていくのだ。
タッチプレーの送球に関しても、「ベース前の50センチの高さへの送球」を強調している。
疲れてこそ真価が出るヘロヘロティー
打撃練習では、“ヘロヘロティー”と呼んでいる独特のメニューがある。
これは、1分35スイングを目標として、それを3セット行うのだが、間で20秒のもも上げを入れて、体に負荷をかけて、いわゆるヘロヘロの状態で、思い切ってスイングを繰り返していくことで、自分のスイングを体に覚え込ませていくというものだ。
それを待っている選手もティーを行っている選手と同じように、常に素振りを続けており、体を休ませない。そうした中でも、スイングはきちんと芯でボールを捉えていくことを意識するのだ。
また、トスを上げる相手も外角低め、内角高めなど位置を固定して、そのコースに合わせたスイングを行っていくのだ。こうした練習の反復も、集中力のアップにつながっていると言えそうだ。
短時間の練習だからこそ、気づいたことはすぐに修正しなくてはいけない。頭の中で考えて即実行する。
こうした行動パターンを身につけていくことで、小山台の野球スタイルが生まれていくのだ。接戦を勝ち上がってこられたというのも、ここ一番の時に、
「一瞬一瞬を大事にして、当たり前のことを当たり前にこなすようにしていこう」という姿勢からのものなのである。
ちなみに、この言葉は、2006年にエレベーター事故によって、若い命を閉じてしまった市川 大輔先輩が事故の1週間前に野球日誌に綴っていた言葉でもある。
天国から見守ってくれる先輩のためにも、小山台野球班は自分たちの野球を甲子園のグラウンドでも見せてくれることであろう。
(文・手束 仁)