目次

【目次】
[1]伝統のポジショニング    [2]60°の野球    [3]一歩目は連動から
[4]45000球の差    [5]24000分の30   

 高校野球最激戦区のひとつ、神奈川県。
 有力校が多数いるだけでなく、全体的なレベルも底上げされているこの地区で、守備の「ポジショニング」を武器に上位進出をうかがう。伝統と理論と感性に裏打ちされたオリジナリティー。その方法論を紐解く。

伝統のポジショニング

▲三塁線が大きく空いた藤嶺藤沢のポジショニング

 藤嶺藤沢の守備の特徴を一目で知りたければ、二遊間を見るのがオススメかもしれない。
 極端にいえば、セカンドとショートが1球ごとにサード側かファースト側に寄る。
 阿吽の呼吸で、同方向に見事な等間隔でスライドしていく。視野を広げると、じつはファーストもサードも、そして外野もポジションを変えていることに気づく。

 取材日はダブルヘッダーで練習試合が組まれていた。
 その2試合目、県立山北高校との対戦。3回裏山北の攻撃、一死一、二塁のシーンでのことだった。右バッターボックスには4番打者。初球ファウル、2球目ボールで迎えた3球目。

 ショートがいったんセカンドベースに牽制に入るふりをした後、ススーっと三遊間よりに大きくポジションを移動した。
ピッチャーが投じたボールは内角寄りの変化球。これを打者が強振する。強烈な打球は三遊間へ。
そこにショートがいた。まるで打球を予知していたかのように正面でボールを受け、6-4-3のダブルプレーでピンチを逃れる。ショートを守っていた神保健太選手は2年生。試合後に話を聞いた。

「あの場面、バッターは4番打者で投球のサインはインコースでした。バッターの体格と、1球目のファールのスイング、そして投球のコースから三遊間にボールが来る可能性が高いとの判断です。センターライン(二遊間)はセカンドに任せて失敗してもいいから大胆に三遊間に寄るポジショニングをしました」

まだ2年生にしてこの“読み”。いったいどうやってこの力を身につけたのか。
「練習のときから1つ上の先輩の動きを見て、なぜそこにポジションを取るのか、ずっと考えています。準備の重要さをそこで知って、あとは試合に出て行くうちにできるようになってきました」

これが、藤嶺藤沢の誇る伝統の「ポジショニング」だ。

約100年の歴史

▲藤嶺藤沢 山田光雄 元監督

 正月の箱根駅伝、復路第8区での有名ポイント「遊行寺の坂」。遊行寺の正式名称は「藤澤山無量光院 清浄光寺」と言うが、その隣に藤嶺学園藤沢高等学校はある。

 2年後には創立100周年を控える由緒ある学校だ。野球部も創部年が不詳なほど、長い歴史を持っている。野球グラウンドは校舎から少し離れた、山を切り崩したような場所にあった。バックネット裏の視察室に入ると、今年で指導歴33年になるという現同校事務長・山田光雄元監督がいた。

「私が監督に就任したのが昭和56年(1981年)。当時は“豪打藤嶺”という野球をしていてですね、10点取られても11点取ればいいんだ、という野球をしていたんです。その後、転機が訪れたのは、木本芳雄さんが監督にきた時でした。昭和60年(1985年)に甲子園に行ったときは木本さんが監督で、私は助監督だったんです。この3年半の間に得た助言、考え方が非常に参考になりました。そして、木本さんが武相高校に移られて私が再び監督を譲り受けた時、心に温めていた“極端なポジショニング”を始めたんです」

 ヒントになったのは「スローカーブをどこに打ってくるかで、相手のレベルがわかる」という言葉だったという。大半のチームは引っ張ってくる。そのとき、右バッターならライト線は打ち損じしか飛ばない。だから、引っ張りを想定した守備位置=サード~レフト線寄りにあらかじめいればいい。

「当初はバッターの軸、手首の返しや投球の球種やコースといった点までは見ていませんでした。それを年々データ蓄積をしていくことで、確率を高めていったんです」

 成果が出たのは取り組みから「7年ほどかけた」1996年夏。前述の甲子園出場以来のベスト4に勝ち残る。以来1998年夏もベスト4、2000年秋には準優勝で関東大会出場、2003年秋にも関東大会に出場している。

「決して一級品の選手がいたわけでもないし、集めていたわけでもない。でもポジショニングがハマってハマってハマッたんです」

 ポジショニングの力を実感した藤嶺藤沢は、今もその伝統を受け継いでいる。学校の入学条件も時代とともに変わり、入学を希望する選手にとってはハードルが高くなった。それでなくても高校野球界では「戦国神奈川」といわれる激戦区。全国級の有力校がひしめく。そのなか、「決して一級品の選手ではない」現有戦力でいかに勝ち進んでいくか。それを考えたとき、伝統のポジショニングの質をさらに高めることに活路を見いだしたのだ。