藤嶺学園藤沢高等学校(神奈川)
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高校野球最激戦区のひとつ、神奈川県。
有力校が多数いるだけでなく、全体的なレベルも底上げされているこの地区で、守備の「ポジショニング」を武器に上位進出をうかがう。伝統と理論と感性に裏打ちされたオリジナリティー。その方法論を紐解く。
伝統のポジショニング
▲三塁線が大きく空いた藤嶺藤沢のポジショニング
ショートがいったんセカンドベースに牽制に入るふりをした後、ススーっと三遊間よりに大きくポジションを移動した。
ピッチャーが投じたボールは内角寄りの変化球。これを打者が強振する。強烈な打球は三遊間へ。
そこにショートがいた。まるで打球を予知していたかのように正面でボールを受け、6-4-3のダブルプレーでピンチを逃れる。
ショートを守っていた神保健太選手は2年生。試合後に話を聞いた。
「あの場面、バッターは4番打者で投球のサインはインコースでした。バッターの体格と、1球目のファールのスイング、そして投球のコースから三遊間にボールが来る可能性が高いとの判断です。センターライン(二遊間)はセカンドに任せて失敗してもいいから大胆に三遊間に寄るポジショニングをしました」
まだ2年生にしてこの“読み”。いったいどうやってこの力を身につけたのか。
「練習のときから1つ上の先輩の動きを見て、なぜそこにポジションを取るのか、ずっと考えています。準備の重要さをそこで知って、あとは試合に出て行くうちにできるようになってきました」
これが、藤嶺藤沢の誇る伝統の「ポジショニング」だ。
約100年の歴史
▲藤嶺藤沢 山田光雄 元監督
正月の箱根駅伝、復路第8区での有名ポイント「遊行寺の坂」。遊行寺の正式名称は「藤澤山無量光院 清浄光寺」と言うが、その隣に藤嶺学園藤沢高等学校はある。
2年後には創立100周年を控える由緒ある学校だ。野球部も創部年が不詳なほど、長い歴史を持っている。野球グラウンドは校舎から少し離れた、山を切り崩したような場所にあった。バックネット裏の視察室に入ると、今年で指導歴33年になるという現同校事務長・山田光雄元監督がいた。
「私が監督に就任したのが昭和56年(1981年)。当時は“豪打藤嶺”という野球をしていてですね、10点取られても11点取ればいいんだ、という野球をしていたんです。その後、転機が訪れたのは、木本芳雄さんが監督にきた時でした。昭和60年(1985年)に甲子園に行ったときは木本さんが監督で、私は助監督だったんです。この3年半の間に得た助言、考え方が非常に参考になりました。そして、木本さんが武相高校に移られて私が再び監督を譲り受けた時、心に温めていた“極端なポジショニング”を始めたんです」
ヒントになったのは「スローカーブをどこに打ってくるかで、相手のレベルがわかる」という言葉だったという。大半のチームは引っ張ってくる。そのとき、右バッターならライト線は打ち損じしか飛ばない。だから、引っ張りを想定した守備位置=サード~レフト線寄りにあらかじめいればいい。
「当初はバッターの軸、手首の返しや投球の球種やコースといった点までは見ていませんでした。それを年々データ蓄積をしていくことで、確率を高めていったんです」
成果が出たのは取り組みから「7年ほどかけた」1996年夏。前述の甲子園出場以来のベスト4に勝ち残る。以来1998年夏もベスト4、2000年秋には準優勝で関東大会出場、2003年秋にも関東大会に出場している。
「決して一級品の選手がいたわけでもないし、集めていたわけでもない。でもポジショニングがハマってハマってハマッたんです」
ポジショニングの力を実感した藤嶺藤沢は、今もその伝統を受け継いでいる。学校の入学条件も時代とともに変わり、入学を希望する選手にとってはハードルが高くなった。それでなくても高校野球界では「戦国神奈川」といわれる激戦区。全国級の有力校がひしめく。そのなか、「決して一級品の選手ではない」現有戦力でいかに勝ち進んでいくか。それを考えたとき、伝統のポジショニングの質をさらに高めることに活路を見いだしたのだ。
[page_break:60°の野球]60°の野球
▲60°のポジショニングの一例「右方向の打球」
2005年から指揮をとる楢原正行監督は、同校OB。山田元監督が就任一年目の1981年度のチームでは、副キャプテンだった。「私のときより進化させようとしている」と山田前監督も期待を寄せる藤嶺藤沢のポジショニング、その“現在”に踏み込んでみる。
「野球は三振であろうと、フェンス手前で捕球しようとアウトはアウトですよね。もしチームに三振がバッタバッタ取れるピッチャーがいなければ、どう戦うか。打球が飛んでくるところに守っていればいい。そのための“洞察力”を身につけてもらいたいというのがうちの守備のテーマです」
「60°の野球をやろう」とよく言っているという。
野球は、ホームベースを起点とした90°に広がるフェアゾーンの中でプレーが行われる。そのうち、あらゆる分析をほどこして打球が来る可能性の低い30°のゾーンは捨て、残りの60°のゾーンに守備を固める。大雑把に区分すると、ファースト寄り、サード寄り、中寄りの3パターンが中心だ。たとえばファースト寄りにシフトした場合、サードはショートの位置、ショートはセカンドベース上に位置取るほど大胆な形をとることも珍しくない。
「相手バッターのボールの見逃し方、ファウルの行方、スイングのタイミングや打つポイントで打球のコースを、さらに体格やフォームから打球の奥行きが見えてきます。逆に味方ピッチャーのコントロール、カウント、疲労度などからも打球が飛んでくるゾーンは割り出せる。例えばボール先行であれば、次の投球は甘めになる可能性が高い。その時は外野は下がり内野は引っ張りに備える。逆に追い込んでいればバッターは変化球にも対応しようとするため、当ててくる。少なくともバッティングポイントを前にすることはない。その時は、引きつけに備えるんです。よく我々の大胆な守備位置を見て“ギャンブル”という人がいますが、その逆で、より確実性を求めた根拠のある守備位置なんです」
もっとも、話は単純ではない。上記の分析に加え球場の形やその日の天候、風なども考慮に入れなければならない。内野と外野でポジショニングが逆になるケースもあるという。つまり、「この時はこう守れ」というマニュアルは存在しないのだ。
「でも、細かく分析していくとこれが結構当たるんです。ただし、指示もしますが、ほとんどは選手の“感性”にまかせています。たまに逆をつかれることもありますが、それはもうしょうがないと割り切るしかない。それよりも守備がハマったときの成功体験を大事にします」。
[page_break:一歩目は連動から]一歩目は連動から
▲藤嶺藤沢 キャプテン・千田冴京選手
実際にポジショニングを実践している選手に話を聞いた。キャプテン・千田冴京選手(3年)。守ってはショート、打っては3番の主軸だ。冒頭で紹介した神保選手が見ていたという「一つ上の先輩の動き」とは、この千田選手のことだ。
「入学した1年の春からポジショニングは学んでます。最初は不安なのですが、先輩方にまざってやっていくうちに身についていきました。試合に出ていなくても、ベンチで考えるで身につきます。僕の場合は、2年生夏の大会前ぐらいに試合が増えていく中で、自分のポジショニングがハマっていく実感がありました。自信になると大胆さも出てくるんです」
守備力強化を掲げる高校は多いはずだ。藤嶺藤沢と同じようにポジショニングに目をつける高校も少なくないだろう。そこで求められるのは選手の「感性」。しかし、どう感性を養っていけばいいのか、その具体的プロセスがわからず悩む人がほとんどではないだろうか。
「最初はどの選手も、こんなに大胆なポジショニングをしていいのかと思うらしいです。でも、一度ポジショニングがハマった成功体験を得ると実感するんです。10回に1回でもいいから、まず成功することが重要。すると日々の取り組み方も変わってきます」
日々取り組み続けている楢原監督の言葉は重い。というわけで、監督の言葉で実際の具体的な取り組みを見てみよう。
■連動する
「どのチームにも“感性”があったり“勘”がいい選手は絶対にいる。まずはその選手のポジショニングをマネるんです。何度も繰り返すうち、なにかしらの意図が見えてくるようになる。そこからまず基本を作り上げるのです」
■実戦で養う
「感性を養ううえでもっとも効果的なのが実戦です。ですから藤嶺藤沢はA、B両チームで年間150試合ほど練習試合を行います。重要なのは試合に出てなくても感性は育つということ。ベンチからでも打者や打球を見てそこに飛んだ理由を考えたり、次の打球を予測して自分だったらどこに守るかシミュレーションすることもできます」
■観察する習慣を根付かせる
「連動で基本を知り、試合で試す、そして一度でも成功体験があればよりモノにしようと観察するようになります。うちでは打撃練習のときも守備はつくのですが、そういった練習のときから打者、そして投手も観察してます。そこで試行錯誤を繰り返し、また実戦で試すことでポジショニングの確率を高めていく。最終的には観察する習慣が洞察力や推測力を上げてくれます」
練習試合中、実際に新1年生約40人は、イニングごとにレフト後方やセンター後方に陣取り、部長からポジショニングを叩き込まれていた。2試合目には1年生全員でスコアブックをつけることで、投球と打球の関連性を考えさせられていた。同じ試合観戦、記録係でも「ポジショニング」というテーマを与えられているかいないかで、その意味と効果は大きく違ってくる。入学直後からすでに「感性の教育」は始まっているのだ。
45000球の差
▲藤嶺藤沢 楢原正行監督
日々の練習から感性を養い質を高めていくことで、ポジショニングの確率は確実に高まっていくという。現に県内の強豪と、これまで幾多の名勝負を繰り広げてきた。
「2007年夏の5回戦、横浜との試合は延長で敗れました(4対5)。最後はライトが太陽を目に入れて落球してしまったのですが、一方であの試合はポジショニングがことごとくハマりましたね。スタンドがどよめいてました。その翌年の2回戦、平塚学園戦(2対1で勝利)もハマった印象が強く残ってます」(楢原監督)
ハマれば強豪とも互角に戦えることは、これまでの戦績が実証してくれている。こう聞くとぜひ一度、藤嶺藤沢野球を体感してみたくなる。だが、実際にやろうとして、でも足踏みしてしまう人も多いのではないか。なぜなら“感性”とは、必ず伸びるとは限らない、非常に曖昧な対象だからだ。選手への要求も必然的に高くなる。
しかし、こういう見方もできる。1試合に守っていて打球が飛ぶのは、だいたい20~40回だろう。間をとって1試合平均30とする。藤嶺藤沢の場合、年間150試合を行っているから1年で約4500の守備機会があることになる。自チームが同様に打つと仮定すると、年間で約4500回×2(相手&自チーム)=約9000回ぶんの打球経験を得られる。
さらに、1試合でピッチャーが投げる球数は100~200球ぐらい。間をとって1試合平均150とする。同様に計算すると藤嶺藤沢は1年で約22500球投げる。相手チームも同様に投げるとすると、年間で約22500球×2(相手&自チーム)=約45000球ぶんの投球経験を得られる。この経験を単に見過ごしてしまうか、観察して過ごすか。さらに日々の練習での観察意識まで含めると……
「我々のようなポジショニングにトライする学校もありますし、マネする学校もあります。でも、テーマを持って日頃から取り組まないと、いきあたりばったりでは身につきません。
野球で打球が飛んだ。その場所に飛んだということには、必ずなにか要因があるんです。その要因をとにかく考えろ、と選手たちにはいつも言ってます。まずは打たれた後にいつも考えろと。それを続けていると打つ前に考えることができるようになる。投球も見るようになる。“突き詰めて考えること”。そこには必ず理由があるんですから」
楢原監督のこの言葉を忠実に実行すると、1年で9000回、45000球分、考えることになる。それを2年半続ければ、考えている選手と考えていない選手の間に大きな差が生まれるのは、至極当然といえるだろう。
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藤嶺藤沢の「ポジショニング」は、決して伝えきることはできない。観察する方法を教えたり、考え方を提示することはできるが、最終的には選手本人が気づけるかどうか、に成果はゆだねられるのだ。
指導側からすれば、選手が自ら動いてくれることを信じるしかない。そこには指導者と選手の“信頼関係”がなければならない。
練習試合の合間に行われたミーティングを見させてもらった。チームは春季大会初戦で古豪の法政二高と対戦した。9回まで勝っていながら追いつかれ、延長で敗れるという痛恨の試合(8対9)を経験したばかり。楢原監督はその試合を引き合いに出し、選手たちを刺激しながら自分の言葉を伝えていく。このあたりの人心掌握術はさすがだ。
気づかされたのは、ことあるごとに選手たちに問いかけるということだ。問われると選手たちの手がサッと挙がる。常にこのスタイルでミーティングを行っていることがわかる。しかし、なかなか監督の頭にある答えにたどりつける選手はいない。それでも辛抱強く、選手たちに問いかける。選手たち自身に気づいてほしいのだ。
▲楢原監督から熱いメッセージが飛ぶミーティング
そしてミーティングの最後、監督が突然「何分の何だ?」と聞いた。意味がわからず選手たちが互いの顔を見合わせる。
答えは「24000分の30」ということだった。何の数字かというと、今17~18歳の3年生たちが80歳超まで生きるとして、残りの人生は約24000日。そのうち、最後の夏のメンバーに入れるかどうかが決定するまで、あと残り30日ほど。メンバーに入れなかったら、一生のうち高校野球に燃えられるのはあと30日しかない。だったら、たかが30日、されど30日、悔いのないように完全燃焼すべく、日々を大切に過ごしていこう、というメッセージだ。じつはこの話を前日のミーティングでしていたという。監督にとっては選手の頭に焼き付けてほしい話だったが、残念ながら覚えている選手はいなかった。
「ミーティングは増やしてるんですが、なかなかストレートにこちらの意図は伝わりませんね。でもね、我慢強く何度も丁寧に伝えていると、伝わるんですよ」
そういって目を細める楢原監督。藤嶺藤沢の伝統「ポジショニング」にオリジナリティーがもたらされているのは、この「親父の眼差し」があればこそなのかもしれない。
(文=伊藤亮)