京都翔英高等学校(京都)
[pc]
[/pc]
2012年秋。京都翔英は京都大会を初めて制し、初出場の近畿大会でも見事に優勝を果たした。今月25日に行われた第85回記念選抜高校野球大会の選考委員会で、念願の甲子園初出場の便りが届いた。
太田弘昭監督が指揮を執って6年。同校躍進への背景には何があったのか?秋の戦いぶりを踏まえながら、お話しを伺った。
近畿大会初優勝の背景に
「まさかという感じでしたね」
太田監督は、新チーム結成時からの秋の戦いぶりを振り返ってこう表現する。
▲榎本和輝選手・山口翔悟バッテリー
7月下旬に新チームを立ち上げた際、指揮官は経験豊富な榎本と山口の二人をうぬぼれさせないようなチーム作りを考えたと話す。
「バッテリーと3番4番でこいつらが中心になるのは間違いない。周りが、榎本、山口はやっぱりすごいなという形ではなくて、逆にあいつらが目立たないようなチームにならないといけないと思いました」
そこから始まったのが、チームの責任者を6人置くこと。
主将となった山口、副主将に榎本と1番打者の小谷実希也を据え、さらに田中鳳真、上田拓也、後藤晃の3人を増やして6人に役職を持たせた。選手たちは、「榎本がおらん(投げない)から負けたと言わせるか」という雰囲気に変わっていったという。
練習試合では、夏休みの8月に、約40試合をこなした。試合後には反復的な練習を行い、徐々に戦う集団ができてきた。
▲京都翔英の投手陣
苦しんでいた投手陣も、秋の府大会3戦目で初先発した八木剣奨が台頭。府大会後半(二次戦)では3試合に先発し、チームのエースナンバーである『18』を背負った。
なぜ、京都翔英では18番がエースナンバーかというと、メンバーとメンバー外、全ての気持ちを背負うことから、この数字がエースがつける背番号となっているという。
そして、近畿大会では大黒柱の榎本が投手として復活。
「榎本は、京都の準々決勝ではもう投げられる状態だったが、無理はさせなかった。(近畿1回戦の)神戸国際大附戦の一週間前に、東邦との練習試合で久々の登板。その時に近畿はお前が先発だと告げました」と明かした指揮官。
近畿大会では、榎本はチームの期待に応えて好投した。バッテリーに頼らないチームを目指してきたバックも、復活したエースを支えた。
『どっしり、粘って』上りつめた近畿の頂点。続く明治神宮大会では1回戦で北照に逆転負けを喫したが、充実した冬を迎えることができた。
多くの情報を噛み砕く高い力を武器に
▲指導中の太田弘昭監督
京都翔英の今秋の勝ち上がりを支えた戦略の一つに『情報重視の野球』がある。
実際に対戦相手を見た印象や映像など、対戦相手の情報を事前にいくつも準備し、その試合に対するイメージを膨らませていく。近畿大会1回戦の神戸国際大附戦、3回裏に、3ボール0ストライクから相手が仕掛けたスクイズを冷静に封じることができたのも、相手が仕掛ける攻撃をしっかりとイメージして準備できていたからこそのものだった。
昨今、対戦相手チームのデータ分析は、全国の大部分のチームがやるようになった。そこで大事なことは、そこで得た情報をどう生かすか?ということである。
京都翔英では、首脳陣だけでなく、選手自身もそれぞれで分析した情報を持ち寄って引き出しを膨らませている。上から下への指令系統だけではなく、下から上、さらには横にも指令系統があると言える。
太田監督や選手の話によれば、まず、指揮官自らが選手に情報を伝える。ここで大事なのは、選手それぞれが、それをノートに書き写して理解すること。そこから選手それぞれが感じて、得た情報を追加する。その事柄を練習の中で何度も応用していくのだ。
また、京都翔英では、情報収集に付随して、他チームの良い部分は取り入れていこうという思いがある。
「正直言うと、うちのチームには、“これ”というものは敢えて作っていないんです。一つのことに固執することで負けてほしくないので、色々な要素を取り入れるようにしています」と太田監督は話す。
太田監督の出身である亜細亜大の野球や、松山商を指揮していた窪田欣也元監督の『細かいサインプレー』などといったスタイルも取り入れた。
「私は色んな良い所をマネするのが好きなんです。昨秋には大阪の府立校と練習試合した際に、初めて見るようなすごく変わった牽制をしていた。すぐに相手の監督さんに『これ取り入れさせてもらいます』と言いました」と笑って話す太田監督。
▲グラウンドに飾られた「翔魂」の文字
昨秋の明治神宮大会では開幕戦で敗れたが、太田監督はエースの榎本、主将の山口らとともに次の日も東京に残ってゲームを観戦していた。他の各地区の優勝チームや、大学野球も間近で見ることで、多くのことを得ることが出来たという。
「榎本なんかは、(明治神宮大会から)帰ってきてから変わりましたね」
当の榎本は、「亜細亜の東浜巨さん(現福岡ソフトバンク)のコントロールの良さがすごかった。それに亜細亜大のキビキビした所を実際に目の前で見ると自分たちはまだまだだと実感しました」と感想を語ってくれた。
多くの情報を得ながらも、日頃の習慣から、自分たちに必要なものをかぎ分けて、それをすぐに実戦できる力が京都翔英ナインにはある。柔軟に、貪欲に。これが彼らの強さなのだ。
2011年に完成した野球部のグラウンドは、京都府宇治市にある京都翔英高校から少し離れた場所にある。宇治駅から車で約10分強。山を登り、天ケ瀬ダムの近くにあるのが京都翔英のグラウンドだ。街並みが一望できる高さにあり、天気の良い日では大阪の『ミナミ』の方まで見渡せる。
『京都翔英激場』と看板が掲げられるこのグラウンドで、秋の近畿大会王者は、初のセンバツ大会に向けてさらなる高みを目指し、今日も練習に励む。
ミニコラム:勝利の影にマネージャーの存在も
[pc]
[/pc]
チームの中で花形の存在が主将や副主将であるなら、“根っ子”の存在がマネージャーだ。現チームでは、2年生の杉村悠斗がその役割を担っている。
「真面目な子」と指揮官が評すマネージャーは、普段は練習に加わりながら、来客時等は即座に行動して応対をする。また遠征時ではチームのバスではなく、指揮官が運転する車で行動を共にしているそうだ。マネージャーになった時は少しとまどったという杉村だが、「チームの中で重要な役割」と捉えている。
「一つ上マネージャーだった栁智哉さんは、ノックも打てて、守備練習もできて、すごい方だった。自分も目指したい」と話す杉村マネージャーは、練習中も常に手帳を持ち歩いている。この中には、監督からの指示や、気づいたことを書き込んでいるそうだ。
ただ、「栁さんは、手帳を持ち歩いていなかった。自分はまだまだです」とも話した。新チーム結成から夏まで一年間。選手だけでなく、マネージャーの成長も、このチームの勝利の鍵を握る。