Column

熊本県立済々黌高等学校(熊本)

2012.12.18

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帰ってきた古豪

 「私が甲子園に出場した年の熊本大会決勝。最後のアウトはキャッチャーへのファウルフライでした。私はそこで初めて『甲子園』がちらつき、マスクを投げ捨てた時には、落ちてくる球がふたつに見えました。ちょうど対戦相手の熊本工ベンチ前。スタンドからは『落とせ!』、『落とせ!』という悲鳴のような声が飛び交っていました。そして自分はどっちを捕ればいいのだろうと思いながら、手を伸ばした方に球が落ちてきてくれた。甲子園出場とは、それぐらいのプレッシャーが掛かるものなんですよ」
 済々黌が1990年の選手権大会に出場した際のレギュラー捕手が、当時2年生の池田満頼だ。現在の済々黌・池田監督である。

 甲子園での初戦。花巻東とのゲームで、池田は初球に直球を要求している。池田は右田淳の投じたなんでもないストライクボールを、捕球することすらできなかった。また、先頭打者を遊ゴロに打ち取ったものの、なんでもない送球を一塁手の松本琢磨が落球。“緊張感”ではなく“高揚感”に浮き足立つ済々黌ナイン。

末次義久(済々黌・元監督)

 その夏から、22年が経った。この間の熊本県といえば、熊本工が安定的な強さを維持し、九州学院が強打でこれに双璧をなすという時代である。さらに城北秀岳館などが入れ替わり立ち代りで食い込んではいるが、九州初のセンバツ優勝校でもある古豪は、1994年の選手権に一度出場しているのみだ。
 聖地から遠ざかった済々黌は、2001年に池田監督が就任。甲子園出場経験があり、慶応大で野球を学んだ池田監督を「間違いない」と推薦したのは末次義久・済々黌元監督だった。1958年の第30回センバツ大会で優勝した際の主将で、紫紺の大優勝旗を握り締めて初めて関門海峡を渡ったその人である。

「学校教員だと転勤があって、チームが成長したところで指導者は交替してしまう。それでは困る。しかし、外部の監督となると、これもなかなか難しい。そこに池田の存在があった」

 当時、大学を卒業して熊本の肥後銀行に勤務し、軟式部でプレーしていた池田監督は、恩師からの要請を受諾。さぞや苦悩の末の決断だったに違いない。しかし、池田監督本人は「安請け合い程度のふたつ返事だった」と振り返っている。

「いやいや、自分はいいっスよ」
「いや、銀行を辞めてこい」(末次元監督)
「そうですか」

 そんな会話の中で、監督就任は決定した。「ちょっと考えさせてください」という時間もなかったという。その1ヶ月後に勤務先の銀行を退職し、チームに合流し、名門復活に向けての指導を本格化させたわけである。

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徹底=済々黌野球

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 「もちろん重圧は毎年感じていますよ。ただ、それが年数を重ねるごとに増えていくということはなかったです」

 池田監督はOBの声や周囲の期待に対して、それが重荷にならないよう、巧みにプレッシャーをかわし続けた。しかし、済々黌の監督経験者として、池田監督の苦悩を代弁してくれたのは末次元監督だった。

「18年ぶりというのは、ちょっと長かったですね。済々黌の監督が受けるプレッシャー? それはありますよ。済々黌は10年に一度、甲子園に行ければいいなと私は思っていました。今の池田監督が12年目。やっぱり12年も出ていないと、何かと大変なんです。しょっちゅういろんな人間が来ているし、みなさん野球への関心は非常に強い。昭和20年代に出場した時の同級生も元気で、みなさん野球をよく知っている。だから、直接言われなくとも、人づてにいろんなことが耳に入ってくる」

 末次元監督によると、池田現監督は姑息(こそく)なことを嫌う性格なのだという。末次監督が「うちのチームにはこういう作戦がいいのではないか」とアドバイスを与えても、池田監督はなかなか首を縦に振ることがなかった。そんな中で、たいていの若手監督が経験する躓(つまづ)きを繰り返していくのだった。

「投手は三振を取り、打者は本塁打を打つ。どの監督も、そういうチームが理想ですよね。でも、それができないからバントをし、盗塁をし、いろんな手を打たないといけない。そのへんが、監督になってくると分かってくるんですよ。たしかにウチのような野球に長打力が加われば鬼に金棒だと思う。ところが、そうもいかない。それが通用しないということを知るのです。ウチはウチの野球を徹底しないといけない。となれば、選手の力量や環境を考えた時に、自然と作戦がセコくなってくるのは仕方がないこと。それが最近、分かってきたのかな」(末次元監督)

 池田監督もそのことは重々自覚している様子だ。今夏、熊本の大本命を下して甲子園に漕ぎ着けることができた最大の要因は「割り切り」だと言うのである。

▲済々黌・試合中のMTG風景

「たとえば昨秋の九州大会の予選では野球が甘かった。九州学院大塚 尚仁くん対策が万全ではなく、ただ平々凡々と回が進み、無策の野球をしてしまいました。逆にこの夏は“1か10か”という腹を括った野球ができた。何かを捨てて、何かを取るということに徹底できた。その点、気は楽でした。たとえば大塚くんのスライダーだったら三振しても仕方がない、というように、何かを捨て去ることも必要だったのです。そう、この1年で一番学んだことは“捨てる勇気”だったかもしれません」(池田監督)

 極端に言えば、ある選手にはバントの練習しかさせない。逆方向へのゴロ打ちしか練習させない。また、それ以上を求めない。徹底した練習の中で、各選手には役割を徹底させていく。主将としてチームを率いた西口貴大は、次のように語っている。

 「例年に比べたらパワーがあったかなと思いますが、ウチ本来の野球とは相手のミスを突く、内野ゴロで1点を奪う、守備を高めて攻撃に活かす。とにかくその点は徹底している。済々黌の野球とは、徹底した野球。そこは一貫して変わっていないと思う」

 OBの元監督、現監督。そして、現役選手。そのいずれもが「徹底する野球こそが済々黌」と言い切るのだから、18年間も甲子園出場が実現せずとも、伝統は脈々と継承されていたことになる。末次元監督が言う。
「今、選手たちは練習が面白くないと感じるかもしれません。勝つための練習を徹底的にしているだけですから」

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[page_break:済々黌のスイングゴー]

済々黌のスイングゴー

 「たしかに私たちの時代も、他と比べるとみんなで考えながら野球をしていたかもしれない。攻撃の方は今ほどではなかったとしても、守備はいろいろ考えながらやっていました。私も体がない選手だったから、高校時代も早大時代も、いろんなことを考えましたね。たとえば、高校時代から研究したのはゲッツーの取り方。グラブのポケットではなく、外側に当てて落とした方が速いのではないかとか、タッチの仕方とかを、遊撃手として真剣に考えていましたよ」

と語る末次元監督が32歳で済々黌の監督に就任した当時、工夫を重ねて見出した戦術が走者を三塁に置いてのエンドランだった。
「打者には『バットを振れよ。そのかわり、横に振ると走者に当たるから、上に向かって振り上げろ』と言っていましたね。5、6回ほど決まったかな。当時はそれぐらいマークも甘かったんですよ。昔はホームスチールだって面白いように決まっていた。投手は二死になれば、三塁に走者がいても目もくれない。そこを突くわけです」

 三塁走者とのエンドランは池田監督の手によってさらに進化を遂げ、熊本県下では初となる、ある作戦へと進化していくのだった。解説を加えてくれたのは、西口前主将である。

▲安藤太一(済々黌)

「一般的にはゴロゴーと言われていますが、済々黌ではあくまで“スイングゴー”です。ゴロゴーよりもワンランク上で、2ストライクのカウントで打者は必ず叩く。走者は打者がスイングの始動を始めた段階でスタートを切る。走者は本当に難しい判断を求められます。打者はストライクだけを振るので、配球的にもそこを読めていないと成功はしないのです。そういう細かい練習は、いつもしていました」

 甲子園初戦、鳴門戦での先制得点も、まさにこのスイングゴーによって挙げている。一死三塁、1ボール2ストライクという絶好の場面だった。

 さらに7回。遊直、一塁転送による併殺完成前に三塁走者が本塁を踏み、『野球規則7・10、アピールアウトに関する項』の条文により、この得点を認めさせてしまったプレーがあった。翌日の新聞や大会後の雑誌などで「ドカベンプレー」として大々的に取り上げられた伝説の得点シーンも、じつはスイングゴーのサインだった。つまり、打者はボテボテのゴロを打たなければならなかった場面で、会心のライナーを放ってしまったのである。結果オーライではあったが、形としては怪我の功名ともいうべきプレーだったのだ。

 しかし、このプレーをじっくり解剖してみても、済々黌の徹底ぶりがいくつか見て取れるから面白い。
まず打者は先述のように詰まったゴロを打たなければいけなかった。そのために、普段からわざわざバットの根元にあてて、どん詰まりのゴロを打つための打撃練習を行なっているのである。そして、この時の一塁走者は捕球した遊撃手に一塁転送を促すために、大きく飛び出しておきながら、緩慢(かんまん)に一塁へ帰塁する仕草を取っている。これも日常の練習の中で植えつけられていた“意識”レベルのプレーだ。
 繰り返すが、このプレーは決してアピールプレーを狙ったトリックではなく、あくまでスイングゴーでの得点を狙ったものである。何より、ベンチにいるすべての選手が「野球規則7・10」を熟知していたことが、済々黌野球部の凄みといっていいだろう。

 済々黌の「考える野球」とは、いったいどのように作り出されていくのか。

「内野のダイヤモンドの中だけで点が取れるチームこそが本当に強いと思う」

 と語る、甲子園で4番を打った山下祐生が、その一端を明かしてくれた。

「紅白戦のようにチームを二手に別け、点を取るためのシミュレーションゲームをするのです。攻撃側のチームが考えたアイディアをノッカーに伝え、希望する打球を希望する場所に飛ばしてもらう。こうやって、トリックプレーを作り出す(工夫して得点を重ねる)ための練習をしているのです。自分たちが工夫してきたことを出し切ったのですから、甲子園は最高に楽しかったです」

[page_break:作戦なんてファッションの流行のようなもの]

作戦なんてファッションの流行のようなもの

 「時代によって違いますが、普段からああだ、こうだを考えているので、数々の作戦は熊本ではいつもウチが先に打ち出してきたという自負がある。ゴロゴーも、最初に仕掛けた時には、相手の二塁手がエラーをしました。まさか三塁走者が走るとは思っていなかったのでしょう。ところが、翌年にはウチが熊本工にそれをやられましたけどね」

 と語る末次元監督の目の前で、選手たちはライン上にバントを転がす練習を黙々と繰り返している。熊本県でもっとも伝統があり、先進的な野球を進めてきたのが済々黌。彼らは今後、さらに驚きの一手を投じてくるのか。

大竹 耕太郎(済々黌)

「作戦が変われば、配球も変わる。新しい作戦をどこが一番先に取り入れてくるのか。そして、それが決まった時点で、それはもう作戦にはなりません。たとえば、昔は無死一塁でバントエンドランをかけて三塁まで進める。ところがここ10年で、その作戦を取るチームがなくなってきた。裏を返せば、相手もそれに対する備えをしていないものだから、実際にサインを出せば成功するわけですよ。だって“まずないだろう”と思って練習していないんだもん。だから、作戦もファッションの流行と一緒で、10年周期で変わっていくんです。今後ですか? 三塁走者の時にクソボールを打たせるみたいな作戦も出てくるかもしれないですよね」

 夏の終えた済々黌は、甲子園を経験している左腕エース・大竹 耕太郎が最速140キロの直球を手に入れた。安定感も格段に増し、まずは来春センバツへの出場を確実にしている。2季連続の甲子園出場は、済々黌復活へのきっかけに過ぎない。
「今思えば、自分たちの現役時代は全国制覇を目指さなかったことが後々の後悔になりました。力があるとかないとかは関係ない。せっかく出場するのであれば“志”を高く持っていかないと。“出ることに意義がある”というつもりで行ったら、必ず後悔する。生徒たちにそんな悔しさを味わせたくないのです」

 という池田監督は、どのような秘策を引っ提げて春の聖地に帰ってくるのだろうか。今後も済々黌を相手にするチームは、一瞬たりとも気を抜くことはできない。

(文=加来 慶祐

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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