県立松陽高等学校(鹿児島)
二度の大逆転劇で創部初のベスト4
“松陽高校(鹿児島)校舎外観”
鹿児島県の鹿児島松陽(しょうよう)高校といえば、県大会1、2位の実績を誇るサッカー部の強豪校という印象が強かった。また、普通科だけでなく、音楽科と美術科が併設されていることから、芸術色の濃い学校という印象を抱く人もいる。
そんな中、硬式野球部が、2011年秋の鹿児島県大会で、創部初となる県4強入りを果たした。
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1回戦 伊集院 11-7 ○
2回戦 れいめい 7-6 ○
3回戦 喜界 10-9 ○
4回戦 有明 3-0 ○
準々決勝 大口 7-4 ○
準決勝 神村学園 2-16 ●
鹿児島松陽はこの大会で、二度の逆転劇で勝利を収めてきた。初戦の伊集院戦に11対7で打ち勝ち流れを掴むと、2回戦のれいめい戦で、0対6の6点ビハインドから7点を挙げて逆転勝ち。3回戦の喜界戦でも、5点先取されてから乱打戦に持ち込み、10対9で勝利した。
キャプテンの蒲地和希は、こう振り返る。
「初戦の伊集院も、れいめい戦も、たくさん点は取られましたが、試合をしていて点を取られた感じがなかったんです。気付いたら逆転してました」
また、7番ファーストの栫(かこい)祐太朗も、あの逆転劇をこう語った。
「負ける気はしなかったですね。試合をしていて楽しかったです。序盤に点を取られていても、まだ8イニングは残ってるから、そこで逆転できるっていう自信をみんな持っていました」
“畠中捕手(左)とエース森岡(右)”
「点が取れそうで取れない、歯がゆい試合でした。みんなが勝つということに必死になりすぎてしまったのかもしれません。だけど、あの屋久島戦を経験できたことで、新チームになってからは周りを見るという余裕が、みんなが持てるようになりました。相手のことも、自分たちのことも見られるようになったことが、試合を作る上で大きかったですね」
そうキャプテンの蒲地が振り返るように、新チームがスタートしてからの鹿児島松陽の試合での勝率は高かった。
8月のお盆前に行われた鹿児島市地区公立普通高校野球大会で優勝を果たし、さらに練習試合でも白星を重ね続けていた。誰が言い出したのか、いつからか「神宮大会出場」がチームの合言葉になっていた。
2つの「きょうどうせい」への拘(こだわ)り
゛松陽のクリーンナップ(3番・永野、4番馬場、5番末吉)”
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「秋は森岡の調子が良くなかった。それに、うちは打ち勝つ試合を続けてきたから、次こそはっていう思いはあります」
言葉だけでなく、実際の戦いぶりでもそうだが、なぜ鹿児島松陽の部員たちは、こんなにも強さを感じさせるのだろうか。中学時代から高い実績を残してきた選手は、ほぼいない。また中学時代に硬式を経験してきた部員も全体の1割にも満たない。それでも、今の彼らには、県内の強豪校に引けを取らないほどの自分への、そしてチームに対する確かな自信があった。
それを彼らに持たせてきたのは、就任して3年目となる塩塚隆夫監督に他ならない。
“松陽高校野球部 塩塚隆夫監督”
9人しか部員がいなかった喜界では県大会ベスト16を経験。創部4年目の鹿児島東でもベスト16。枕崎では、部長としてではあるが、着任2年目の年にベスト4まで勝ち上がった経験を持つ。
野球の力がある選手ばかりが集まっていなくても、試合で勝つことが出来るチームに至るまでの過程を塩塚監督は熟知していた。
「赴任する学校ごとに練習環境や条件が違いました。この学校では、こういう指導をした方がいいなというのは考えられるようになりましたね。また色々な人と出会って見たり聞いたりした経験も役に立っています」
「これは参考になる」と思ったことを毎回ノートにメモしていくうちに、大学ノートは34冊たまった。その中でも塩塚監督が大切にしている言葉が「きょうどうせい」である。これは、共同性と協同性の2つの漢字で表すことが出来る。力と心を合わせて、一緒に物事に取り組む。つまり、まとまりのあるチームを目指すということ。どんな環境下の学校であっても、塩塚監督はこの言葉を大切にして生徒たちと向き合ってきた。
[page_break:1時間の平日練習でも勝てる理由]1時間の平日練習でも勝てる理由
“月2回はトレーニングの日。雨のため室内で実施”
ここ鹿児島松陽でも、そうだ。毎週月曜日から水曜日までは16時すぎから18時半まで2時間ほど練習を行えるが、木曜と金曜日は授業時間が長い曜日のため17時すぎから1時間ほどの練習しか出来ない。
「これまで、こんな短い練習時間の高校はなかったので最初は慣れなかったですね。限られた練習時間でどこまで勝負できるのか、考えました」
就任当初、野球部の部員たちはとくに決められた練習メニューもなく、それぞれがやりたい練習をバラバラと行っていたという。ウォーミングアップもダウンも行わない部員たちに、まずはそこから一つ一つ教えていくことから始まった。
練習メニューからはシートノックとフリーバッティングを外した。全員に順番が回ってくるまで時間がかかるからだ。それよりも合理的に、打撃練習はスイングの数を増やし、守備練習では内野手ならボールを手で転がして捕球の数をこなしていった。常に分単位、秒刻みでメリハリをつけて、選手たちが飽きないように練習メニューを組んでいく。また月2回、トレーナーを招き、本格的なトレーニングも取り入れていった。
塩塚監督が来て、練習メニューが変わり、さらに週末の遠征が増えていった。
「大敗してショックを味わせて、世間の広さを知ってほしい。試合は戦い。おとなしさ、優しさはいらないんです。もっと勝負の感覚を身に付けてほしかった」
こういった塩塚監督の指導の中で、いつの間にか、選手たちは毎日の練習が終わって家に帰ると、個々に自主練習を行う習慣がついていった。素振りをしてから、眠りにつく選手。毎日、ランニングをして家から遠く離れた銭湯をゴールにする選手。
もっと上手くなりたい。試合で勝ちたい。不思議と、日に日にそんな思いが彼らの中で増していくのだ。
塩塚監督は言う。
「この子たちは野球に対してどんな心構えを持っているのか、この子はどんな気質を持っているのか、最初はそこを見てから指導方法を考えます。無理はしないです。時には思いっきり変えてもいいけど、自分が何かするから生徒たちが成功に結びつくわけではないんです。ただ、松陽の生徒たちはすぐに受け入れてくれる子たちが多かった。だから、色んな角度から生徒を知った上で、自分の考えを伝えていきました」
これまでの赴任先でもそうであったように、鹿児島松陽でもこれらの取り組みが結果として表れるまでに時間はかからなかった。09年秋の大会から監督に就任すると、翌10年春の県大会で17年ぶりのベスト16入り。夏は過去4年間2回戦止まりだったが、この年は3回戦まで進出した。
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“1秒も無駄にせず、全力で練習に取り組む部員たち”
少しずつではあるが、確実に力をつけてきている鹿児島松陽野球部。この秋ベスト4の結果を残したが、塩塚監督はこの冬は今まで以上に厳しい練習メニューを行ってきた。
「選手たちは秋の結果に不満足という気持ちがあったので、うわついた気持ちはないんですが、周りが選手たちを見る目が変わってしまって、そこの葛藤があるんじゃないかなって感じたんです。だから春になった時、自分たちの力に不安にならないように、初めてこの冬は合宿をしました」
秋は果たせなかったが、「てっぺんに立ちたい」という思いをこめて、枕崎市にある山に登り、そこで冬休みの3日間合宿を行った。山道を走って頂上まで登り、鹿児島の街を見下ろし、全員で校歌を歌った。
「試合でもこんな気持ち味わいたい」そんな言葉が選手たちの口から自然と出てきたという。一人一人の力は小さくても、そこに協同性が加わることで、それは大きな力に変わっていく。秋よりも、さらに強く。もっと大きな成長曲線を描いて、鹿児島松陽ナインはこの夏、鹿児島の頂点を目指す。
(文・写真=安田未由)