Column

向上高等学校(神奈川)

2012.01.28

野球部訪問 第56回 向上高等学校(神奈川)

 2011年の春季神奈川大会で準優勝。は8強入りを果たすなど、近年急速に力を付けている向上の冬合宿の様子からその強さの理由と、向上野球の魅力を探った。

部員同士で互いに育て合うチームへ

向上

“平田監督(左)と浦山トレーナー(右)”

 「最初、僕が就任した時は、この合宿をやらされてる感があったんです。辛いという感情が先にくる。早く終わらないかなという表情で選手たちは走っている。それが年々、無くなってきましたね」
 互いに盛り上げながら苦しい冬合宿を乗り切ろうとする部員たちの姿をみながら、平田隆康監督は言葉を続けた。

「彼らの何が変わったかというと、まず、表情がよくなりました。先を考えた動きや声掛けが出来るようになってきました。選手同士で『今、夏のために走ってるんだぞ』『これを走って俺がエースになるんだ!』そんな言葉が自然と練習中に出てくるんです。またここ数年では、こいつが声掛けてくれたらなってやつが、こっちが何も言わなくても声を出してくれるようになったんですよ」

 今では、この冬合宿の練習中に平田監督が指示を出すことはなくなった。選手たちのそばで一緒に笑い、励まし、そして時々、一緒に走る。
 部員が、互いに育て合う。そんなチームを平田監督は10年かけて築いてきた。

 向上といえば、09年に横浜からドラフト指名された安斉雄虎投手をはじめ、これまで7人のプロ野球選手を輩出しているが、創部47年の歴史の中で、いまだ甲子園の出場経験はない。
 それでも、ここ最近の向上は、県内でも高い戦績を残している。2011年は、春季神奈川大会で準優勝。は8強入りを果たした。ちなみに、09年~11年の3年間でも、春夏秋の県大会でベスト8以上が計5回。それ以前の戦歴を振り返ると、夏に8強入りしたのは、94年が最後となる。この結果からみても、昨今の向上の強さがうかがえる。

 しかし、先に触れておくと、向上の練習環境は、決して恵まれているとは言い難い。もちろん向上に限ったことではないが、グラウンドは複数の部活動と使用しているため、野球部は外野までスペースを確保できない。室内練習場も、照明設備もない。練習では、フリーバッティングも、外野からの連携プレーも、中距離以上のランニングメニューも実施することは出来ない。さらに、近年の活躍により部員もここ数年で大幅に増え、今では100名を超える大所帯となった。それでも、部員たちはそんな練習環境を知った上で、自ら向上野球部に入部してくるのだ。

[page_break:組織化の徹底による100名の意識統一]

組織化の徹底による100名の意識統一

投手陣は坂道を利用したダッシュ練習。ランニングメニューが1日中組まれている

合宿2日目の最初のメニューは8キロの長距離からスタート

 「ここで自分も高校野球がやりたい」そう思わせる雰囲気が、向上にはあった。
 冬合宿の雰囲気でもそうだが、向上の部員たちは、苦しい練習を苦しいだけで終わらせない。辛いことをプラスに変える力がある。練習環境においてもそうだ。限られた環境をマイナスには捉えない。それよりも、勝つために出来ることが他にもあるんだと理解している。

 平田監督は言う。
「うちは室内練習場も照明もなく、外野もない。練習環境において勝つためのメリットは何もないわけですよ。限られた練習しか出来ないからこそ、他の部分で日本一の取り組みをして強くなろうと、選手たちには伝えています」

 どんなことでもいい。チームで決めたことを全員が徹底してやり切ることで、日本一の取り組みを目指しているのだ。

 例えば、内野のランナー付きノックでは、人数が多い分、自分がプレーする順番を待っている時間が長くなる。その待ち時間は、ノックの一球に集中してハンドリングの練習をする。そこへどれだけの部員が本気で取り組むことができるか。走るスペースがないため、普段出来ないランメニューは、守備練習などで切り替える時に10メートルでもダッシュを全員がしているか。
 他にも指導陣や選手間で、誰かが発した言葉に対しての反応を「ハイ!」だけで終わらせていないか。自分の思いを相手に伝えているか。

 キャプテンの瀧屋颯人がこう教えてくれた。
「僕らの目標は、試合の勝ち負けだけではなく、全ての面で自分たちの取り組みが日本一になること。選手が自発的に動けるチームになることです。ただ、人数が多いので考え方が浸透するのに時間がかかる。そこで、副キャプテンやマネージャーだけでなく、他のメンバーのサポートが必要になってきます」

中井哲之監督

 そのための工夫の一つとして、向上では、毎日、練習後に選手だけのミーティングが開かれる。全員で行ったあとは、今度は少人数に分かれてのミーティングが始まる。ここで、意識の統一を図る。限られた環境で他の高校と同じような練習が出来ない分、方向性を再確認し合うことでチーム力を高めていくのだ。

 また、教員になる前は、一般企業に勤めていた平田監督の発案で、数年前から野球部にも組織図を導入した。

 統括はキャプテン、副キャプテンは幹部グループ、学生コーチとマネージャーはマネジメントグループ。

 さらに、その下に「技術・戦略強化委員会」と、「運営向上委員会」を設置し、そこから12グループに分けて、グループ長を置く。この各グループをさらに細かく1グループにつき最大6班に分けて、全部員が役割を持つ仕組みとなっている。

「班長の意見交換のミーティングも多く開かれます。やっぱりトップがしっかりしていない組織はダメなので、なぜ出来なかったのかを問いかけ合いますね。リーダーは選手同士で決めているのですが、今は野手のリーダーは1年生が務めているんですよね。そういった部分をみても、以前はあった学年の壁が、『上が全てではないよ』と選手たちには伝え続けていくうちに今は無くなりました」
 今でこそ、そんな平田監督の考えも選手に浸透し、選手同士で、練習や試合の雰囲気を作っていける野球部へと成長したが、就任当初は、実は全く真逆の教えをしていたという。

「監督は偉くなきゃいけない。上から指示を出していれば勝てる、自分もそう思っていました。だけど、それは間違いだったと気が付いたんです。僕も選手と一緒に成長していきたい。そう思った時、選手と素で接することが出来るようになりました」
 向上野球部が結果を残し始めるようになったのは、それからだ。

[page_break:選手同士で生み出す練習の雰囲気]

選手同士で生み出す練習の雰囲気

それぞれの「勇気」が書かれた「気付きノート」

“通称「おんぶダッシュ」で、急な砂の坂を20往復”

 2011年夏は、2年生の塚脇浩が主戦、そして2年生の浅井拓が打の中心となって、準々決勝まで勝ち上がるも、横浜創学館に1対5で敗戦。
 秋は県大会3回戦で再び横浜創学館と対戦すると、9対4で勝利を収めたが、4回戦では慶応に3対12の大敗を喫した。

「力の差を痛感しました。だけど、自分たちがやっている野球で、神奈川で勝てることを証明したいんです」
 そんな平田監督の思いと、選手たちの思いは、毎年12月末に行われる3日間の冬合宿に挑む前からすでに重なっていた。

「慶応の試合では一人一人の力の差を感じました。冬合宿でも、夏への意識を持って、すべてにおいて日本一の取り組みを続けていきます」(2年生・中山正輝 校内Gレクレエーション班 班長)

「一年前よりもさらに徹底力をつけて野球やそれ以外の面でもみんなで取り組んできたけど、それでも負けました。この冬合宿では、共同生活することで選手間のつながりを強くすること、またやり切ることでゆるがない自信を身につけたいです」(2年生・成田廉 コーチング・マネジメントG 兼 庶務Gグループ長)

中井哲之監督 

“スタミナだけでなく瞬発力を養うトレーニングも取り入れる”

 もう1つ上のレベルへ。そんな思いで臨んだ今回の冬合宿。
 平田監督が就任する以前から毎年行われていた伝統のこの合宿では、初日と2日目は平塚海岸でトレーニングし、3日目に箱根駅伝の5区でもお馴染みの山登りのコースを走る。この合宿の目的は、マネージャーの成田廉の言葉でもあった通り、2つある。共同生活をし、仲間との相互理解を深めてヨコのつながりを強くすること。そして、一年で最も辛い練習を全員で乗り越えることで自信をつけることだ。
 ここでも冬合宿に対する意識の統一を図るために、平田監督はその目的をまとめた要綱を事前に作成し、文字にして選手たちに伝えている。

 そのため、冒頭でも記したが、合宿が始まると、指導陣が口を出すことは何もなくなる。浦山トレーナーが、メニューを提示したあとは、目的をすでに理解している選手たちが互いに励まし合いながら、それを乗り切っていくのだ。

 さらに、辛く苦しい練習に、チームの雰囲気が暗くなってきたと誰かが感じると、自発的にそれに気付いた選手が一歩前に進み、仲間を勇気づける言葉を叫ぶ。それも毎回同じメンバーが出てくるのではなく、1年生でも学年関係なく、前に出てくる。

 「神奈川でベスト8以上の戦いをするためには、瞬時に選手が自分で判断する力がないと戦えないんです。その判断を下すために、今度は“かぎ分ける力”が必要になってくる。また、受信するだけの選手じゃダメで、発信していくこと。感情を表現することが大事。そのためにも、まず感じ取れるような選手になろうというのが9月からのテーマにしています」
 練習前にそう説明してくれた平田監督の言葉は、100名の大所帯であっても、すでに選手一人一人の中に浸透していた。

[page_break:オリジナルのものを見つけて勝負する]

オリジナルのものを見つけて勝負する

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 チームで決めたことに対して、日本一の取り組みを徹底することで、頂点を掴む。

 取り組みの過程というのは、数字で表すことが出来ないものだからこそ、一見難しく感じる。しかし、平田監督をはじめ夏目修一部長、小川覚コーチら指導陣が、その仕組みを非常にシンプルなものにして、チームに落とし込んでいくからこそ、選手は迷うことなく実践できる。
 100名の役割を可視化できる組織図。また、組織の中での自分の役割を毎日の少人数制ミーティングで意識付けさせることもそのひとつである。
 こういった取り組みの積み重ねによって、向上の全体ミーティングでは、こんな会話が生まれている。
 ある選手が忘れ物をすると、監督からの「なんで忘れたのか?」というその選手への問いに、他の選手たちが「俺たちも声掛けてやれなかったよな」「事前に言っとけばよかったな」そんな会話になるというのだ。それが、実際の野球のプレーや試合でも生かされている。

「もちろん技術があってこそ、オリジナルのものを見つけていけると思っています。だけど、勝ったときに、これをやってきて良かったっていうものを求めていきたいんですよね。僕らの取り組みは、答えになり辛いけど、そこで勝負したいんです」そんな平田監督率いる向上の野球に魅せられて集まってきた選手たち。

「元気出していこうぜー!」
 合宿2日目、100本ダッシュにも怯まない選手たちの声が、平塚の冬の海に力強く響いていた。

(文・写真=安田未由

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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