彦根総合ナイン


 今年にブレークし、来年の高校野球界を湧かせる存在となりそうな高校が滋賀県にある。それが彦根市にある私立の彦根総合だ。

 野球部は2008年創部で、翌春から大会に参加。19年までは県16強が最高成績だったが、20年に体制が大きく変化する。それが宮崎 裕也監督の赴任である。

 宮崎監督は無名の公立校だった北大津を春3回、夏3回の甲子園出場に導いた実績を持つ。17年から勤務していた安曇川では野球から離れていたが、松本 隆理事長の熱心な誘いもあり、新天地での挑戦を決めた。

 赴任1年目は監督として指揮を執ることはせず、選手勧誘などチームを強化するための準備に時間を費やした。その結果、翌春の監督就任と同時に県内外から有望選手が多数加入。「何の実績もなく、その当時はグラウンドもない学校によく来てくれたなと思います」と宮崎監督は入学した選手に感謝していた。

 彼らは1年春からレギュラーの大半を占めるようになる。しかし、上級生との実力差は否めず、昨年は公式戦で1勝も挙げることができなかった。

 それでも一冬を越えて力を付け、今春の県大会では4強入り。だが、「まだ安定して力を出せるだけのチーム力はなかった」(宮崎監督)と夏は初戦敗退に終わり、若いチーム故の不安定さを露呈する結果となった。

 新チームが発足し、宮崎監督就任と同時に入学した2年生が最上級生となる。「何の実績もないところに信じてきてくれたわけですからね。何らかの形にしないと彼らに恩返しできないというのがありましたから、やっぱり結果は出したかったですよね」と宮崎監督はこの秋に勝負を懸けていた。

 秋を勝ち抜くのに追い風となったのが新しいグラウンドだった。以前のグラウンドは校内にあり狭かったが、学校から車で約10分のところに8月に両翼100メートル、中堅120メートルのグラウンドが完成。シートノックやフリー打撃ができるようになり、「打者のミート力で上がって、コンパクトに振れるようになったと思います」と主将の上田 大地内野手(2年)が話すように、新グラウンドがさらなる技術向上を後押しした。

 打撃練習ができるようになったことで守備にも良い影響があったと宮崎監督は話す。

「本物の打球を追いかけないと、1歩目が遅くなったりするんですよね。グラウンドができて、守備力が上がったと思います」

 ハード面が整ったことに加え、「僕らは1年から出ていたので、チームのまとまりとかそういう点では全然違うと思っています」と森田 櫂捕手(2年)が話すように、1年春からほぼ同じメンバーで公式戦に出場してきた経験値も強みになった。

 秋の滋賀県大会では準々決勝の彦根東戦が延長15回までもつれるなど苦戦した試合もあったが、粘り強く戦い抜いて初優勝。近畿大会への出場権を獲得した。

 近畿大会は1回戦で近大新宮(和歌山)、準々決勝で大阪桐蔭(大阪)と神戸国際大附(兵庫)の勝者と対戦する組み合わせ。「日本一と言われている大阪桐蔭と公式戦でやりたい。そこまでは何としてでも行こう」と宮崎監督は選手たちに発破をかけた。

 近大新宮戦では先制を許すも4対2で逆転勝利。念願だった大阪桐蔭との対戦を実現させた。

 大阪桐蔭戦では1回表に2点を先制されたが、その裏に制球の定まらない前田 悠伍投手(2年)を攻めて逆転。3回までに4点を奪ってみせた。最終的には4対9で敗れたが、勝敗以上の価値を宮崎監督は見出している。

「公式戦で大阪桐蔭、前田君とできたというのは本当に僕の中でも大きかったし、彼らの中でも大きかった。彼らなりに今まで背中も見えなかった相手がちょっと背中くらいは見えたんじゃないですかね」

 初めての近畿大会で全国トップクラスの相手と対戦することができたのは貴重な経験だ。この試合で登板した野下 陽祐投手(2年)と勝田 新一朗投手(2年)は大阪桐蔭打線の印象を次のように語る。

「どの球でも振ってくるので、もう少し球速を上げないと抑えられないと思いました」(野下)

「同じ高校生とは思えないスイングスピードでした」(勝田)

 さらに大阪桐蔭は走塁でも彦根総合を苦しめた。1回表には大阪桐蔭の2番・山田 太成外野手(2年)が中前への当たりで二塁を陥れる場面もあった。「僕たちの求めているのが大阪桐蔭の走塁だと思うので、次の塁というよりはホームを一気に狙う意識で走塁していきたいです」と田代 奏仁外野手(2年)にとっては走塁への意識を高めるきっかけとなる試合だったようだ。

(記事=馬場 遼)

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