明治から令和へ、新スタイルの指導方法で復活目指す八幡商【後編】
1898年創部と滋賀県で最も古い歴史を持つ八幡商。春夏合わせて14回の甲子園出場は、20回の近江に次いで県内で2番目に多い数字だ。
甲子園では春に3度、8強入りした実績があり、9回表の逆転満塁本塁打で勝利した2011年夏2回戦の帝京戦は多くの高校野球ファンの記憶に刻まれていることだろう。しかし、その夏を最後に甲子園から遠ざかっており、近年は上位まで勝ち残れないことも度々あった。
そんな中で今年は11年ぶりに秋の滋賀大会を制し、名門復活を印象づけた。その背景には伝統校の強みと先進的な指導の融合があった。
OBは大喜び
北川敦也主将
秋の大会はクロスファイアーを武器とする左腕の水野と、最速139キロのストレートにスライダーやチェンジアップを操る有園のどちらかが先発して、制球力とマウンド度胸のある石田 大和(1年)が中継ぎ、最後に中川が締めるという形が上手く機能した。
3回戦以降は綾羽、比叡山、立命館守山、滋賀学園と強豪私学との対戦が続いたが、3回戦から準決勝までの3試合をいずれも1点差で制すと、決勝では有園から石田の継投で滋賀学園相手に4対0の完封勝利を収めた。2011年夏以来となる滋賀県の頂点に立ち、周囲からの反響も大きかったと小川監督は話す。
「OBが喜んでくれましたし、今回は近畿大会も滋賀県開催でしたので、たくさんOBやファンの方も駆けつけてくれましたので、本当にたくさんの人に喜んでもらえたかなと思います」
伝統校の八幡商はオールドファンが多い。滋賀大会の決勝や近畿大会でも八幡商を応援している人の姿が多く見られ、久しぶりの躍進を喜んでいるようにも感じられた。
近畿大会では1回戦で和歌山東と対戦して1対3で敗戦。「ここというところで併殺を取れたりとか、守備面に関してはやってきたことがある程度出せたと思います」(小川監督)と堅い守りを発揮した一方で、攻撃面に課題を残した。
「元々このチームに関しては攻撃力がない中でのスタートで、これは夏の大会までに時間はかかるかなと思っていて、近畿大会を終えてみても、それがこれからの課題かなと感じました。相手投手のクセ球になかなか対応できなかったというところがあるので、色んなタイプのピッチャーをこれからどう攻略していくのかというところがこのチームの攻撃での課題かなと思います」(小川監督)
[page_break:「新しい形の八商野球」]「新しい形の八商野球」
集合する八幡商の選手たち
春、夏を勝ち上がるには打線の強化が不可欠となる。中心となるのは主将で4番に座る北川。旧チームから唯一のレギュラーで、勝負強い打撃が持ち味だ。「ピッチャーが今まで頑張ってきてくれた分、野手で点を取ってピッチャーを楽にできるようにやっていきたいと思います」と意気込んでいる。
さらに近畿大会後の練習試合では、秋はベンチ外だった辻本 慶や木村 大侍(ともに2年)といった選手を4番に起用し、競争を促しながら新戦力の育成にも力を入れている。今年の夏に3番を打った福本 紘希(3年)も昨秋まではベンチ外の選手。一冬越えれば、レギュラー陣の顔ぶれにも変化があるかもしれない。
就任1年目で結果を残した小川監督。これからのチーム作りにおいて、次のように語ってくれた。
「伝統校と言われていますが、新しいことにも色々チャレンジしていきたいと思っています。10年、甲子園も空いていますが、周りの色んな期待もありますし、そういった中で伝統校の意地も見せながら、また新しい形の八商野球を見て頂けたらと思いながらやらせてもらっています」
練習環境や優秀なスタッフに囲まれていることもあり、小川監督が全ての指示を出すのではなく、専門知識を持っているコーチには練習メニューなどを任せている部分もある。投手陣の育成を宮地コーチに委ねているのもその一環だ。
積極的に権限委譲を行っている小川監督だが、その原点は2006年から講師として勤務した野洲での5年間にある。野洲は小川監督が赴任する直前の全国高等学校サッカー選手権大会で優勝しており、元々はレスリングの選手ながら公立校を日本一に導いた山本 佳司監督が脚光を浴びていた。山本監督は組織マネジメントに長けており、その姿を見ながら指導者としての在り方を学んだそうだ。小川監督が野洲を離れて10年以上経つが、「野洲での経験は大きかった」と語っている。
「伝統校=古い」というイメージを持つ人も少なくないかもしれないが、八幡商は日々アップデートを繰り返しながら甲子園出場を目指している。明治からの歴史を持つ野球部が令和の時代になっても確かな存在感を発揮しそうだ。
(取材:馬場 遼)