昨夏、チーム初の甲子園出場を果たした鹿児島城西。元プロ野球選手・佐々木 誠氏が監督に就任して3年目での快挙となった。結果は加藤学園に1対3での敗戦だったが、学校の歴史に新たな1ページを刻んだ。
その歴史を継承した新チームは秋季鹿児島県大会で3位に入るも、九州大会を逃す結果に終わっていた。
チーム力、投手力に課題を抱えた新チーム

鹿児島城西の選手たち
「去年のように投手がいなかったので、バッティングでどうにかしたかったですが、秋の大会はできませんでした」
秋の大会を振り返ってチームをまとめる乗田 元気主将が語った言葉だ。旧チームは八方 悠介と前野 将輝のWエースを擁して鹿児島県大会は準優勝。続く九州大会でベスト4に入る結果を残して初の甲子園の切符を掴んだ。
ただ、新型コロナウイルスの影響で選抜の中止はもちろん、春季大会等もすべて中止。練習自粛もせざるを得ない状況となったことがチームにとって大きかった。鹿児島の場合は、春季大会だけではなく、NHK杯や招待試合など多くの試合をするチャンスがある。
その機会を使って、新チームを見越して新戦力を試しながら集大成となる夏の大会に向かって照準を合わせるはずだったが、コロナ禍によって奪われる結果となった。それは鹿児島城西だけに限った話ではないものの、「紅白戦を多くやりましたが、どうしても公式戦で得られるものとは違います」という指導者からの声もあった。
その結果、加藤学園との一戦が終わってから1か月も経たないうちに地区予選が始まるハードスケジュールでチーム作りは難航。特に八方、前野の2枚看板が抜けた投手陣は厳しく、指導者間では「継投でどうにかするしかない」と細かく投手を繋いでいくほかなかったとのこと。
実際に秋はエース格として登板することの増えた板敷 政吾は「八方さんや前野さんといった柱となる人がいなくなって、引っ張る難しさを感じました」と先頭に立つことのむずかしさを痛感した。
だが課題は投手力だけではなかった。
「選手個人の能力は高いのですが、チームが発足した時は結束力が低かったと思います」(巻 宗馬)
「チーム力が低く、繋ぐバッティングや全員で守ることが出来ていなかったと思います」(林 誠人)
甲子園交流試合から戻ってきてまもなく秋季大会が控えていたこともあり、チームとしての完成度が低かった。乗田主将も「最初はまとまりに欠けていました」と感じていた課題だが、それを改善するべくチームでは“結束”というスローガンを掲げることになる。
「目標が2年生それぞれでバラバラになっていたので、1つにならなければ日本一という目標は達成できないので、1か月ほど経ってから“結束”というスローガンが決まったと思います」(長 隆稀)