創部100年を超える伝統校・比叡山(滋賀)は投手力と打力で新時代を築く【後編】
春5回、夏8回の甲子園出場経験を誇る比叡山。1912年創部と100年を超える歴史があり、滋賀県勢として夏の甲子園初勝利も成し遂げている伝統校だ。
だが、21世紀に入ってからの甲子園出場は2015年夏のみ。近江や滋賀学園が台頭する中で苦戦を強いられてきた。それでも今年は秋の滋賀大会4強、1年生大会では近江を下しての準優勝と上昇ムードが漂っている。夏に6年ぶりの甲子園を目指す比叡山の現在地に迫った。
後編の今回は秋季大会以降のチームの歩みにスポットを当てていきたい。
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甲子園出場13回の伝統校・比叡山(滋賀)の復活を担う4人の逸材【前編】
希望が見えた1年生大会準優勝と投手陣の整備
選手たちへ指導する河畑成英監督
近畿大会で勝負できる手応えがあっただけにチーム内での落胆は大きかったと河畑成英監督は振り返る。
「3年生があのような形の大会に終わって消化不良な部分もありましたし、そこに多くの子が食い込んでやらせてもらっていたので、上級生への想いもあったでしょう。勝つことで色んな部分で恩返しできると思っていたので、自分たちが願っていた結果に届かず、期待に応えられなかった悔しさが混じっていたような気がしますね」
この敗戦から島口裕輝が学んだのは試合の入りの重要性だ。初回に4失点した反省から、「何事も入りが大事だと思ったので、アップやキャッチボールなど毎日やることの入りから変えていこうということで、『高い意識を持ってやっていこう』と言い続けています」と各練習の入り方を以前よりも重視するようになった。
戦力的には桐山倫太朗に次ぐ投手の存在が課題に挙がった。準々決勝を桐山の負担を少なくして勝つことができていれば、準決勝も違う結果になっていたかもしれない。
そんな中で希望が見えたのが1年生大会だった。「2年生に比べると非力な部分もある」と河畑監督は自信を持っていたわけではなかったが、綾羽や近江といった強豪私学を倒して準優勝。決勝ではまたしても滋賀学園に敗れたが、右投げの田村航輝と左投げの有川元翔が大会を通じて好投を見せ、来年に向けて収穫のある大会となった。
さらに秋の大会を終えてから投手の練習を本格的に始めたのが島口だ。本来は秋の公式戦から登板する構想があったが、コロナ禍で投手の練習が不十分だったため、見送られていた。「投球術や総合的な能力はまだまだ」と島口は話すが、チーム最速の139キロを誇る右腕が投手として計算できるようになれば、投手陣に厚みをもたらす存在となる。
[page_break:令和の時代に新たな歴史を刻む!]令和の時代に新たな歴史を刻む!
新たな歴史を刻むべく練習に打ち込む比叡山の選手たち
投手陣の整備を進めつつ、打線の強化も抜かりない。滋賀県で一番の打線を作ることを目標として掲げており、この冬は自分の体を上手く使えるような体作りに取り組んでいる。
「結果として残っていても、まだまだ無理な形でたまたま打っているんじゃないのかというのが多々あります。理に適った動きを理解させながら、レベルを上げてもらうことが、この冬に考えている部分ですね。自分のマイナス部分を理解した中で、自分に合った打ち方を見つけてほしい。こういう時代なので、情報量が凄いんですけど、『君があの選手の真似をしてもダメだよね』というのもあると思うんです」(河畑監督)
現代は情報に溢れており、動画サイトなどを通じて様々なトレーニング方法や打撃技術を学ぶことができる。そこから得られることも多いが、自分に合わないことをしてしまっては元も子もない。選手の自主性を重んじる河畑監督は選手自らに考えさせながら、各々に合った打ち方を模索させている。
「スター集団だとは思っていないので、野球の理解力が高いチームを作っていきたい」と今後のチーム作りについて語る河畑監督。選手たちの経験と能力は申し分ない。野球への理解力が指揮官の求める水準まで到達すれば、聖地への道も開けてくるだろう。
伝統校である比叡山は熱心なOBやファンが多い。19年前の卒業生である河畑監督もその期待を十分に理解している。
「歯がゆい思いばかりさせていると思います。ただ、この子たちは過去の歴史を背負うのではなくて、また新たに作っていくという感覚の方がいいのかなと思っています。歴史的な部分も我々がこの子たちに話をしますし、私も卒業性なので、母校を勝たせたい思いは強いんですけど、この子たちにとっては1回限りの高校野球なので、あまり背負わせすぎずに自分たちの1年1年を目いっぱい戦わせたいというのはありますね」
昭和、平成と甲子園に出場し、高校野球ファンの印象に残る戦いを見せてきた比叡山。令和の時代に新たな歴史を刻んでいく。
(取材=馬場 遼)