「甲子園1勝」を目標に 秋の大会がもたらした選手の意識の変化と課題 立命館守山(滋賀)【後編】
秋の滋賀大会で準優勝と躍進し、創部4年目にして初の近畿大会出場を果たした立命館守山。社会人野球のかずさマジック(現日本製鉄かずさマジック)のコーチとして2013年に日本選手権の優勝に貢献した秋武祥仁監督の指導の下で着実に力をつけてきた
後編では、今回は秋の大会がもたらした選手の意識の変化と見えてきた課題に迫る。
前編はこちらから!
「創部4年」「グラウンドなし」の立命館守山(滋賀)が近畿大会出場できた理由
本気で甲子園へ、課題が明確になった秋
エースの信次陽和(立命館守山)
戦力面では旧チームの大黒柱だった福田昂平(3年)が抜けて投手陣に不安があり、夏休みの練習試合では野手にも登板の機会を与えてきた。その中で台頭したのが正捕手の景山透唯(2年)だ。
景山は1年夏からベンチ入りし、旧チームから4番を打つチームの中心選手。地肩が強く、変化球を投げられて、制球力も安定していた。景山に起用の目途が立ったことで、打たせて取る投球が持ち味の信次陽和(1年)から景山への継投策が確立されたのだ。
秋の滋賀大会は2回戦からの登場。初戦は夏準優勝の光泉と対戦した。試合は1回表に景山の先制タイムリーなどで4点を奪うと、そのまま逃げ切り6対2で勝利。強敵を倒した勢いに乗って一気に決勝まで進出した。
秋は週末に試合が行われるため、1週間ごとに次の試合に向けて対策を練ることができる。「相手がわかっている状態で映像を見てミーティングをして、試合をして、勝てて嬉しいという循環になりましたね」(秋武監督)とチームの歯車は上手く噛み合っていた。
しかし、センバツ出場を懸けた近畿大会で現実を突きつけられる。初戦で優勝候補の大阪桐蔭と対戦したが、1対19の5回コールド負け。「手も足も出なくて、甲子園常連校との差を痛感しました」(西田賢)と全国トップレベルの強さを見せつけられた。
甲子園に行くことはできなかったが、この秋で得るものは大きかった。特に甲子園に対する意識に変化があったと秋武監督は話す。
「『甲子園に行けたらいいな』というところから『頑張ったらいけるやん!』という意識の変化がありました。実際にそう話している選手もいましたね。元々、甲子園を目指していたんだろうけど、より本気になったという感じがします」
一番の課題は投手力
守備練習中の様子(立命館守山)
これまでの最高成績が県ベスト8だった彼らにとって、甲子園を明確に意識することは難しいことだった。しかし、大会を勝ち上がって、甲子園常連校と試合をすることで課題がより明確になった。
「一番の課題は投手力ですね」と語る秋武監督。秋は景山が捕手からリリーフでマウンドに上がっていたが、夏に同じことをするのは体力的に厳しいのが現実だ。そこで景山を捕手より負担の少ない三塁手の練習をさせる一方で、國府恵心(2年)や西田球馬(1年)といった控え投手に成長が見られるようになってきた。景山の負担を減らすための準備は着々と進んでいる。
また、打撃練習では木製バットを使っているのが印象的だった。卒業後を見据えているわけではなく、正しい打ち方を身につけるために行っているのだという。
部員の大半がそのまま立命館大に内部進学するが、今春卒業予定の21人のうち硬式野球部の入部予定者はわずか3人。希望すれば原則的に硬式野球部への入部は認められるが、西日本を中心に有力選手が集まる立命館大で硬式を続けるのは簡単ではない。実際に秋武監督は「大学で頑張れと言ったことは一度もありません」と話す。
それでも選手たちは木製バットで快音を連発。箭内健部長が「バッティングの伸びは今までで一番かもしれないなぁ」と呟くほど、この冬で力をつけてきた。その成果は春以降の大会で見せてくれることだろう。
チームの目標は「甲子園1勝」だ。聖地への距離感を掴んだ彼らが滋賀の頂点に挑む。
(取材=馬場遼)
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