鹿児島県内の高校で15校目となる甲子園出場校が誕生した。鹿児島城西は19年秋の九州大会で4強入りし、今春のセンバツ出場を射止めた。元プロの佐々木誠監督の就任から2年あまり。中心学年の2年生は「力的にはまだまだ」(佐々木監督)のチームだったが、秋の鹿児島大会、九州大会を通じて一戦ごとに団結し、これまでどの年代でもなしえなかった「甲子園出場」を射止めた。後編では新チーム発足からの歩みを歩みを辿っていく。
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「まだまだ」のチームが射止めた甲子園出場 鹿児島城西(鹿児島)【前編】
「反発心」を「反骨心」に変えて

古市龍輝主将(鹿児島城西)
「今のチームはそこまで力のあるチームじゃない」。佐々木監督、井上部長、奥副部長、一致した意見だ。実力的には楽天の育成でプロ入りする小峯 新陸らがいた3年生チームが上だろう。だがこのチームは第2シードに挙げられながら、昨夏は4回戦で鹿児島玉龍の前にまさかのコールド負けを喫した。
「地に足がつかない感覚ってああいうものだと思いました」と八方は言う。同じ2年生右腕の前野 将輝が先発し、6回までに3点を先行し順当に進んでいたが6回裏に前野が突然制球を乱し、リリーフした八方も全くストライクが入らず、6、7回で10失点を喫した。ケガもあってスタンドからの応援となった古市主将は「絶対先輩たちと一緒に甲子園に行って全国制覇をしようと思っていたのが果たせなくて悔しかった」。新チームの主将になることは夏前から決まっていたが、7月中に新チームになることは想定外であり、動揺を隠せなかった。
「遠征でも負け続け、ずっと悔しい思いばかりしていました」と古市主将は新チーム発足当初を振り返る。極めつけは8月の南薩地区大会。秋の県大会のシード権がかかった大会で宿命のライバル・神村学園と対戦した。エース田中 瞬太朗、主軸を打つ桑原 秀侍、田中 大陸、古川 朋樹…夏の甲子園でも活躍した2年生が主軸で残る、この年代で最も力があると目されていた神村学園に大敗を喫した。
力がないと目された上に、負け続けの試合が続き、悔しい思いをし続けた2年生だったがそこから約1カ月後、秋の鹿児島大会に向かって「団結力が高まり、一戦一戦成長できた」(古市主将)。秋の大会の組み合わせでは神村学園、鹿児島情報、鹿児島、れいめいが名を連ねる「どこも優勝を狙える力がある」(佐々木監督)超激戦パートを引いた。鹿児島城西は初戦でれいめいに2対0の完封勝ち。3回戦で神村学園と再戦したのが最大のヤマ場だった。
先制されながら、逆転。6回に再び逆転されたが、その裏、乗田 元気(1年)の3ランで再度試合をひっくり返し、2点差で南薩大会のリベンジを果たした。わずか1カ月余りで迎えた再戦では「先制されても焦りがなく、絶対逆転できると全員がプラスの声掛けをするようになっていた」(古市主将)。中でもエース八方は5回の後のグラウンド整備中に「絶対勝つぞ!」と自ら先頭に立って戦う決意を語り、言葉通り逆転した7回以降は追加点を与えず勝ち切った。序盤のヤマ場で勢いづき、自信をつけ決勝進出。決勝では鹿児島実に敗れて2位での九州大会出場だったが、決勝で敗れた悔しさがまたバネになり、九州大会4強入りの原動力となった。
「力がない」と言われた新チームで、なぜ歴代の先輩たちが成しえなかった甲子園出場の快挙を勝ち取れたのか?
「我々から『力がない』と言われ続けたことを反発心ではなく、反骨心に変えて頑張ってくれたと思います」と佐々木監督は言う。「勝ちたい」気持ちは誰もが持っている。しかしその気持ちが強すぎると空回りして力が発揮できなくなる試合を、佐々木監督もこれまで数多く経験してきた。夏の鹿児島玉龍戦、地区大会の神村学園戦、秋決勝の鹿児島実戦、九州大会準決勝の大分商戦はまさにそんなゲームだった。「だから僕は自分の『勝ちたい』という気持ちがあまり選手に伝わらないように、『頑張れよ』と送り出すような声掛けは意識しています。」
神村学園との県大会での再戦の前、古市主将が最も心に響いのは、グラウンドのベンチも掲げてある佐々木監督の「雑草魂」の言葉だった。
「踏まれても踏まれても、何度も立ち上がっていく雑草のようなチームになれ!」
「リベンジマッチ」はまさに「雑草魂」のような勝ち方だった。