目次

[1]佐々木監督がもたらした変化
[2]個性に合った指導とは?

 鹿児島県内の高校で15校目となる甲子園出場校が誕生した。鹿児島城西は19年秋の九州大会で4強入りし、今春のセンバツ出場を射止めた。元プロの佐々木誠監督の就任から2年あまり。

 中心学年の2年生は「力的にはまだまだ」(佐々木監督)のチームだったが、秋の鹿児島大会、九州大会を通じて一戦ごとに団結し、これまでどの年代でもなしえなかった「甲子園出場」を射止めた。

佐々木監督がもたらした変化


 土曜日の午後、日置市伊集院町にある学校のグラウンドではポップスの曲が流れながら、打撃練習、フィジカルトレーニングなどで汗を流す姿があった。南国・鹿児島でも山間部にあるグラウンドは例年、この時期は霜が降りてグラウンドがぬかるみ、「野球」の練習ができないことも多いが「今年は暖冬のおかげで、地面を気にせず野球の練習ができます。ありがたいです」と井上隆三部長。部長に就任してこの3月で丸12年になり、現在のスタッフの中では最古参になる。

 鹿児島大会準優勝、九州大会4強入りでセンバツへ大きく前進したことで「過去の先輩たちが『おめでとうございます』『甲子園は見に行きます』と連絡をくれたことが何より嬉しいです」と感じている。毎年、毎大会、優勝候補に挙げられながら、いつも「あと一歩」で涙をのみ続けてきた過去の先輩たちが、我がことのように喜んでいるのに感慨深いものがあった。

 佐々木監督の指導を見ていて感じるのは「力の抜き方をうまく教えている」ことだ。選手たちも指導者も当然「勝ちたい」気持ちを持っている。ただ「勝たなきゃいけない」使命感を強く押し付け過ぎてはいなかったか?

 県内では鹿児島実樟南の2強に加え、新興の神村学園が甲子園の今や「常連」だ。大隅半島の尚志館鹿屋中央も甲子園に足跡を残した。県内の強豪私学で甲子園経験がないのは鹿児島情報出水中央鹿児島城西のみになった。

 校内を見渡しても大迫勇也を輩出したサッカー部、男女空手部は全国の常連であり、男女バレーボール部も全国大会出場を決め、陸上部も18年に全国高校駅伝の初出場を勝ち取った。内外のライバルに先を越される焦りを、野球部は指導者も選手もどこかで感じていたのかもしれない。



佐々木誠監督(鹿児島城西)

 「野球を楽しむ」「野球を好きなまま卒業させる」ことをまず第1に掲げる佐々木監督の取り組みで、選手たちは「勝たなきゃいけない」プレッシャーよりも、素直に「勝ちたい」気持ちを試合で発揮できるようになったのではないかと井上部長は感じている。

 「監督は選手との信頼関係を大切にされています」と語るのは奥虎太郎副部長。自身も野球部OBであり、細山田 武史(元ソフトバンク、トヨタ自動車)とバッテリーを組んでいた。

 02年から04年の頃、鹿児島実樟南の2強が強固な牙城として存在しており、それを倒して甲子園に行く一番手と目されていたが、最高成績は春の準優勝。夏は準々決勝で鹿児島実に敗れた。「鹿児島実樟南とは違うやり方で甲子園を目指す」思いで母校の指導者となり、それが佐々木監督の就任によって実現しようとしていることに感慨深いものがある。

 この日、グラウンドに着いて佐々木監督に挨拶した際、「僕の話はいいでしょう」と第一声で言われた。長年プロ野球の世界に身を置き、様々なメディアと接する機会も多かった中で「取材嫌いになられたのでしょうか?」と奥副部長に尋ねたが「そんなことはないと思います」と言う。

 「ただ、選手たちが頑張って勝ち取ったことなのに、自分が前に出るのを遠慮されているのだと思います」と推察する。実際、インタビューも後で丁寧に対応してもらった。