勝利を通じて深めた自信と敗北から学んだ「らしさ」の重要性 橿原(奈良)【前編】
2000年春に甲子園出場経験がある橿原。秋は県大会で準優勝に輝き、19年ぶりに近畿大会出場を果たした。公立の進学校で練習時間が限られた中で結果を残した強さの秘密に迫る。
気の緩みが許されない日々
ノックへ駆け出す橿原の選手たち
橿原は奈良県高校野球の聖地である[stadium]佐藤薬品スタジアム[/stadium]から2.4㎞ほど離れたところに所在する公立校。県内でも有数の進学校であり、毎年20人前後が国公立大に進学する。
完全下校が午後7時半と定められているため、平日に練習できる時間は2時間半ほど。雨天練習場はあるが、グラウンドはサッカー部やソフトテニス部などと共用のため、外野がほとんど使えない日も珍しくない。
橿原に来て5年目となる小林稔監督に限られた時間で結果を残すために必要なことを聞いてみた。
「スピード感だと思います。メニューが切り替わるときの間をどう詰めるのか、一球をどれだけに大切に試合を想定するかがうちにとっては完全な生命線です。ボーっとしている時間はないですね」。
豊富に練習時間を取れないからこそ、わずかな気の緩みが命取りとなる。この日も選手たちに無駄な動きは一切見られなかった。
昨夏は3回戦で五條に5対10で敗戦。新チーム結成当初について小林監督はこう語る。
「去年からゲームに出ている子が5人いましたので、チームを作るというよりはどういう目標を持たせるかというところがスタートだったと思います。まずは近畿大会に出たいと子どもたちが言ったので、そのためにはというところからスタートしました」。
3年生が10人と例年よりも少なかったこともあり、主将で捕手の河下慎之介(2年)、投手の西川侑成(2年)、二塁手の長谷剛志(2年)、外野手の井上瑞樹(2年)、菊井直斗(2年)の5人が旧チームからレギュラーに定着していた。
経験値では他校にリードを取っていたが、硬式経験者は各学年2人ずつだけ。部員のほとんどが中学の軟式野球部でプレーし、橿原市やその近辺から通う選手が大半を占めている。小林監督によれば2年生も入部当初の実力が他の年代と比べて特別高いわけではなかったという。
自分たちのやれることを背伸びしない
黙々とバットを振り込む橿原の選手たち
スポーツ推薦もないごく普通の公立校の選手たちは、戦うごとに自信をつけてきた。秋季シード大会では初戦で生駒に4対3で勝利。「同じくらいの力の相手に公式戦で初めて勝ったところから自信がついてきた」と勢いに乗って、3連勝で秋季大会のシード権を獲得した。
奈良大会でも快進撃は止まらない。初戦で御所実に8対1で大勝すると、関西中央や法隆寺国際といった有力校を次々に下して19年ぶりの近畿大会出場を決めた。
小林監督は躍進の立役者として「西川と河下に尽きる」とバッテリーの2人を挙げた。エースで4番の西川はストレートの球速は120㎞台前半だが、制球力が抜群。奈良大会では5試合に登板して四死球3という結果を残した。
捕手の河下は主将を務めるチームの精神的支柱。「気持ちが強い」という西川の長所を引き出して打たせて取る投球を演出した。
決勝で対戦したのは奈良県を代表する名門である天理。橿原は1回表に1点を先制し、4回を終えて1対1の同点と中盤まで互角の戦いを繰り広げていた。しかし、5回裏に10失点。2対15の大差で敗れ、県大会制覇とはならなかった。
大敗になった原因を小林監督はこう分析する。「外野のポジショニングを下げてしまって普段と違う野球をしてしまったんです。芯に当てられたヒットは2本しか打たれてないんですけど、打ち損じの打球が外野と内野の間に3つほど落ちて、そこで流れが止まらなくなってしまいました。今までのポジショニングで守っていれば10点ということはなかったと思います」。
天理は奈良大会を強打で勝ち上がってきたチーム。長打を警戒して外野を深く守らせたのが裏目に出た。「これも良い経験なので、夏に向けても自分たちのやれることを背伸びしないでやるという教訓になったと思います」と大敗にも前を向いていた。
前編はここまで。後編では近畿大会での戦いを振り返ってもらいました。さらに現在取り組んでいる練習について。最後に春への意気込みを語ってもらいました。後編もお楽しみに!
(文・馬場 遼)