「選手主導練習」でつかんだ高みへの道程 富岡西【前編】
昨年は夏の徳島大会準決勝で鳴門を土俵際まで追い込み、新チームでも初の秋季四国大会ベスト4入り。3度目の21世紀枠四国地区選出校の座をつかみ取った県南屈指の進学校・徳島県立富岡西高等学校野球部。「野球の町あなん」を掲げる阿南市にいる彼らは、いかにして高みへの道程をつかんだのか?前後編の前編はその原動力となっているノーサイン野球を支える「選手主導練習」に迫った。
「選手主導」が散りばめられた練習
選手、マネージャー全員でガッツポーズをする富岡西
冬空に早くも夕闇が迫る平日の16時過ぎ。徳島県立富岡西高等学校。ホッケー部、サッカー部、男子ソフトボール部とグラウンドを四分割したうち北西側を占める野球部スペースには次々と選手たちが集まり始めていた。
練習前には当然、現役時代は同校OB・國學院大では左腕として東都大学リーグ2部で5勝6敗3ホームランをマークした2度目の監督就任9年目を迎える小川 浩監督からの訓示……と思いきや、小川監督はベンチ裏で選手たちを見守ったまま。そして選手たちは簡単な選手だけのミーティング後、すぐにアップ、キャッチボールとメニューに入っていった。しかも全く彼らの動きには迷い・よどみがない。その理由を探してみると、答えは三塁側ベンチにあった。
練習メニューにメニュー時の注意点、班分け、チームでの役割分担が詳細に描かれたホワイトボード。その一番上には主将の坂本 賢哉(2年・右翼手)の横に「練習メニュー」の項目が左に付いた中西 陽(2年・捕手)の文字が。どうやら彼がこの練習形態を司るキーマンのようだ。では、聞いてみよう。「どうして、監督からの指示なしで練習が進んでいるの?」
「練習メニューは僕が前日にメニューを考えて昼休みに監督さんのところへ持っていきます。秋の四国大会前もチームとして何が足りないのかを分析して『逆方向に打つ』という練習をしました」
選手参画型の練習。そのメニュー内容には選手たちの意見も存分に反映される。肩を1回前に出してからのキャッチボールは「腕のしなり方を意識したアメリカのトレーニングを動画で見て」(坂本)2017年春から導入したものである。
3人一組でバント処理と送球練習を同時に行う「BC連携」。捕手が打球方向を言って投げ、選手たちが呼応することでチームの一体感を引き出す「ノックを打たないノック」など、効率的かつ多彩なメニューを着々とこなす選手たちの理解度に目を丸くしていると、小川監督からこんな告白が加えられた。「実はウチ、試合ではサインを出していないんです」。
その源流は3年前にさかのぼる。
「選手主導」への確かな道
選手たちに修正点を伝える小川浩監督
実は約3年前までは富岡西も監督が練習では一方的に教え、試合ではサインを出し、選手たちがそれに従って動く通常型の手法で戦いを進めていた。
しかしなかなか結果が出ない。そこで小川監督は「指示待ち族ではない」隣のサッカー部を見ながら練習形態を変えることを思いついた。「練習試合を使いながら選手たちに考え方を聴くようにしたんです。すると『選手たちから野球が楽しいです』という声が出て夏の徳島大会もベスト4。旧チームの春以降はキャプテンだけに負担を掛けないように役割分担制にもして、今に至っています」
もちろん、中学までは指導者から教えられる機会がほどんどだった選手たちが、主導へ変化していくためのベースは指揮官から与えていく。代表的なのはは「ボールから目を離さない習慣を付ける」。1年生は最初にランナー役となり、ボールから目を切らない意識をすりこまれる。
そして監督は選手たちを常に観察し、修正点が見つかれば軌道修正。加えて約2年に一度、小川監督の母校である國學院大などの練習見学などによって材料を数多く仕入れた上での練習メニューも徐々に変化していく。実際に小川監督が書いている「野球ノート」を見せてもらうと……。そこには細かい字で日々の選手たちの様子、練習内容の改善点などがびっしりと書き込まれていた。
その中で変化したものもある。たとえば「上半身5割、下半身8割。打球10割」で15本連続ティーを行う國學院ティーは2年前から導入されたもの。また、休日午後にグラウンドが空いてから行われる紅白戦は終盤4イニング・2ストライクの場面から「打者は粘る、投手は2ストライク2ボールにしない」をテーマに、緊迫感あふれる状況から彼らは「考える」を学んでいる。
さらに自主練習の時間も多い。「僕はゴロ取りで足運びを意識し、捕球から2歩で投げるトレーニングをしてきました」と話すのは遊撃手の粟田 翔瑛(2年)。かくして、その意識が頂点にまで達した瞬間が昨秋、訪れた。四国大会1回戦・高知に5点差を追い付かれ7対7とされた直後の8回裏、一死二、三塁から6番・安藤 稜平(2年・中堅手)が初球で決めた決勝スクイズである。
前編はここまで。後編では四国大会で生まれた「あ・うん」の戦いと、全国1勝へ彼らが志すものを聴いていきます!
(文・寺下友徳)