創部10年目で神宮大会V!札幌大谷バッテリーが語る、明治神宮大会初出場までの道のり【バッテリー座談会 前編】
創部10年目で初の全国舞台となった今秋の明治神宮大会を制した札幌大谷。その原動力となったのがエース・西原健太(2年)と捕手の飯田柊哉主将(2年)だ。小学校からバッテリーを組むチームの大黒柱は、どのように個性派集団を引っ張り、まとめ上げてきたのか。2人に語ってもらった。
<メンバー>
西原健太(2年)・投手・右投右打
飯田柊哉(2年)・捕手・右投右打
個性派集団が目指した打ち勝つ野球
取材中、笑顔を見せてくれた西原健太(左)と飯田柊哉(右)
―― 着実に力を付けながらも、甲子園にはあと一歩のところで涙をのみ続けていた札幌大谷。今夏の南北海道大会も、優勝候補の一つに挙げられながら初戦敗退。新チームが発足したときの状態はどうだったのでしょうか?
飯田柊哉(以下、飯田) 一人一人がみんな個性の強い連中ばかり。まとめるのはかなりしんどいチームだなと思いましたけど、その分全員が同じ気持ちになれば、すごい力を出せると。それぞれの個性をどうチームに生かせていけばいいのかを考えていました。
西原健太(以下、西原) 一つ上の先輩たちは、すごく力のあるチームでしたからね。その先輩たちの真似をしても、自分たちは勝てない。だからまずはチームの雰囲気を変えていこうと思いました。ほとんど中学から一緒にやっていた連中でしたから、下級生が先輩のために勝たないといけないという気持ちでカチカチにならないような雰囲気をつくりたかった。後輩がやりやすいムードにすることが、このチームにとって一番いい形になるのかなと思ってました。
取材日、西原(左)飯田(中央)は先頭に立ってランニングをしていた
―― これまでの歴代チームの中でも、とりわけ個性の強い選手ばかりが集まった今チーム。船尾隆広監督(47)がこれまでとは違う「打ち勝つ野球」を掲げる中、どのようにチームを引っ張っていったのでしょうか?
飯田 監督からは、“秋は打ち勝つ”というチーム目標を言われましたからね。とにかく打たないと勝てないという意識を統一することから始めました。打撃練習ではお互いに声を掛けながら、これまでよりも集中してやることを心掛けてきました
西原 新チームはとにかく“打ち勝つ”という意識でやってきました。先輩たちのチームは一発のある4番打者がいましたけど、自分たちには目立った選手がいない。だからみんなでカバーしながらつながる打線を目指して取り組んできました。
―― 新チームの公式戦初戦となった石狩南戦では10対0の6回コールド発進。目指してきた攻撃野球で札幌支部予選は4試合で46得点を挙げる猛打をみせ、全道大会へと駒を進めました
飯田 支部予選は決していい戦い方が出来たとは思いません。得点を取ってリードしたときに、ふっと気が抜けたような感じになってボール球に手を出してしまうことも多かったですから。このままでは全道大会では負けてしまうという思いの方が強かったですね。とにかく得点を挙げられないイニングを少なくすることと、どこからでも点が取れるような打線にすることをもう一度確認して、打ち勝つ野球を徹底しました。
西原 前半に点を取って、集中力が欠けてしまい後半得点できないことがよくあった。それと投手陣も、自分も含めて頼れる投手がいないというのが課題でしたね。
自分は監督から“支部予選は抑え”と言われていたんですが、全然安定感がなくて仕方なく途中から先発もしましたし。下級生も含めて、投手陣がしっかり試合をつくって流れを持ってくるようにしないといけないと思いました。投手陣は打ち勝つために、試合のリズムをつくれるピッチングをしようと確認しあいました。
逆転勝ちで身についた逆境を跳ね返す力
準決勝・駒大苫小牧戦のワンシーン
―― センバツ出場をかけた全道大会では、一戦ごとに力を付けていく。準決勝の駒大苫小牧戦では、2回に4点を奪われる苦しい展開。それでも粘り強く追いついて延長10回、競り勝った。続く決勝でも3回までに4点差をつけられたが、この秋、磨き上げてきた攻撃力で2度のビッグイニングをつくり札幌第一をねじ伏せました。
飯田 準決勝、決勝でいきなり4点をリードされる展開でしたけど、チーム一丸となってひっくり返すことができた。あのときはベンチに“まだまだいける!”というムードがあった。それが新チームになってずっと目指してきたものだったし、秋の段階であのムードをつくれたのがよかった。
ただ、これ以上やらないと上では勝てないとも思いましたけどね。
西原 自分はチームメートに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。一番力を出さないといけない試合で、あんなピッチングしかできなくて…。みんなに助けられました。
準決勝、決勝は感動しました。特に流星(太田、2年)には助けてもらいました。自分がふがいなかった分まで投げてくれた。全道大会では真っすぐの勢いもなかったし、いつもならファウルになるコースがヒットになってしまっていた。
そこでまた力が入ってコントロールもバラバラで、置きにいったところを打たれてしまうということの繰り返し。支部予選で先発を任されていなかったことで自信もなかったのが、そのまま出てしまいました。
―― 西原の不調が他の投手陣に伝染しないように、札幌支部予選、全道大会を通じて細心の目配り気配りをしたのが、女房役でもある飯田主将。試合中はもちろん、練習でも投手の性格に合わせて言葉を変えて、盛り上げ続けました。
飯田 自分は投手に対して、あまり厳しく言うタイプではないんです。
支部予選、全道大会では調子が上がってこなかったんで、受けていて少しでも何かを感じたら、すぐにタイムを取ってマウンドにいくようにしていました。投手によって性格も違うから、声のかけ方もそれぞれ変えていましたね。
決勝戦・札幌第一戦のベンチの様子
―― 全道大会では4試合中3試合が逆転勝ち。新チームを結成してから、練習試合でも逆転勝ちすることが多かった。そんな試合を積み重ねることで、粘り強さやあきらめない気持ち、試合の中での勝負所を見極める感性が磨かれていきました。
飯田 負けている試合でも、ベンチには絶対あきらめないというムードがあった。全員が声を出していたし、いい意味で雰囲気に流されているという感じでした。
でもこれからは雰囲気だけでは勝てない。秋はいろんな勝ち方ができたし、試合をひっくり返すときのベンチのムードをみんなが感じられたことはよかったと思います。まあ、中学の時からベンチにはいい雰囲気があったし、それが全道大会にも出たという感じです。
西原 ビハインドの試合でも、ベンチの士気が落ちることがない。いい雰囲気をつくれたと思います。新チームになってから、練習試合でも逆転勝ちする試合が多かったし、そのムードを公式戦でもつくれたということだと思います。
前編はここまで。次回は明治神宮大会での活躍の裏話や明治神宮大会の優勝後のチームの状況。そして最後には選抜への意気込みを語ってもらった。後編もお楽しみに!
(文・京田剛)