第517回 夏の甲子園は特別で格別。小園・神頭・渡邉の報徳学園三人衆が振り返る「最後の1年」2018年11月04日
【目次】
[1]最悪に近いスタート。何をすべきかを1人1人で考えた
[2]苦しんだ時間が長いからこそ楽しめた夏の甲子園
[3]小園に前主将・前エースが熱くエール!
広島にドラフト1位指名された小園 海斗を擁して夏の甲子園ベスト8に進出した報徳学園。しかし、秋とは春は県大会で敗退し、悔しさを味わっている。彼らはどのようにして最後の夏に甲子園を掴み取ったのか。躍進の立役者となった3年生の3人に、この1年間を振り返ってもらった。
<メンバー>
神頭 勇介(かんとう・ゆうすけ)・前主将・一塁手・176センチ78キロ・右投右打
渡辺 友哉(わたなべ・ともや)・投手・180センチ70キロ・左投左打
小園 海斗(こぞの・かいと)・遊撃手・178センチ79キロ・右投左打
最悪に近いスタート。何をすべきかを1人1人で考えた

左から小園海斗、渡邊友哉、神頭勇介
―― 高校野球3年間お疲れ様でした。3年間の思い出は何かありますか?
神頭勇介(以下、神頭) 最初はしんどかったです。最初はランニングが多くて3年間は苦しいことばかりでした。
―― 昨年の夏に新チームがスタートした時はどうでしたか?
渡邊友哉(以下、渡邊) 強いと言われていた学年だったので、もっとスムーズに勝てるかなと思っていました。春から甲子園に行けるというイメージはありましたが、自分たちのベストを尽くせなかったです。自分の思い通りに一人ひとりがいかなかったので、負けから始まって辛い新チームの始まりではありました。
神頭 最初の関東遠征で5試合して全部負けたんですよ。これはヤバいなと思いました。
―― その時のチームの状態はどうでしたか?
神頭 最悪に近い状態ですね。勝ってこそ自信がつくと思うのですが、その勝ちが遠かったので。どん底まではいかないですけど、けっこう最悪な状態でしたね。
―― 秋で負けた時はどう思いましたか?
渡邊 僕は試合に出ていなくて、見ている立場でした。悔しいというよりも頭が真っ白になったというか、現状があまりよくわからなかったです。試合に負けてから春のセンバツがなくなったんだなということに気づいて、春夏と自分が中心になってやりたいと思いました。
小園海斗(以下、小園) チームの状態が凄く悪くて、負けた時は何も考えられなかったです。冬は長いなと。何も残らないまま冬を過ごすのはどうしたらいいのかなという気持ちでした。

座談会中の神頭勇介
―― 1年生の時と違ってセンバツのない冬でしたが、違いはありましたか?
神頭 だいぶ感じました。
小園 チームの雰囲気も全員がメンバーに入りたいという気持ちがあったので、必然的にチームの練習の雰囲気は良くなっていましたが、2年目は希望がなかったので、きつかったです。
―― それだとやはり冬は色んな意味できつかったですか?
神頭 そうですね、センバツがないとわかっていた冬だったので。少ししてからは春に気持ちを切り替えられたのですが、最初のうちはミーティングを多めにしてチームを段々どん底から上げていくことをやっていました。
小園 話が全然進まなかったです。2時間くらいしていたこともありました。意見もなくてどうしたらいいかみんなわからなくて唖然としていました。
―― モチベーションを保つのが難しい冬をどう乗り切ろうと話したのですか?
神頭 勝ち上がっていくチームよりも先に体作りができるといい方向に考えました。冬はしっかり練習して春には全然違ったチームを作ろうと言ってきました。
渡邊 秋の地区大会と県大会は投手の失点で負けて、投手がいないと言われ続けて悔しい気持ちがありました。みんなでやる練習よりも個人でやる練習が増えて、自分に厳しくなりました。自分の時間が作れて、方向性が自分の中で決まっていい練習ができたと思います。
―― 冬が明けてチームはどう変わったと思いますか?
渡邊 力がないと思い始めていましたが、練習試合で強いチームにも勝つことができ、自信を持って春に臨めたと思います。
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