金足農vs近江 指揮官も「まさか」伝説の2ランスクイズ【名勝負列伝その5】
高校時代の吉田輝星、林優樹
いやはや、驚いた。
2018年夏。第100回全国高校野球選手権大会がクライマックスを迎えようとしている、準々決勝。第4試合、金足農(秋田)は、エース・吉田輝星、近江(滋賀)はレベルの高い4投手がいて、ロースコアの争いとなった。
とくに吉田ときたら、昭和の大投手になぞらえれば、「神様、仏様、吉田様」という存在だ。秋田大会から1人でマウンドを守り、甲子園でも1回戦は鹿児島実を14三振1失点。2回戦、大垣日大(岐阜)を13三振3失点。3回戦は横浜(南神奈川)打線に12安打されながら14三振を奪い4失点。1度もマウンドを譲ることなく、1人で投げ抜いているあたりも昭和っぽい。秋田大会の43回、57三振と合計すると、70回で98三振というから、そのドクターKぶりはべらぼうだ。
最速150キロの球速もさることながら、自分では、ギアが3段階あるつもりです」と本人がいう出力調整も秀逸だ。ストライク先行の「1」、走者を背負うと体をより大きく使って「2」、まっすぐの伸びで空振りを取れる「3」。ギア1段ごとにすごみが増す。「3」段階の、顔を通るようなまっすぐを三振したのが、鹿児島実の好打者・西竜我で、「ストライクだ、と打ちにいったつもりなのに、球が伸びてきて結果的に高めを空振りしてしまう。スピード表示よりも速く感じました」。
チームメイトの菅原天空によると、「野球を知らない人なら、”なんであんなクソボールを振るのか”と思うでしょうが、輝星の球は、手を離れた瞬間はベルトあたりと思える軌道なんです。でも実際は、顔のあたりにくるから振りにいってしまうんです」
捕手の菊地亮太は、「球のキレがすごいので、ミットのひもがすぐ切れる」というから、ただ者じゃない。
だが初戦、前年秋の近畿大会で完敗した智辯和歌山に快勝した近江も勢いに乗っている。前橋育英(群馬)、常葉大菊川(静岡)とビッグネームをいずれも寄り切ってのベスト8進出だ。2年生エースの林優樹を、金城登耶、佐合大輔、松岡裕樹の3人が盛り立て、「”三本の矢”で準優勝した2001年当時より力はある」と多賀章仁監督も手応えを感じていた。
試合は、近江が優位に進めた。金足農・吉田は、連投とあってさすがに球が走らず、4回には住谷湧也の二塁打で1点を先制。金足農は先発の金城に無失点に抑えられていたが、林が満を持してマウンドに立った5回、キャプテン・佐々木大夢のスクイズで追いつく。すると近江はすかさず6回、4番・北村恵吾の適時打で1点勝ち越し。だが吉田はここから、持ち前の3段階ギアを切り替えて、決定的な点を許さない。9回までを7安打2点と踏ん張り、奪った三振は10。4試合連続の2ケタ奪三振で、反撃を待つ。
そして……9回裏の金足農は、横浜戦で逆転3ランの殊勲・高橋佑輔のヒットを皮切りに、無死満塁と願ってもないチャンスをつかんだ。ここで仕掛けたのが、スクイズだ。打席の9番・斎藤璃玖はチーム一バントがうまいし、まずは同点狙いは順当な手だ。そもそも金足農、そして中泉一豊監督は、走者が出たらきっちりバント、というこれも昭和チックなスタイルなのである。1—1からの3球目、斎藤が三塁前に転がした。近江のサード・見市智哉が捕球したときには、三走の高橋はもうホームに頭から滑り込んでおり、まず同点。そして送球が三→一→捕と渡る間に、二塁走者の菊地彪吾も50メートル6秒の足を飛ばしてホームイン。ものの見事に”打点2″の決勝サヨナラツーラン・スクイズが決まったのだ。金足農・中泉監督はいう。
「血が沸いたというか、興奮しましたね。まずは同点にしたかったからスクイズのサインを出しましたが、まさか菊地彪まで還ってくるとは」、中泉監督本人も途中まで気づかなかったという。ただ、「菊地彪は、チームで一番足が速い。内野手がどこでバントを捕ったかを見て走ったと思う。ナイス判断です」。
近江の捕手・有馬諒が、「スクイズは頭にあったけど、二塁走者までは……」というまさかまさかの結末だった。
ちなみに、この日吉田から3安打した近江の2年生・住谷は、4試合13打数10安打の打率.769で個人最高打率の大会記録を30年ぶりに更新している(従来は古閑憲生[津久見・大分]の.727=11打数8安打、1988年。ベスト8以上)。
もうひとつちなみに、この住谷と左腕・林は20年、社会人野球の西濃運輸に入社し、今季がドラフト解禁年にあたる。林は今年の都市対抗初戦(ENEOS戦)に3番手で登板。チームは敗れたが2回を投げて1失点の結果だった。今夏の後輩の活躍に刺激を受けているに違いない。
(文=楊 順行)