聖光学院×広陵

 思わぬ形で点が入ったのは、聖光学院(福島)7回の攻撃だ。

 2010年、第92回全国高校野球選手権大会。屈指の名勝負は、第6日の聖光学院広陵(広島)。2回戦だが、どちらもこの大会の初戦。聖光学院歳内 宏明広陵有原 航平の両先発ともに万全なコンディションが、極上の投手戦を演出する。

 6回まで、歳内が4安打2四球で無失点なら、有原は2安打無四球で三塁を踏ませない。センバツでベスト4の原動力となった有原は、まあ実力通りだ。センバツ後にヒジ痛に苦しんだが、広島大会では22回を投げて3失点、28三振。球速は145キロ超えと、これはもう完全復活である。

 驚きなのは聖光学院の2年生、歳内だ。春から登板機会を増やし、夏の大会前にスプリットを習得すると一躍主戦に。福島大会では29.1回を投げて35三振を奪い、わずか1失点だ。

「(スプリットは)高さも調節できますし、カウントを稼ぐのにも投げ分けられる。握りはそのままで、投げ方を少し変えれば、シンカーのような変化もします」

 と本人のいう魔球は、斎藤智也監督によると「握りはほぼフォークですよ。県大会からは、はさむ深さによって微妙に軌道を変えることを覚えたようです」ということになる。

 歳内の最大のピンチは6回。2死一、二塁から同じ2年の好打者・丸子 達也に二塁左を破られた場面だ。均衡、破れるか——。

 だがここは、本塁を狙った二塁走者が外野からの好返球に憤死。丸子は、この1安打はあるものの歳内から2三振を喫し、「低めに手を出してゴロを打たされるのを警戒したんですが、球の見極めが甘かった」と、スプリットのキレに脱帽だ。

 そして迎えた、7回。聖光学院は足をからめた2本のヒットで1死一、三塁のチャンスをつくる。後続の一塁ゴロで2死二、三塁の場面。打席の聖光・星祐太郎は有原の147キロ低め直球を空振りする。スリーストライク。だが、地面すれすれのこの球を、広陵の捕手・新谷淳が捕り切れない。これが痛恨の暴投となり、なんとなんと振り逃げで聖光学院に虎の子の1点が入った。

「抑えてやろう、という気持ちが強くて、力んでしまったかもしれません。いろいろな人たちに支えてもらったから、夏こそ日本一と思っていたんですが……でも、力は出せた」と有原はいうが、その後も広陵打線は歳内を打ちあぐね、試合はそのまま1対0。

 歳内が「100点満点」と自賛する5安打完封には、広陵・中井哲之監督も、「先頭打者を出せず、なかなか三塁を踏めず、本当にうまいピッチングをされました」と脱帽だ。

 歳内は、続く履正社(大阪)との一戦では一転、最速142キロの直球を主体に10奪三振で2失点完投(ただし、山田 哲人にはソロ本塁打を浴びている)。準々決勝で、春夏連覇する興南(沖縄)に敗れたが、聖光学院にとっては自信となった大会だ。斎藤監督が述懐する。

「野球の神様は、乗り越えられる壁しか用意しないっていいます。ウチが負けるのはなぜか、全国制覇経験のあるチームが多いんですよ。だけどそれは、われわれへの問題提起だととらえています」

 なるほど、たとえば夏はこの年が4年連続出場だった聖光学院だが、敗れた相手を見ると07年が広陵、08年横浜(南神奈川)、09年PL学園(大阪)……ついでにいえば08年春は沖縄尚学、この夏は興南と、確かに、優勝経験校がずらりだ。

 この大会も、抽選の結果、初戦の相手が広陵となり、内心は「あちゃ〜」だったという。なにしろ広陵のエース・有原は、この世代ナンバーワンの呼び声が高かったのだから。それが、かたちはどうあれ1対0の勝利。斎藤監督はいう。

「試合のあと、中井監督が"日本一になってください。それにふさわしいチームです"といってくれたんですよ。それがうれしかったですね」

 その後も聖光学院は、たとえば15年夏には、優勝する東海大相模(神奈川)に初戦で敗れるなど、難敵が立ちふさがり、甲子園では8強の壁が分厚い。ただ逆をいえば……その壁を乗り越えれば、東北勢初の日本一が見えてくるのかもしれない。

(文=楊 順行)