
2007年8月22日、第89回全国高校野球選手権、決勝。広陵(広島)の野村 祐輔投手(現広島)は、スライダーが絶品だった。7回まで、佐賀北打線をわずか1安打、10三振だからほぼ完璧だ。7回を終わって4対0。なぜか40年ごとに夏の決勝に進出する広陵にとって、念願の初優勝はすぐそこだ。
力のあるチームだ。打線には土生 翔平(元広島)、2年生の上本 崇司(現広島)らがいて、守りの要は野村と小林誠司(現巨人)のバッテリー。小林は、中学時代はピッチャーだった。1年生大会に敗れた帰りのバスで、中井哲之監督から捕手転向を指示された。
「"やったことないです"というと、"野球だって、最初からしたことあるヤツはそもそも一人もおらん。ええじゃろ、オマエはあんまり打てんけぇ"(笑)」
エース候補には野村がいるが、この年代は捕手が心許ない。そこで目をつけたのが、小林の強肩だ。
センバツの広陵は、8強に進出。野村は、延長12回を自責0の完投で成田(千葉)の唐川 侑己(現ロッテ)に投げ勝ち、北陽(現関大北陽・大阪)にも8.1回を無失点だ。だが、帝京(東京)との準々決勝。満塁弾など6安打を集中され、初回に6失点と炎上した。この完敗に中井監督は、野村の背番号1をはく奪し、6をつけさせた。一挙6点の屈辱を忘れるな、というわけだ。
そのお灸が効いたか、夏の広島大会の野村は、5試合31.2回を投げて38三振、5失点と抜群の安定感。帝京戦で「力みすぎて球が浮いた」(野村)反省から、力を抜く投球を覚えたのが進歩だ。とりわけ広島大会で有効だったのはスローボールで、小林によると、「野村から、"スローボールを練習したい"といいだした」。一見簡単に見えるが、スローボールをきちんとストライクゾーンに投げるには、しっかりしたフォームが求められる。つまり、目的の1つはフォーム矯正だ。さらに、
「スローボールで、投球の幅が広がる。と。打者はミスショットがもったいなく、手を出しにくいのでカウントを稼げるし、もし手を出して1球で打ち取れたら、投球が楽になりますから」(小林)
甲子園でも、全員が積極的にフルスイングしてくる常葉菊川との準決勝で効果的に使い、強力打線を3点に抑えていた。
さて、佐賀北との決勝。広陵は7回、そこまで甲子園で無失点の佐賀北・久保 貴大から2点を奪って4対0とした。主将の土生でさえ「正直、優勝できる」と思ったように、ナインが優勝を意識するのもまあ、無理はない。なにしろ野村は尻上がりで、4〜7回と1人の走者も出していないのだ。
8回、広陵の守りも1死。打席には、甲子園の14打席で無安打の8番・久保が入った。誘うような初球のスローボールが、三遊間にはじき返される。小林はのち、こう悔やんだ。「強打者ならまだしも、ノーヒットの8番に対しては根拠のないリードでした。常葉菊川戦で効果的だったという印象が強すぎたのかもしれません」
佐賀北は代打・新川勝政が右前打で1死一、二塁とすると、空気が変わった。三塁側アルプスでは、佐賀北のスクールカラーであるグリーンのメガホンとタオルが揺れ、スタンドもそれに乗る。おりしも、特待生問題で揺れたこの07年。特待生とは縁のない県立校と、私学強豪の決勝なら、「佐賀北頑張れ」ムードが圧倒的だ。その肩入れは野村がのち「俺たちは応援されてないのか、と思いました」と振り返るほど、異様な空気圧となった。
そのせいか、野村の微妙なボールに、球審の右手がなかなか上がらない。野村が「えっ?」という表情をし、小林は悔しそうにミットで地面を叩く。ボールが先行するたび、なにかが起きそうなムードが盛り上がる。辻尭人四球で1死満塁のあと、井手和馬も四球で押し出し、佐賀北が4対1とした。そして1死満塁、打席には副島 浩史が入る。ここまで、甲子園で2本塁打している3番。佐賀北には願ってもない打順だ。
それでも、野村と小林のバッテリーは、それほど動揺していたわけではない、という。3回戦で敗れた聖光学院の斎藤智也監督が「ストレートとスライダーだけならまだ対応しようがあるけど、あれだけ球種が多彩では……」とお手上げだったように、「ひとつの球種ではなく、すべての球で打ち取るのが理想」というのが野村のスタイルだ。だから副島を迎えても、「それまでの打席で2三振とスライダーには合っていない。満塁だし、引っ掛けさせてゲッツーがベスト」だと計算していた。
初球、ファウル。2球目は、ちょっとのけぞる近めのボール。セオリー通りなら外のスライダー、と副島の頭脳がはじく。そして……小林の思考回路もそのセオリーにはまる。
「審判の(厳しい)ジャッジもあったし、野村のスライダーは、わかっていても打てないだろう。真ん中に投げてこい!」
そのスライダーに踏み込んで反応した副島がバットを一閃すると、打球は美しく大きな弧を描き、左翼スタンドに一直線に飛び込んだ。二塁塁上にいた佐賀北・辻さえ、「マンガみたいなことが起きた……」と仰天する、まさかまさかのグランドスラム。5対4、佐賀北逆転——。"がばい旋風"が吹いた。
野村はのち、こんなふうに回想している。
「あそこでスライダーを投げたのも、スローボールを投げたのも、僕の人生。あの舞台を経験できたので、強くなれた。僕も小林も、プロに入る夢を果たせたので、いい経験をさせてもらったのかなと思います」
甲子園での満塁ホームランは、これまでの長い高校野球史で、夏52本、春26本飛び出している。だが、春も夏も「それ」を打たれたのは、この野村ただ1人である。
(文=楊 順行)