Column

中井哲之(広陵監督)②「就任わずか1年での全国制覇の裏側」

2022.01.30

 昨年秋の明治神宮大会で準優勝に輝いた広島広陵(広島)は、今センバツ出場を決めた。「名監督列伝」第2弾は、その広島広陵を率いる中井 哲之監督。もう30年以上もチームを率いている。センバツ優勝2回、夏甲子園準優勝2回。春夏通算で19度も甲子園のベンチに座った。名将はいかにして名将になったのか。今回は監督として初めて挑んだ甲子園を振り返る。

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これまでのシリーズはこちら

■第1回
「寝耳に水だった監督就任」

中井哲之(広陵監督)②「就任わずか1年での全国制覇の裏側」 | 高校野球ドットコム名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

わずか1年で聖地へ

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2012年の取材時から

 1990年3月、広島広陵の監督に就任したとき、中井 哲之は満27歳。当時の広島広陵は、中井が高校3年だった80年以来、センバツは84年に出場があるものの、夏の甲子園からは遠ざかっていた。名門再建への大役。最初は「なにかのミスだろう」と思ったが、いざ、肚(はら)をくくると指導面に問題はなかった。選手にとっても、外部から新監督がくるわけではなく、きのうまでの鬼コーチが監督になったという話だ。

 初めての春の広島大会は、幸先よく準優勝し、夏は優勝候補の一角に数えられていた。しかし…。2回戦で山陽に6対7で敗退する(ちなみにこの試合後、「名門の青年監督」をテーマに、地元テレビの取材レポーターとして中井にマイクを差し出したのが、のちの奥様である)。

 この敗退翌日にスタートした新チームには、勢いがあった。投手には右の本格派・小土居 昭宏に加え、1年生の塩崎 貴史も台頭。打線も、旧チームから出場していた1年生が中軸に座る。秋は広島で準優勝し、中国大会では小土居が2試合を完投し、決勝は塩崎が県大会決勝で敗れた瀬戸内を完封して優勝。広島広陵は翌91年、中井監督就任1年で7年ぶりのセンバツ出場を果たすことになる。

 三田学園(兵庫)との初戦は降雨引き分け再試合となり、前日は出場していなかった背番号10の田岡 幸治の先制2ランなどで8対2で快勝。春日部共栄(埼玉)との2回戦は、橿渕 聡(元ヤクルト)ら力のある打線に対し、塩崎—小土居のリレーで4対2。準々決勝は小土居が鹿児島実に2失点で完投し、準決勝は山梨市川(山梨)の好投手・樋渡 卓哉を攻略。決勝の相手は松商学園(長野)だった。65年前、広陵中が初めて優勝したときの決勝と同じ顔合わせである(松商学園は当時、松本商)。

[page_break:開き直って流れが変わった]

開き直って流れが変わった

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2017年の取材時より

 第63回選抜高校野球大会の決勝は、1991年4月5日に行われた。7回裏の攻撃を迎える時点で、2対5と3点差。広島広陵打線は、3試合連続完封の上田 佳範(元日本ハムなど)を打ちあぐみ、試合の流れは7回表にソロホームランの出た松商学園にあった。だが、7回の広島広陵。先頭の代打・田淵 晶一が四球を選び、続く山本 真一郎の打球は三遊間を破る。バントで送った1死二、三塁から村上 啓志が中前に2点適時打し、3連投の上田をマウンドから引きずり下ろした。

「7回で3点差でしょう。勝負をあきらめはしなくても、開き直れたんです。負けることが、なにも怖くない。そうすると不思議なもので、流れが変わる。そして、代わった投手から篠原 正道が中前打して、同点に追いつくんです」

 中井はそう、振り返る。さらに、8回から塩崎を救援した小土居が松商学園打線を抑え、迎えた9回裏だ。2死から二岡聡のヒット、島村 健一が四球の一、二塁のチャンスに、打席には八番・下松 孝史

「この選手は、あまり打力がないんです。スタメン中もっとも小柄で、日ごろの打撃練習では、外野がバックする当たりさえほとんどありません。それがセンバツ初戦の三田学園戦、もし点が入らなかったら、降雨コールド負けもありえた2点差の8回、なんと同点2ランです。生涯初めての、オーバーフェンスだったらしいですよ。そういうラッキーボーイに、サヨナラの場面で打順が回るんですから、流れというのはおもしろいですね」

 下松が左打席から放った当たりは、降板してライトに入り、バックホームに備えて前進していた上田の頭上に飛ぶ。捕れるか…。越えた。二塁から二岡がホームを踏む。決勝では12回目のサヨナラ劇で、広島広陵が65年ぶりの優勝を遂げる。中井が監督になってから、わずか1年ちょっとでの全国優勝だった。

[page_break:二岡の部屋には「私物がなかった」]

二岡の部屋には「私物がなかった」

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2021年の神宮大会から

 「当時の試合を映像で振り返ると、若いし、思い切りよく感じたままやっていますね。なにしろ5試合ともすべて打順が違うし、たとえば田岡のように抜擢した選手が結果を出したり、ピッチャーにしても、塩崎がワンバウンドを投げたらスパッと小土居にスイッチしたり……。怖さ知らずで、思い切った起用ができ、ラッキーボーイが入れ替わり立ち替わり出てくれました。私は思うんですが、日常がちゃらんぽらんな子には、ラッキーボーイにならない、というかなってほしくない。練習に手を抜かず、勉強も懸命で、日常も誠実。そういう選手だからこそ、起用すると結果を出してくれるんですね」

 中井が指導者、というより教師を志したのは、「教わった先生にかわいがられた」記憶からだという。大阪商大に進んだのも、教員免許を取得しやすいからだ。さらに、母校で教育実習を経験すると、後輩を甲子園に連れていく手助けをしたいと思うようになる。そして大学を卒業しても聴講生として1年残り、社会科教諭の免許を取得。新米教師として広島広陵に赴任するのが、86年のことである。
 同時に野球部のコーチに。監督には、中井の現役時代の松元 信義氏が復帰していた。その松元氏から「○○中学にすごい選手がおるらしい。勉強じゃ思うて見てこいや」との指示で、○○中学に足を運んでみると……。

「顧問の先生に来意を告げると『広島広陵? どこですか、その学校』。門前払いです。確かに、甲子園からは遠ざかっていましたけど、それにしても、広島県で野球の指導をしていれば広島広陵を知らないはずはないでしょう。それが『どこですか』とは…。甲子園から遠ざかると、そういう目で見られるのか、よ〜し見とけよ! と。指導者生活は、そういう意地から始まったんです。

 高校生を教えるのに、戸惑いはなかったですね。大学のときも、オフになったらグラウンドに顔を出して練習を手伝っていましたし、教育実習のときにも、大学の聴講生時代も、週末に時間があればそうしていたから、勝手は知っていました。それより当時は、われわれの時代より改善されたとはいえ、まだ厳しい上下関係が残っていてね。コーチ時代は、1年365日を寮に泊まり込み、部員たちと生活をともにしました。そうすれば、理不尽なことも減るでしょうから。

 また寮での日常の生活ぶりは、グラウンドにも表れます。ですから靴をそろえよう、ゴミを拾おう、食器は自分で下げよう、きちんと整理整頓しよう、と。最低限の日常生活心得を徹底するところから始めました。毎日、全員の部屋を見て回りましたね。監督になってからも、ときどきは寮に泊まりましたよ。驚いたのは、二岡 智宏(元巨人ほか)の部屋。布団と勉強用具、野球関係のもの以外、一切といっていいほど私物がないんです。野球への取り組みという点でも、二岡は飛び抜けていましたね。練習の質、量ともにスキがないし、自主練習をするとなると、自然に全員がついていく。

 のちに巨人でスター選手になっても、オフには必ず、真っ先にグラウンドにきてくれました。親御さんなどは『家に帰るよりも先に、まず先生のところへ行くんですよ』と苦笑していたくらいです」

 その二岡の入学直前、92年のセンバツには連続出場を果たした広島広陵だが、「新米監督は、やはりすぐに壁にぶつかりました」。センバツに優勝した夏は広島のベスト4止まり。さらに95、98年の夏などは初戦敗退と、なかなか勝ち上がれない。そのころの広島では、ライバルの広島商をしのぐ勢いで他校もめきめき力をつけてきた。山陽西条農高陽東如水館…。広島商に勝てば甲子園はすぐそこという時代ではなく、広島広陵は93年から99年まで、またも春夏の甲子園から遠ざかった。

「名門だけに、ちょっと甲子園に出ないと低迷、低迷といわれます。腹の中では、なにが低迷じゃ、OBはみんな大学とかで活躍しとるじゃろ、と思うんですが、正直いって、やっぱり、中井じゃダメだ、という声が耳に入ると、相当ストレスでしたね」

 さまざまなことに取り組んだ。センバツ出場につながる秋の中国大会こそ、7年間で5回出場しているが、あと1歩届かない。なにが足りないのか。ものの考え方やとらえ方を変えようと、メンタルトレーニングを導入したのはこのころだ。そして、ようやく秋の中国大会で優勝するのが99年。翌2000年のセンバツ出場が、8年ぶりの甲子園だった。(第3回へ続く)

(記事:楊 順行

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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