目次

[1]わずか1年で聖地へ
[2]開き直って流れが変わった
[3]二岡の部屋には「私物がなかった」


 昨年秋の明治神宮大会で準優勝に輝いた広陵(広島)は、今センバツ出場を決めた。「名監督列伝」第2弾は、その広陵を率いる中井 哲之監督。もう30年以上もチームを率いている。センバツ優勝2回、夏甲子園準優勝2回。春夏通算で19度も甲子園のベンチに座った。名将はいかにして名将になったのか。今回は監督として初めて挑んだ甲子園を振り返る。

これまでのシリーズはこちら
■第1回
「寝耳に水だった監督就任」

名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

わずか1年で聖地へ


 1990年3月、広陵の監督に就任したとき、中井 哲之は満27歳。当時の広陵は、中井が高校3年だった80年以来、センバツは84年に出場があるものの、夏の甲子園からは遠ざかっていた。名門再建への大役。最初は「なにかのミスだろう」と思ったが、いざ、肚(はら)をくくると指導面に問題はなかった。選手にとっても、外部から新監督がくるわけではなく、きのうまでの鬼コーチが監督になったという話だ。

 初めての春の広島大会は、幸先よく準優勝し、夏は優勝候補の一角に数えられていた。しかし…。2回戦で山陽に6対7で敗退する(ちなみにこの試合後、「名門の青年監督」をテーマに、地元テレビの取材レポーターとして中井にマイクを差し出したのが、のちの奥様である)。

 この敗退翌日にスタートした新チームには、勢いがあった。投手には右の本格派・小土居 昭宏に加え、1年生の塩崎 貴史も台頭。打線も、旧チームから出場していた1年生が中軸に座る。秋は広島で準優勝し、中国大会では小土居が2試合を完投し、決勝は塩崎が県大会決勝で敗れた瀬戸内を完封して優勝。広陵は翌91年、中井監督就任1年で7年ぶりのセンバツ出場を果たすことになる。

 三田学園(兵庫)との初戦は降雨引き分け再試合となり、前日は出場していなかった背番号10の田岡 幸治の先制2ランなどで8対2で快勝。春日部共栄(埼玉)との2回戦は、橿渕 聡(元ヤクルト)ら力のある打線に対し、塩崎—小土居のリレーで4対2。準々決勝は小土居が鹿児島実に2失点で完投し、準決勝は市川(山梨)の好投手・樋渡 卓哉を攻略。決勝の相手は松商学園(長野)だった。65年前、広陵中が初めて優勝したときの決勝と同じ顔合わせである(松商学園は当時、松本商)。