Column

中井哲之(広陵監督)①「寝耳に水だった監督就任」

2022.01.23

 昨年秋の明治神宮大会。決勝の舞台に広島の広島広陵ナインがいた。試合では大阪桐蔭の力の前に敗れはしたが、準優勝ナインを誇らしげにながめる男がいた。「名監督列伝」第2弾は広島広陵・中井 哲之監督。もう30年以上もチームを率いている。センバツ優勝2回、夏甲子園準優勝2回。春夏通算で19度も甲子園のベンチに座った。名将はいかにして名将になったのか。まずは、時計を監督就任時に戻す。

中井哲之(広陵監督)①「寝耳に水だった監督就任」 | 高校野球ドットコム名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

寝耳に水だった監督就任

中井哲之(広陵監督)①「寝耳に水だった監督就任」 | 高校野球ドットコム
中井 哲之監督(広陵)=2013年の試合より

 「哲っちゃん、野球部の監督になったん?」

 広島広陵・中井 哲之監督は、その日をよく覚えているという。1990年3月19日の職員会議。各自の机には、1年1組の担任はだれ、剣道部の顧問はだれ……と新年度の職掌分担が書かれたプリントが置いてある。中井が席に着くと、一足先にプリントを見たとなりの先生がいうのだ。

「えっ、監督? そんなバカな、なにかの間違いじゃろう……と思ってプリントを見たら、本当に”野球部監督 中井哲之”と書いてあるんですよ。それでもすぐには信じられず、絶対なにかのミスだと思いましたね」

 広島広陵は現在、甲子園通算72勝44敗。センバツでは優勝3回、準優勝も春3回、夏4回を誇る強豪校だ。だが、同じ広島県内には人気、実力を二分する広島商もある。通算成績は62勝36敗だから広島広陵が上回るが、広島商は夏6回、春1回と優勝回数では全国3位タイ。73年にはセンバツ準優勝、夏優勝という好成績で、88年夏にも6回目の優勝を果たしている。その73〜80年の広島広陵といえば、中井が在学中の80年春夏と、84年春に甲子園に出場しているのみ。その時期、ライバルに水をあけられていた。

 そういう90年、当時27歳の「若僧」が監督に就任するのである。戸惑うのも無理はない。なにしろ、大阪商大を経て母校に赴任したのが86年のこと。コーチ歴は4年に過ぎず、年上のコーチもいる。なにより、しばらく甲子園からは遠ざかっているとはいえ、当時で創部80年が間近、全国優勝も経験し、OBには野球殿堂入りのレジェンドもいれば、プロ野球選手も数え切れないほど出ている古豪なのだ。にわかには信じられなくても無理はない。

 なにより「あんな若僧が監督? だめだめ」と、そうそうたるOBやファンが黙っちゃいないだろう。なにかの間違いであってほしい、と尻込みしたくなったが、もう決まっている人事だから、の一点張りでとりつく島もない。これが、広島広陵・中井 哲之監督の始まりだった。

[page_break:広商、崇徳に憧れた少年時代]

広商、崇徳に憧れた少年時代

中井哲之(広陵監督)①「寝耳に水だった監督就任」 | 高校野球ドットコム
中井 哲之監督(広陵)=2017年の取材より

 広島市の西隣の廿日市市(88年までは廿日市町)で育った。ミスター赤ヘル・山本浩二氏は、廿日市高校のOB。野球が盛んな土地といっていい。中井少年も当然のように野球を始めた。小学校4年のとき、県大会決勝で完全試合を食らい、敗退。同時に監督も辞任すると、父が広島広陵OBの監督を探してきた。廿日市で小さな電気店を営んでいる父は、根っから野球好きで曲がったことが嫌い。「こんな負け方のままチームがなくなったら、子どもたちは一生傷ついたままやき」と、一肌脱いだわけだ。

 こんな話を聞いた。中学時代、いつも同級生をいたぶるいじめっ子がいた。見るに見かねた中井が助太刀に入り、取っ組み合いのケンカになった。相手の親が学校にねじ込んだのか、何人もの先生が中井家に飛んでくる騒ぎに。「対応した父は、いちおう殊勝な顔で先生の話に相づちを打つんですが、先生方が引きあげると『で、オマエ、勝ったんか?』。私がうなずくと、『そうか、ようやった!』です(笑)」。男気の人、なのである。

 その後進んだ廿日市中学で中井は、エースで3番を打つことが多かった。

「足も肩も、打力も自信があった。なにしろ、体育の成績はいつも10。学年で、男女各1人しかいない満点だから、運動能力はあったと思います」

 進路を考えるようになると、頭に浮かんだのが広島商である。73年、センバツでは怪物・江川 卓を準決勝で倒して準優勝し、夏には全国制覇。小学5年生だった中井は、優勝パレードを実際に見たのか、ニュースで見たのか定かじゃないが、とにかく「すげえなあ」。プロ野球では、地元のカープよりもジャイアンツびいきだったほどだから、強い者へのあこがれがある。以来、「広商」の一員として甲子園で戦うのが夢になり、「広商」の運動会や文化祭にまで遊びに行っていたという。

 中学2年になる76年には、やはり地元・広島の崇徳がセンバツを制した。黒田 真二(のちヤクルト)をエースに、山崎 隆造(のち広島)らの個性派がいて、「広商」とはまた違ったスケールの大きさを感じさせるチームだった。中井少年は、進路を迷いに迷う。伝統を誇り、戦術的で緻密な「広商」か。圧倒的な力で日本一になった崇徳か。市街地にある広島県工も、実力は侮れない……。

 そのころの広島広陵は、広島市街地に近い南区の宇品から、73年に現在の安佐南区沼田町に校舎を移転したばかりだった。71年に広島市に編入した郊外で、いまでこそアストラムラインで市の中心部と直結しているが、移転当時はバスが1日数本ほど。通うのに不便だと学校の人気も落ち、生徒数は600人前後まで減った。野球部も当然、足並みをそろえるように低迷期に入る。なにしろ、生徒が入学してくれないのだ。中井少年にとって、広島広陵という進路は選択肢はない。

 そんなときである。当時の広島広陵の校長が、中井の評判を聞きつけ、家に訪ねてきた。そして「伝統ある野球部を、なんとか立て直したい。そのためには、息子さんの力が必要なんです。ぜひとも、広島広陵に……」と、熱っぽく語る。

「私は広商か崇徳でやりたかったんですけど、オヤジの性格なら、絶対にこの申し出を意気に感じるんですよ。案の定、『校長先生自らここまできて、お前みたいなガキに礼を尽くしてくださるんじゃ。いますでに強い学校に進んで甲子園に行くのと、助けてほしいといっている学校で甲子園を目指すのと、どっちが男のやることか分かるよの?』。この一言で、私の野球人生が決まったといってもいいですね」

 かくして中井は、「広商」でも崇徳でもなく、広島広陵に進学することになる。78年のこと。昭和でいえば53年にあたる。下級生の間は、その時代特有の理不尽な上下関係に耐えるしかない。なんでも、70人ほど入部した同級生は、最終的には13人まで減ったというから、練習はもちろん、しごきやいじめの厳しさが想像できる。79年秋、中井たちが2年の新チーム。「こんな目に遭っても耐えるのは、甲子園に行くため。行けなかったら馬鹿馬鹿しいぞ」というエネルギーで、広島広陵は秋季中国大会を制覇し、翌年のセンバツ出場を確定的にした。

[page_break:「ずるをした」センバツでの初戦]

「ずるをした」センバツでの初戦

中井哲之(広陵監督)①「寝耳に水だった監督就任」 | 高校野球ドットコム
中井哲之監督(広陵)=2019年の取材より

 広島広陵にとって10年ぶりだった、その80年センバツは、ことごとく好投手と当たった。まずは、西本 和人(元西武)のいた東海大四(現東海大札幌・北海道)。ここをサヨナラ勝ちすると、2回戦は九州学院(熊本)の園川 一美(元ロッテ)。5安打に抑えられたが、広島広陵もエース・渡辺 一博がそれを上回る2安打完封で1対0。諫早(長崎)との準々決勝は、9回の犠飛でこれもサヨナラ。準決勝では、「球道くん」こと高知商中西 清起(元阪神)に1対5と抑えられたが、久々の出場でベスト4は上出来だ。

 中井から聞いたこの大会の話でおもしろいのは、初戦のサヨナラ勝ちである。9回表に2点差を追いつかれ、同点となったその裏、広島広陵の攻撃。1死二塁とサヨナラのチャンスで、打席には1番の中井が入った。だがここで、捕手がボールを弾いたのを見て三塁を狙った二塁走者が、間一髪アウト。

「これで2死走者なしですが、私の目からはセーフに見えました。実際、アウトを告げられた鳥居順一が泣いているんですよ。よ〜し、なんとかオレがもう1回チャンスを、と思いましたね」

 その通り、中井は四球を選ぶとすかさず盗塁した。2死二塁、再びサヨナラのチャンスだ。だが次打者・川口 幸伸は、ぽんぽんと追い込まれる。流れが悪い、と感じた中井は、思わず二塁塁審に申し出た。「目に土が入ってコンタクトがずれたので、タイムをお願いします」。実は、土など入っていない。だが、なんとか間を取って、ちょっとでも流れを変えたい。その一心で目をパチパチさせ、さも土が入っているという演技をしたのだとか。

 うまいことに、頭から二塁に滑り込んだので、目に土が入るのはありえる。ただ、盗塁成功のあとにすでに2球投げているから、そこで急に目に土が入ったふりをするのは、いかにも不自然だ。それでもタイムは認められ、中井はいったんベンチに戻ると、必要もないのに丁寧に目を洗い、タオルでふき、「治りました! ありがとうございます」と二塁に戻った。そのとき、ベンチの松元 信義監督が打席の川口に、「次も絶対まっすぐじゃけえ、目をつぶってでも振ってこい!」と声をかけるのが聞こえた。

 その直後。西本の外角速球に食らいついた川口の打球がライト線に落ちる。二塁から中井が還る。広島広陵、サヨナラ勝ち——。中井は振り返る。

「まあ、ずるをしたわけです。いま指導者としては、生徒たちに”まっすぐに生きろ、正直であれ”と言っているんですけどね(笑)。それにしても、甲子園初戦という、せっぱ詰まった場面で、よくあんな演技をしたものです。いや〜な流れをなんとか変えたかったとはいえ、くそ度胸があるのかバカなのか、自分でもよく分かりません」

 優勝する高知商に敗れはしたものの、ベスト4。チームは大いに手応えをつかむと、その年の夏も決勝で広島商に勝ち、甲子園に出場。ここでもベスト8まで進んだ。広島広陵の夏の出場は8年ぶり、春夏連続となると12年ぶりのことだった。中井監督が誕生するのは、これから10年後のことになる。(第2回へ続く)

(記事:楊 順行

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

関連記事

応援メッセージを投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

RANKING

人気記事

2024.03.27

報徳学園が投打で常総学院に圧倒し、出場3大会連続の8強入り

2024.03.27

青森山田がミラクルサヨナラ劇で初8強、広陵・髙尾が力尽きる

2024.03.28

大阪桐蔭、大会NO.1右腕に封じ込まれ、準々決勝敗退!2失策が失点に響く

2024.03.28

中央学院が春夏通じて初4強入り、青森山田の木製バットコンビ猛打賞も届かず

2024.03.27

【福岡】飯塚、鞍手、北筑などがベスト16入り<春季大会の結果>

2024.03.23

【春季東京大会】予選突破48校が出そろう! 都大会初戦で國學院久我山と共栄学園など好カード

2024.03.24

【神奈川】桐光学園、慶應義塾、横浜、東海大相模らが初戦白星<春季県大会地区予選の結果>

2024.03.23

【東京】日本学園、堀越などが都大会に進出<春季都大会1次予選>

2024.03.27

報徳学園が投打で常総学院に圧倒し、出場3大会連続の8強入り

2024.03.22

報徳学園が延長10回タイブレークで逆転サヨナラ勝ち、愛工大名電・伊東の粘投も報われず

2024.03.08

【大学野球部24年度新入生一覧】甲子園のスター、ドラフト候補、プロを選ばなかった高校日本代表はどの大学に入った?

2024.03.17

【東京】帝京はコールド発進 東亜学園も44得点の快勝<春季都大会1次予選>

2024.03.11

立教大が卒業生の進路を発表!智弁和歌山出身のエースは三菱重工Eastへ、明石商出身のスラッガーは証券マンに!

2024.03.23

【春季東京大会】予選突破48校が出そろう! 都大会初戦で國學院久我山と共栄学園など好カード

2024.03.01

今年も強力な新人が続々入社!【社会人野球部新人一覧】