伝説の智辯和歌山戦、そして最後の甲子園となった11年夏



前田三夫監督(帝京)*2020年夏季東東京大会優勝監督インタビュー

 そして、2006年夏。

「これなんだよな、求めていたのはこういう空気なんだ……」

 前田さんは、そう思ったそうである。この夏の甲子園。帝京は、智辯和歌山と準々決勝を戦っていた。劣勢だ。4点を追う9回の攻撃も一、二塁に走者がいるが、すでに2死。だがここから中村 晃(現ソフトバンク)、杉谷 拳士(現日本ハム)らがつなぎにつないだ。5連打。ハデな当たりは1本もない。泥くさく、ひたむきに食らいつき、野手の間を抜く単打ばかりだ。5点を奪って土壇場から逆転し、6連打目が3ランホームラン。帝京は、4点差をはね返すどころか、つごう8点を奪って4点差をつけた。前田さんはいう。

「その攻撃中ね、お客さんが拍手をし、立ち上がり、声をそろえ、甲子園が揺れるのがわかるんです。ヒットが続くごとに、それが大きくなっていった。スタンドが一体になってくれている……甲子園で何十試合もやったけど、あんな経験は初めてでしたね」

 球史に残るこの名勝負は結局その裏、智弁のこれまたミラクルな反撃で再逆転されてしまうのだが、点差が開いても最後まであきらめない姿勢は、スタンドに共感を自然発生させた。近年の甲子園でも、劣勢のチームが反撃の兆候を見せると客席から拍手がわく。だけどその肩入れは、イベントに参加している自己満足の表現みたいで鼻につく。あの試合はそうではなく、野球好きならふるえてしまう共感が確かにあった。

「その晩は、眠れませんでしたよ。勝負としては、あんな悔しいゲームはない。だけど、見ている方も、ひたむきで、あきらめない姿勢に一体になってくれている……それがわかったのは、満足でしたね」

 帝京はその後も強豪であり続け、松本 剛(現日本ハム)らのいた11年夏には、大谷 翔平(現エンゼルス)が2年だった花巻東(岩手)と対戦。8対7で勝利しているが、

「あの大会の大谷君は故障もあり、ピッチャーというより野手。レフトにフェン直の二塁打を打たれたんですが、逆方向にあの当たり、そして走る姿……とてつもない選手、いや、アスリートだと思いましたね」

 この大会は続く2回戦、3点リードの9回に満塁ホームランを浴びるなどで、八幡商(滋賀)に敗れた。それが前田さんの、最後の甲子園だった。監督生活50年で甲子園51勝は、平均して毎年1勝ということになる。そして、全国制覇3回。繰り返しになるが、「高校も大学も3期生で、名前が三夫、3に縁があるんですよ」という前田さんの言葉を思い出した。

(記事:楊 順行)