空中分解寸前からの全国V、「自主性」との葛藤



前田三夫監督(帝京)*2020年夏季東東京大会 目黒学院戦

 夏2度目の優勝が95年。実は、空中分解寸前からのVだった。6月の練習試合でふがいない負け方をすると、ただでさえ厳しい練習はさらに壮絶になった。ときに、夜の12時近くまで続くと、終電に間に合うように、全員が駅までダッシュした。やがて耐えかねた数人の主力メンバーが練習をボイコットし、部を離れる者もいた。なにやら監督就任当初を思い起こさせるが、本番目前での主力の造反だから当然、チームはめちゃくちゃになる。下級生中心に、一からつくり直しを図るが、さすがに今年はダメか——と前田さんもサジを投げかけたという。

 だが、造反組の一人・吉野直樹が「もう一度、頑張ってみたい」と直訴してチームに戻ると、おろおろしていたチームに核ができた。ベンチ入りメンバー中、3年生はわずか4人。だが、早稲田実業との東東京大会決勝は吉野の決勝3ランで勝利し、甲子園では背番号10の2年生エース・白木隆之の好投や、四番・吉野の活躍などで頂点に立つことになる。春夏の甲子園で3回以上優勝している監督は、現在まで範囲を広げても10人しかいない。やはり前田さんは、高校野球史上きっての名将なのだ。

 かと思うと、50歳を目前にして「高校生がわからなくなった」。98年のことだ。当時の高校野球界は、自主性尊重の指導が主流になりつつあった。選手たちをがんがん鍛える、昔ながらのやり方はもう古い。前田さんもそのときの主将・森本稀哲(元日本ハムなど)の「自分たちで練習メニューを考えてやりたい」という申し出を最大限に認め、実際に夏の甲子園にたどり着く。ただ前田さんは、そういう時代なのかと思いつつ、ベンチに緊張感がないことに懐疑的だった。案の定、手応えがあったはずのチームは、優勝候補にあげられながら浜田(島根)の和田毅(現ソフトバンク)にひねられ、3回戦で姿を消すことになる。

「あ然としたのは、親しい記者の方に聞いた話です。試合の前日、甲子園近くのゲームセンターで遊んでいる選手の姿を見た、と。がっかりしましたね。高校生がいう自主性なんてしょせんそんなもので、一歩間違えばどこに落とし穴があるかわかりません。自主性尊重の結果がゲームセンターとは……」

 だから、高校生がわからなくなったのである。

 なにかのヒントに、とメジャーの視察に出かけたのはその後のことだ。選手たちの集中したプレーに点差、あるいは敵味方関係なく、観衆はスタンディングオベーシーョンを送る。英語などからきしわからなくても、その共感は伝わってきた。これだ、勝ち負けではなく、見ているほうがのめり込んでくれる野球をやろう。帰国した前田さんは、その決意を選手に話した。きれいに、正々堂々とプレーしよう。スライディングで相手が倒れたら、手を貸して起こす。キャッチャーがマスクを捨ててフライを追ったら、打者はそのマスクを拾い、拭いて渡す。最初はなかなか徹底しなくても、口うるさく指摘するうちにそれが身につき、やがて意識しなくても当たり前になっていく。そうすると同じひとつの白球を追いかける相手も、そして観客も、共感してくれるようになる。