辞める時はスパッと


名監督列伝・前田三夫(帝京)
■第1回
「知られざる監督就任エピソード」
■第2回
「夏の全国制覇を勝ち取るまでの修行期間と大胆改革」
■第3回
「自主性とのジレンマ、胸が踊った2006年夏」

 異常な長雨とコロナ禍で、第103回全国高校野球選手権大会の決勝が行われたのは、史上もっとも遅い8月29日だった。同じ日。東京の強豪・帝京を50年間率いた前田三夫監督が、部員たちを集めて勇退したことを告げた。

「監督として今年で50年。ひとつの節目ということで、この夏の大会をもって監督は終了します。人間には節目というものがある」

 甲子園で準決勝が行われた28日は、秋季東京都大会の選手登録締め切り日だった。帝京は、前田監督の教え子である金田 優哉コーチを監督とした名簿を提出。甲子園開催中に水を差したくないと発表を控えていたが、大会が延び延びになったことで、名将の勇退が明らかになったわけだ。実はね、と前田さん。

「2020年の夏は甲子園が中止になったけど、東京の独自大会で優勝したでしょう。そこを、きれいな引き際にしようと思っていたんです。だけど学校側が『最後に、もう一度甲子園に挑戦したらどうか』といってくれた。21年がちょうど監督になって50年目という区切りでもあるし、よし、それなら……と腹を決めた。そして引くときは、後進のこともありますから部員にも告げずにひっそり、スパッと、と考えたんです」

 現在は帝京の名誉監督として、ときにグラウンドで練習を見守ったり、Bチームを相手に名人級といわれるノックを打ったり。ほぼ半世紀にわたった指導の第一線からは一歩、距離を置く。ただ、解説として招かれた神宮大会などを見ていると、体はうずいた。大会期間中には、やはり解説陣の高嶋仁・智辯和歌山前監督、明徳義塾・馬淵史郎監督らと食事もした。

「高嶋さんもお元気だけど、やっぱり現役の馬淵さんが元気(笑)。私もトレーニングはしていますし、まだまだ元気ですけど、いま思うと、チームを率いているという緊張感はたまらないものでした。それがまた、違う次元の元気の素だったのかもしれず、そこは多少の寂しさはありますね。だけど、いろいろな方から『もったいない』という声もいただきましたが、けじめをつけたのは自分自身ですから、割り切っていますよ」

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