【目次】
[1]0からのスタート/自力を付けだしたチーム
[2]自力を付けだしたチーム
秋に札幌支部予選を制し、昨夏準優勝の札幌国際情報を破り、全道大会でベスト4まで駆け上がった高校がある。その高校こそ寺西直貴監督率いる、札幌龍谷である。
札幌龍谷の今チームの魅力と、札幌龍谷の今までの歩みを紐解いていきたい。
0からのスタート

札幌龍谷高校グラウンド
寺西監督が札幌龍谷に就任したのは2000年になる。まさに1998年4月より共学制が施行されてからすぐになる。当時の野球部は専用グランドもなく、縦に100mとれないグランドをサッカー部と共同で使用していた。また選手も茶髪や紫の髪まで、まさに野球と向き合う以前の問題に直面していた。
寺西監督の熱い思いに反して、初年度は部員が13名まで減った。そんな中でも寺西監督は野球に一生懸命向き合っている生徒に真摯に指導を続けた。その野球への思いは、専用グランドを持つまでの7年半でもよく分かる。
「2年目からはジプシーが始まったんですよ。知り合いのつてで中学のクラブチームのグランドを借りたり。3時40分に学校からバスを運転して1時間ちょい、照明もないから春先、秋口はもう6時過ぎには見えなくなるじゃないですか。1時間の練習ために行ってましたね。土日は使う場所(グランド)がないので練習試合ですよ。練習場所確保というのも相手も知ってる上で練習試合をしてもらっていました。そういう数年間でしたね。」
と寺西監督は当時を思い出して語ってくれた。環境が整わない中ここまで、野球に情熱をかけられるには訳がある。それこそが「札幌龍谷への恩」なのである。
寺西監督は高校野球の指導者になりたいと思い教員免許を取得した。強豪私立でコーチを努め、その後高校の指導者になるも、紆余曲折を経て中学校の指導者になる。高校野球と距離ができたこのタイミングで、再度高校野球というフィールドに戻してくれたのが札幌龍谷なのである。
だからこそ、寺西監督の口からは「恩」という言葉がでる。
「僕は、札幌龍谷に拾ってもらったという意識が凄くあります。恩を感じています。」
この「恩」が原動力となり、札幌龍谷の野球部がスタートしたといっても過言でない。グランドも狭く、練習球も他のチームから使用しなくなった球をもらってきたこともあった。そんな0からチームは指導したのである。