昭和を代表する名門校・広島商

昭和を代表する名門校・広島商
2019年夏、広島商が15年ぶりに出場を果たしたことで、古くからの高校野球ファンを大いに喜ばせた。広島商は、間違いなく中等野球時代から野球界を引っ張ってきた存在で大学野球社会人野球、プロ野球界にも多くの人材を輩出してきている。
中等野球時代から県内の野球をリードし背負い続けてきた名門校として広陵とは永遠のライバルとも言われている。ただ正直なところ、平成以降はやや差が開いているというのも現実。それだけに19年夏に23年ぶりの甲子園出場を果たしたことは大きかった。久しぶりということもあり、多くのファンやOBを歓喜させた。
当初は広島市立商として設立され、2年後の1901(明治34)年に県立に移管している。創部も設立と同時で、地区大会には第1回大会から参加している。甲子園球場が出来た最初の年の第10回大会で初優勝しているあたりにも、「甲子園の広商」としての歴史がある。35年夏と翌利春の連続優勝など輝かしい栄光は戦前戦後を通じて、まさに昭和の野球の西日本の看板的存在でもある。
歴史的に見ても、怪物江川 卓を擁する作新学院を破った73年春の準決勝、さらにはその年の夏の決勝で静岡相手に決めたサヨナラスクイズなど名勝負も演じてきている。この年、3回戦の日田林工相手に見せた2ランスクイズも衝撃だった。そして、昭和最後となった88年夏に全国優勝を果たしていることでも昭和を代表する名門校としての存在を示していると言えよう。
幾多の伝説は枚挙しきれないくらいだが、かつて全盛期の70年代前半期は、その精神野球はまさに「神ってる」ものといえるくらいである。シャドゥピッチングで投手が蝋燭の炎を消しただとか、裸足で日本刀の歯の上を歩くことで精神修養をしていたとか、そんな劇画チックなことさえ語り継がれていたのである。
時代の流れの中で、現在は県内では広陵が抜けた存在となり、広島新庄や如水館、瀬戸内に加えて市立呉などの新たな勢力も躍進してきている。だからこそ19年夏の広島商の復活劇は意味があったともいえる。