目次

[1]長らく静岡を牽引してきた公立3商業勢
[2]令和最初の春を浜松商が16年ぶりに制す

長らく静岡を牽引してきた公立3商業勢


 静岡県の高校(中等)野球の全国での歴史は、1924(大正13)年夏に静岡中(現静岡)が初めて全国に姿を現したところから始まる。第10回大会、図らずも甲子園球場が誕生した年で、その開幕試合を戦っている。以降、静岡中が出場し続けるのだが、初めて静岡中以外で甲子園出場を果たしたのが1933(昭和8)年春の島田商だ。その翌年の春は静岡商、夏は島田商と、このあたりからは商業校勢が健闘している。ことに島田商は戦前最後となった40年夏の大会では準優勝、その前年もベスト4進出を果たすなど、全国でも活躍した。また、静岡商は1928(昭和3)年に創部すると、2年後に静岡中との対抗試合が天覧試合となったことで、一気に野球への機運が高まっていった。

 戦後復活してからは50年夏に浜松商が初出場。52年春は静岡商が復活出場を果たすと、そのまま全国制覇を果たしている。こうして、静岡県内では老舗の総本家ともいえる静岡とは別にライバル的存在としての静岡商はじめ、島田商浜松商の3商業校が県内をリードしていった。ことに、静岡商は、静岡の好敵手として成長を遂げていき、54年夏は連続出場を果たすと高松商などを下して準優勝。そして68年夏も、新浦壽夫投手(巨人→韓国三星→大洋→ダイエー)を擁して準優勝。決勝戦では興国と息詰まる投手戦を展開している。さらに、69年夏、74年夏、75年春もそれぞれベスト8に進んで、実績を積んでいる。

 島田商は、戦後になってやや戦力が低下。甲子園から遠ざかってしまっていたが、浜松商は78年春に12年ぶりに出場したかと思うと、初戦で益田に完封勝ち。2回戦では早稲田実業に競り勝ち、準々決勝は東北を完封。そして準決勝ではこの大会では優勝候補筆頭とまで押されていた桐生に3対2と粘り勝ち。決勝は公立商業校対決となったが、福井商に2対0で勝ち初優勝を飾った。この時の主将だった森下知幸二塁手(現御殿場西監督)はその後に常葉菊川(現常葉大菊川)の監督として全国の頂点に導いている。

 長らく甲子園から遠ざかっていた島田商は時代も平成となって、1997年の秋季東海地区大会で準優勝し、翌春に何と57年ぶりとなるセンバツ出場を果たした。浜松商はその後も、80年夏、84~85年春連続出場し、88年夏も出場しベスト8に進んでいる。平成になっても、1990(平成2)年に春夏連続出場、93年春、00年夏と出場を果たしている。