第2回 昭和~平成を彩った公立校 池田高校 明らかに昭和の高校野球で一時代を形成した“やまびこ打線”の破壊力2020年01月04日
【目次】
[1]池田の昭和の歴史はそのまま蔦監督の歴史
[2]甲子園優勝3回、準優勝2回。今なお輝き続ける池田の実績
まさに、「金属バットの申し子たち」それが池田の全盛期を象徴する言葉と言ってもいいものだった。「池田は特殊な金属バットを使っている」「池田は金属バットをベンチ裏で冷ている」など、そんな噂がまことしやかにささやかれるようにもなっていた。それくらいに、金属バットがすっかり定着した80年代前半に池田のバットは快音を響かせ続けて、その音が「やまびこが響くようだ」ということで“やまびこ打線”とも称された。そんな高校野球でエポックメイクだった池田の存在である。
池田の昭和の歴史はそのまま蔦監督の歴史

「IKEDA」の文字でお馴染みの池田高校伝統のユニフォームは未だ健在
池田高校は1922(大正11)年に徳島県立池田中学として創立され、戦後の学制改革でそのまま高校になっている。そして、1949(昭和24)年から共学校となり、三好農を統合したが、すぐに農業科は三好農林として独立している。野球部の創部は戦後で、同好会としてスタートして47年に創部したが、山の中の学校でもあり、練習試合の対戦相手にもなかなか恵まれないということもあってか、すぐに実績を挙げていかれるという状況にはならなかったようだ。
しかし徳島商で活躍し同志社大へ進学し、その後は全徳島などで都市対抗野球にも出場しプロ野球の東急にも入団した実績のある蔦文也監督が、東急を退団して1951(昭和27)年に監督就任。その後、92年に勇退するまで池田一筋で高校野球の歴史を塗り替えるほどの実績を残していく。
つまり、池田の昭和の歴史はそのまま蔦監督の歴史ということも言えるのだ。
蔦監督の池田は比較的早くから実績を示し始める。55年秋季県大会で初めて決勝進出。57年夏には当時の南四国大会に進出。
さらに70年、71年と連続で南四国大会に進出して、三度目の正直で徳島商を下して甲子園初出場を果たす。「山あいの町の子供たちに一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ」という言葉を残している。初出場で浜田を下して初勝利も記録した。
そして、池田が最初に大きくスポットを浴びたのが74年春で、初のセンバツ出場はベンチ入り僅か11人で戦いながら1回戦で函館有斗、2回戦で防府商、準々決勝では延長の末倉敷工に競り勝ち、準決勝でも和歌山工に2対0と辛勝。あれよあれよと決勝進出を果たした。
決勝では報徳学園に敗れはしたものの、「さわやかイレブン」とメディアにもてはやされた。しかし、ことのほかさわやかさを強調してクローズアップしていこうとするマスコミに対して蔦監督はこう言い切った。
「爽やかでも何でもないんじゃ。ワシのしごきがきついけんみな逃げ出してしもうて、残ったんが11人だったということだけじゃ」
とはいえ、これで池田は徳島では徳島商、鳴門に続く存在として評価されるようになった。翌75年春も出場したが報徳学園に返り討ちされる。そして、79年は春夏連続出場。春はベスト8、夏は決勝進出。箕島に敗れたが準優勝でこれが、池田時代到来の大いなる助走になった。
こうして迎えた82年夏、エースで4番に畠山準投手(南海→横浜)を擁して、圧倒的打力を看板として優勝。3番江上光治(早稲田大→日本生命)と5番水野 雄仁(巨人コーチ)の2年生が強力だった。
荒木大輔投手(ヤクルトなど)を擁する早稲田実業が14点も奪われて粉砕され、決勝戦で広島商に12対2と打ち勝った試合が、高校野球新時代到来の象徴とも言われた。
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- 手束 仁
- 生年月日:1956年
- 出身地:愛知県
- ■ 経歴
愛知県知多市出身。半田高→國學院大81年卒。大映映像事業部など映像会社で、映画・ビデオなどの販売促進、営業等を経て、編集プロダクションに10年勤務後独立。
99年に『熱中!甲子園』(双葉社)を仕掛け、を刊行。同年に『都立城東高校甲子園出場物語~夢の実現』(三修社・刊)で本格的にスポーツ作家としてデビュー。99年12月に、『アンチ巨人!快楽読本』(双葉社)を企画編集・執筆。その後、『ふたりの勇気~東京六大学野球女子投手誕生物語』、『高校野球47の楽しみ方~野球地図と県民性』(三修社)などを相次いで刊行。さらに話題作となった『甲子園出場を目指すならコノ高校)』(駿台曜曜社)、『野球県民性』(祥伝社新書)、『プロ野球にとって正義とは何か』、『プロ野球「黄金世代」読本』、『プロ野球「悪党」読本』(いずれもイースト・プレス)などを刊行。
さらには『高校野球のマネー事情』、『スポーツ(芸能文化)名言』シリーズ(日刊スポーツ出版社)、『球国愛知のプライド~高校野球ストーリー』などがある。
2015年には高校野球史を追いかけながら、大会歌の誕生の背景を負った『ああ栄冠は君に輝く~大会歌誕生秘話・加賀大介物語』(双葉社)を刊行し18年には映画化された。
スポーツをフィルターとして、指導者の思いや学校のあり方など奥底にあるものを追求するという姿勢を原点としている。そんな思いに基づいて、「高校生スポーツ新聞」特派記者としても契約。講演なども國學院大學で「現代スポーツ論」、立正大で「スポーツ法」、専修大学で「スポーツジャーナリズム論」などの特別講師。モノカキとしてのスポーツ論などを展開。
その他には、社会現象にも敏感に、『人生の達人になる!徒然草』(メディア・ポート)、『かつて、日本に旧制高等学校があった』(蜜書房)なども刊行。文学と社会風俗、学校と教育現場などへの問題提起や、時代と文化現象などを独自の視点で見つめていく。 そうした中で、2012年に電子メディア展開も含めた、メディアミックスの会社として株式会社ジャスト・プランニングを設立。新たなメディアコンテンツを生み出していくものとして新たな境地を目指している。 - ■ 著書
『都立城東高校甲子園出場物語~夢の実現』(三修社)
『甲子園への助走~少年野球の世界は、今』(オーシャンライフ社)
『高校野球47の楽しみ方~野球地図と県民性』(三修社)
話題作となった
『甲子園出場を目指すならコノ高校(増補改訂)』(駿台曜曜社)
『スポーツ進学するならコノ高校』
『東京六大学野球女子投手誕生物語~ふたりの勇気』(三修社)
『三度のメシより高校野球』(駿台曜曜社)
『スポーツライターを目指す人たちへ~江夏の21球の盲点』(メディア・ポート)
『高校野球に学ぶ「流れ力」』(サンマーク出版)
『野球県民性』(祥伝社新書)
『野球スコアつけ方と分析』(西東社)
『流れの正体~もっと野球が好きになる』(日刊スポーツ出版社)NEW! - ■ 野球に限らずスポーツのあり方に対する思いは熱い。年間の野球試合観戦数は300試合に及ぶ。高校ラグビーやバレーボール、サッカーなども試合会場には積極的に顔を出すなど、スポーツに関しては、徹底した現場主義をモットーとしている。
- ■ 手束仁 Official HP:熱中!甲子園
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