目次

[1]野球よりもバスケット少年だった小学校時代
[2]立場や責任が選手としての自覚を生む
[3]選手の自主性を重んじた市原勝人監督の指導方針
[4]怪我が続き大学を中退。アルバイトに明け暮れる日々

怪我が続き大学を中退。アルバイトに明け暮れる日々

 プロ野球のスカウトからも注目された小杉さんだったが、高校卒業後は亜細亜大学への進学を決断する。大学4年間でさらに力を付けてのプロ入りを目指したが、しかしここから大きな挫折を味わうことになる。

 亜細亜大学でも、1年春のリーグ戦からデビューを果たすなど大きな期待を背負っていたが、怪我の多さに悩まされ、徐々に思い描いていた成長曲線とのギャップを感じ始めた。同級生が徐々に頭角を現していく中で、焦りから無理なトレーニングでさらに怪我が重なり、小杉さんは野球への情熱を徐々に失っていく。

 結果、大学3年生の進学直前に硬式野球部を退部。そのまま大学も退学した。
「ソフトバンクホークスの松田宣浩さんと同部屋だったことがあるのですが、一緒にいて、こんな人がプロに行くのだろうなと感じました。リーダーシップやチームを鼓舞する力、才能も練習量もありましたし、常に野球のことを考えていました。いつもVHSで井口資仁さんの打撃映像を見ていて、夜に突然部屋でバットを振り始めることもありましたね。
 そんな松田さんと自分を照らし合わせた時に、大きな差を感じました。僕はプロには行けないだろうなと思ってしまい、野球からだんだん気持ちが離れていきました。松田さんを真似しようと思ってもできなかったし、ただ同じ練習をするのではなく、本質的に取り組まないと練習を行う意味合いが変わってくるなと思っていました。自分だったらどんなプロセスを踏めるだろうと考えた時に、あまり答えが思い浮かばずに逃げ出してしまいました」

 退学後、小杉さんは野球とは距離を置き、アルバイト生活に明け暮れた。昼はハンバーガー店、夜はバーで働き、空き時間には仲間たちと遊び呆ける日々。これまで野球しかやってこなかった小杉さんにとっては刺激的でもあったが、その生活にもすぐに飽きてしまい、虚しさが込み上げてきた。

 気持ちは自然と野球へ向かい、明治神宮球場へ足を運んでかつてのチームメイトがプレーする姿を見に行くが、その姿にさらに虚さは増すばかり。そんな小杉さんの空虚な心を埋められるのは野球しかなかった。アルバイト中にも野球のことを考えるようになり、休憩中に鏡を見つけるとシャドーピッチングをしてしまう。

 本当にやりたいのはこんなことじゃない。

 小杉さんはアルバイトをやめて、もう一度野球に打ち込むことを決断する。
「その後、中学時代に所属した江東ライオンズで練習していました。二松学舎大附の市原監督に対しては音信不通で、本来、大学をやめた時に報告に行くべきでしたが、それを怠っていました。当時は僕もまだ20歳で、できれば市原監督とは交わることなくどこかで野球をできればいいなと考えており、都合よくまた野球がやりたいのでお願いしますなんて言えませんでした。
 ですが、江東ライオンズで練習し初めてから一か月くらい経ったある日、当時の若林監督や三村総監督から『ここにいても先がないから、市原監督に頭を下げて高校で練習させてもらって、進路を一緒に探してもらった方がいい』と言われました。
 それは僕も薄々気付いていて、江東ライオンズで練習していても社会人野球とのつながりもないし、高いレベルで野球を続けるならまずは市原監督に謝るしかないなと思いました」

 小杉さんは、恩師・市原監督へ謝罪するため、二松学舎大附の野球グラウンドへ足を運んだ。

 今回はここまで。次回は小杉さんがいかにしてプロの世界に飛び込み、そして現在に至ったのか。その道のりに迫っていった。

(取材:栗崎 祐太朗)

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