目次

[1]スパルタ塾にも通った文武両道の中学時代
[2]地元で一番の進学校へ入学。高校野球から学んだ「赤点を作らない意識」
[3]最後の夏は4回戦敗退。「後悔は1ミリもなかった」
[4]神戸大学に入学。我流で到達した最速147キロ
[5]読売テレビに入社。一流タレントから感じた「プロの技」
[6]「トクサンTV」が人気チャンネルに。野球界への問題提起を大事に
[7]野球には人生の教えが凝縮されている

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 草野球をテーマにした番組や、元プロ野球選手とのコラボ企画などが人気のYouTubeチャンネル「トクサンTV」。このチャンネルを手掛けるのは、チャンネル内では「アニキ」として活躍する株式会社ケイコンテンツ・代表取締役の平山勝雄さんだ。
 2016年にスタートした「トクサンTV」は、野球系チャンネルでは最大規模のチャンネル登録者数64.7万人を誇り、その他にも平山さんは人間の闇を映し出す漫画系チャンネル「ヒューマンバグ大学_闇の漫画」、若者に人気のコメディートークチャンネル「マリマリマリー」など、人気チャンネルを次々と生み出している。

 元々は、読売テレビの番組プロデューサーを務めていた平山さん。「ダウンタウンDX」「秘密のケンミンSHOW」など、誰もが知る全国ネット番組で演出を務めてきたが、それらすべての土台を作ったのは、高校野球での3年間であると熱く語る。
 平山さんの高校野球は、一体どのようなものだったのだろうか。

一発逆転のある野球に魅力された少年時代



株式会社ケイコンテンツ・平山勝雄社長

 1978年生まれ、大阪府大阪市出身の平山さん。小学校の仲の良い友達が野球をやっていたことから、自身も興味を持つようになり、3年生の時に少年野球チーム・城東パンサーズに入団する。
 チームは全国大会常連の強豪で、上級生になると平山さんも内野手として活躍。当時は「愛のムチ」もまだ許される時代で、厳しい指導者のもとで練習に日々打ち込んでいたが、厳しさの中にも愛情を感じながら野球に慣れ親しんだと振り返る。

「6年生の時に、淡路島で行われた全国大会に大阪代表として出場したことが記憶に残っています。
 とにかく厳しい時代で、今だったら問題になるような指導もありましたが、そこに愛情はこもっていたと感じますし、駄目だったとは思いませんね。もしあの指導がなかったとしたら、僕は今真っすぐに育っていないかもしれません。厳しい環境の中で野球をやらせてもらい、強く育ててもらったと今でも感じています」

 中学時代は、学校の軟式野球部に所属したが、ここでは小学校時代とは対照的に決して強いチームではなかった。野球が初心者の選手も多くおり、経験豊富な平山さんは自然とチームの軸に。大会ではあまり勝てなかったと明かすが、遊撃手として守備の要を任った。

「チームの中心選手として活躍していたと思いますが、投手がよく打たれていたこともあり、チームとしてはなかなか勝つことができませんでした。高校野球では投手に挑戦するのですが、これは中学時代に『野球は投手がアカンかったら負けんねんな』と感じたことがきっかけですね」

 中心選手として活躍する一方で、中学時代は勉強にも力を入れていた。文武両道を重視する両親の方針から、徹底的な指導で有名だった地元の学習塾に通い、野球と勉強の両立に励んだ。
 とはいえ多感な時期でもあり、授業中にお菓子を食べたり、友人にちょっかいをかけたりするなど、中学生らしい一面もあったと振り返るが、そんな時には塾の先生からも厳しい指導が入る。平山さん曰く「正しい裁き」を受けながらも、地元の進学校を目指して勉強にも精を出した。

「進学塾に行きながら野球にも打ち込んで、両立は大変でした。でもその一方で、やっぱり野球が大好きで、やっていないと生活に張りがなかった。特に引退して受験勉強をはじめた頃は、生きがいを失ったように感じていました。
 高校、大学と進んでも野球を続け、今でも週末には草野球を楽しんでいますが、結局僕は本当に野球が大好きなんだと思います」