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エラーの連発に怯えた、鉄壁のセカンド。 恐怖を克服した経験が福祉の世界で活きている 株式会社Gree・町田友潤社長(常葉菊川OB)

2021.11.23

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人生で大切なことはすべて高校野球から教わった

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 常葉菊川の二塁手として圧倒的な守備力を武器に活躍し、甲子園優勝1度、準優勝1度にベスト4も1度経験したのが株式会社Greeの町田 友潤社長だ。2008年の第90回全国高等学校野球選手権大会では、「セカンドに打ってしまえば望みはない」とまで称され、町田さんの卓越した守備には誰もが釘付けになり、今なお甲子園の名場面として語り継がれている。

 現在は経営者として障害児支援に力を注いでおり、放課後等デイサービスや児童発達支援施設と計4つの事業所を展開している。

 「野球をやってきたこと、甲子園に出場したことがいろいろなところで活きている」と笑顔で語る町田さん。

 甲子園のスターが福祉の道に進むことになったきっかけ、また野球に打ち込んだ経験が経営者である現在にどのように活かされているのだろうか。

一発逆転のある野球に魅力された少年時代

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町田 友潤さん

 静岡県沼津市出身、1990年生まれの町田さん。

 二歳年上の兄の影響で、小学校2年生からソフトボールを始めるが、実は小学校1年生からサッカーチームにも所属しており、二つのスポーツを掛け持ちする少年時代だった。
 それでも好きだったのはやはり野球。ソフトボールチームでの練習や、平日に友人と空き地でやる野球の方に楽しみを感じていた。

「サッカーは一発逆転がないじゃないですか。自分は一発逆転のある野球やソフトボールに魅力を感じて、いつも練習や試合が楽しかった記憶があります。練習は、ソフトボールもサッカーも週末に半日の練習しかやらないので、午前中がソフトボールで、家に帰って午後からサッカー。

 平日はチームとしての練習はなかったので、みんなで近くの空き地に集まって野球ばかりやっていました。サッカーは体力を付けることができればいいくらいの感じで、重きを置いてたのはソフトボールチームでの練習でしたね」

 チームは決して強くはなかったが、町田さん自身は6年生時に沼津市の選抜チームに選ばれ、ハイレベルな環境にも身を置いた。周りの選手たちから大きな刺激を受け、そのほとんどが中学ではリトルシニアやボーイズリーグといった硬式野球チームに入団を考えていたことから、町田さんも地元の硬式野球チームに入団することを決断する。

 そして中学生となり、入団したチームが三島リトルシニア。2学年上には元西武ライオンズの髙橋 朋己氏が在籍した強豪だ。ここでは3年生が引退した後の1年生の秋から、主力選手として試合に出場するようになった。

「2学年上の先輩方はとても強いチームでした。髙橋 朋己さんは中学時代はメンバー外の選手でしたが、大学、社会人と徐々に才能を開花されていったのだと思います。
 僕自身も、1年の秋からショートを守らせていただきましたが、当時は守備にも全然自信がなかったですね。どちらかと言えばバッティングの方に自信があって、1番打者を任せていただいていました」

[page_break:守備力が大きな課題に。憂鬱だった冬場の猛特訓]

守備力が大きな課題に。憂鬱だった冬場の猛特訓

 チームの主力選手として活躍を見せ、高校のスカウトにも徐々に目をつけられるようになったと振り返る町田さん。東北地区や関東地区からも声が掛かる中で、ある強豪校へ進学する意識を固めたが、実はその高校は常葉菊川でなかった。行くつもりだった高校で不祥事が起こったことで、8月頃に進路を変更したのだ。

常葉菊川へ進学することが決まっていたチームメイトがいて、彼に付いていく形で自分も常葉菊川への進学を決めます。後に、一緒に甲子園の舞台に立つ上嶋健司です。本当に急転直下の進路変更でしたね」

 当時の常葉菊川は、2004年に学校として2度目の甲子園出場を果たしており、ちょうど強豪校へとのし上がろうとしていた時期だった。

 実際に入学すると、1学年上には後に横浜DeNAベイスターズに入団する田中 健二朗投手が在籍するなど力のある選手が揃っており、同学年にも実力を持った選手たちが入学していた。

 その中で町田さんも入学直後からAチームに合流して、遠征にも同行するなど大きな期待を寄せられていたが、それでも初めは苦労しかなかったと振り返る。

「入学当初は付いていくだけで精一杯でした。高校生だとまず体の強さが違うので、ピッチャーの球の力や、バッターの打球の速さがまるで変わります。持ち味だった打撃でも苦労しましたし、守備もボロボロでした」

 1年生の夏はベンチ入りを果たすも、試合に出場することはなくチームは静岡大会で1回戦敗退。新チームになるとセカンドのレギュラーに定着したが、守備でのミスが目立つようになった。

 当時の印象は「セカンドに飛んできたらすべてエラーする感覚」。

 秋季静岡大会の地区予選では、記憶にあるだけでも6、7個のエラーをしており、守備面では完全に自信を失った。

「何度もエラーしたことが本当に情けなくて、そこから毎日のように全体練習が終わったら、自主練習でノックを打ってもらうようにしました。とにかく数多く捕球することを意識して、そこから少しずつ守備の感覚を掴み始めました。
 グローブの代わりにスリッパを使ってボールを捕球したり、グラウンドに無雑作にボールをちりばめた状態でノックを受けたりすることもありました。そうすることで、打球がボールに当たってコースが変わったり、イレギュラーしたりした時の練習になるんです。同じメニューを淡々とやるだけでなく、工夫しながらやっていましたね」

 秋季大会では、常葉菊川は最終的に東海地区大会で優勝し、明治神宮大会でもベスト4に進出したが、町田さんは最後まで落ち着いてグラウンドに立つことはできなかった。「最低限のレベル」まで上達するには、2年春まで時間がかかったと言い、冬場もとにかくノックを受ける毎日だった。

 選抜甲子園までに、何とか間に合わせないといけない。当時の心境はその使命感のみだったと明かし、冬場の苦しい状況を苦笑いで振り返る。

「朝起きるたびに、『うわあ、今日も練習か』と気持ちが下がりました。冬なので練習試合も紅白戦もないし、つらい練習ばかりなので。
 当時はとにかく選抜甲子園までに守備が上達するよう準備しなければならないと思っていて、前向きな努力という感覚は一切ありません。とにかく迷惑を掛けないことだけを考えていました」

[page_break:3度の甲子園経験が生んだ3年夏のスーパープレー]

3度の甲子園経験が生んだ3年夏のスーパープレー

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高校時代の町田 友潤さん

 冬場の猛練習の末、何とか試合で通用すると思えるレベルまで守備を上達させた町田さん。その努力は、選抜甲子園の舞台で結実する。

 初戦から佐藤 由規投手(元東京ヤクルトスワローズなど)を擁する仙台育英と対戦するなど、強豪校の多いブロックに入った常葉菊川。だが、エースの田中 健二朗投手を中心に堅い守りを土台とした野球で、大阪桐蔭今治西といった強豪校を次々と打ち破っていく。準決勝を突破した常葉菊川は、決勝戦でも序盤劣勢になりながらも粘り強く戦い、終盤の逆転劇で見事優勝。

 町田さんも2番・セカンドとして全試合出場を果たし、歓喜の輪の中に飛び込んだ。

 全国の頂点を極めた常葉菊川は、その勢いのまま夏にも第89回全国高等学校野球選手権大会へ出場を果たし、ここでもベスト4進出。全国の舞台で大きな結果を残し、町田さんにとっても最上級生となる新チームに向けて弾みをつけることになった。

 2年生ながら全国の舞台で勝ち進んだ経験は、自分自身が地に足をつけてプレーし、さらに後輩たちを引っ張っていくためにも役に立ったと町田さんは振り返る

「全国を見渡しても、こんな経験をした選手は少なかったですし、幸いなことに自分たちの代も2年生から試合に出場していた選手が4人いました。新チームでも経験のある選手たちが引っ張っていくべきだとみんな感じていて、実際にそれが試合を戦う上でも、後輩を引っ張る上でもとても役に立ったなと感じています」

 新チームとなった常葉菊川も投打で高いチーム力があり、秋季東海地区大会で優勝を飾ると、明治神宮大会でも見事優勝。

 選抜甲子園では惜しくも3回戦で敗れたが、最後の夏となった第90回全国高等学校野球選手権大会では見事準優勝を果たし、町田さん自身の高い守備力も大きな話題となった。

 最後の夏を振り返り、町田さんは高いパフォーマンスを発揮するためには、落ち着いてプレーする経験も必要だと実感したと口にする。

「最後の夏は本当に落ち着いてグラウンドに立つことができ、エラーするイメージもまったくありませんでした。これは技術の上達よりも、経験によるものが大きいと思っていて、気持ちが落ち着けば必然的にパフォーマンスも良くなると感じました。
 適度な緊張感、良い心のバランスの中で試合に臨むことができ、多くの方に守備力を注目していただけたのも、技術よりもそれまでの3回の甲子園の経験が大きかったからのように感じます」

[page_break:高校野球を通して培った人心掌握術]

高校野球を通して培った人心掌握術

 改めて高校野球生活を振り返ると、経営者となった現在でも重要な出来事だったと感じるターニングポイントがいくつもあった。

 中でも特に印象に残っているのが、2年夏に3年生が引退して最上級生となった時だ。

 自身のレベルアップだけでなく、チーム全体のレベルアップを考えるべきだと気付き、町田さんは練習の中で下級生への声掛けを意図的に増やしていった。

 時には厳しい口調で叱咤することもあり、チームの士気を保つためには、今振り返っても必要なことであった。

「下級生で気持ちが入っていないようなプレーした時には、『ノックから外れろ、グラウンドから出ろ』とあえて厳しい対応を取ったこともあります。実は先輩方もやっていたことですが、自分が先輩の立場になり必要なことだと実感したのです。やはりそういった選手が一人でもいると、チームとして綻びが出てくるので。
 でも実際は大変でしたね。相手が行動を改善しないと意味がないので。その手段が厳しい対応を取ることでしたが、なかなか改善しない選手も多くいました」

 だがこの経験は、経営者となった現在にも大きく活きている。

 社員に改善を促して行動まで移させるためには、高校時代と同様に相手の心を掴み、何がダメだったのかを理解してもらう必要がある。

 どうすれば相手にわかってもらえるか。高校時代に考え続けたことで、経営者となった現在も考える癖が身に付いていた。

「今はさすがに従業員を現場から外したりしませんが、ですがやっぱり従業員のやる気が出る言い回しや、口だけではなく自分が先頭に立って動いていく姿勢を見せたり、周りがついてきてくれるための努力は常にしています。
 また従業員だけでなく、利用者さんやそのご家族に対しても同じです。相手の心をいかに掴むことができるか、今振り返るととても大きな経験でした」

 後輩の心を掴むため、町田さんが高校時代に口にしたのが自分の成功体験と失敗体験だ。甲子園の経験など、自身にしか語れないエピソードや知識を紹介することで、後輩のモチベーションを上げ、また失敗体験も語ることで、焦らせずに安心させることを意識した。

 厳しさだけでなく、相手のモチベーションも考えながら、掛ける言葉も選んでいたのだ。

「甲子園では、強いチームはこんな意識でやっていた、こんな取り組みをしていたと話すことで、後輩にとってのプラスにもなるしモチベーションにもつながります。
 また『最初は俺もこんなにエラーしたんだぞ』と言うことで、『先輩でもそんなことがあったのか』と安心するはずです。
 仕事でもスタッフの経験や立場によって掛ける声掛けも変わりますし、特に若い新入社員にはなかなか意図が伝わらないことも多いので、まずは『何でもいいからやってごらん』と自ら考えさせることを意識しています。
 自分がたくさんエラーして失敗に失敗を重ねたように、スタッフに対してもいろいろなことにチャレンジして考える癖をつけてほしいと思っています。ただし、焦らなくていいよとはいつも言っていることです」

 ちなみに町田さんは、野球教室にも指導者として参加するなど、現在も野球との関わりを持っている。

 その時はいつも、エラーし続けたエピソードを選手たちには必ず伝えている。

[page_break:「理不尽を正面から受けてしまった」1年足らずで大学を中退]

「理不尽を正面から受けてしまった」1年足らずで大学を中退

 高校野球の経験を活かして、経営者としても活躍を見せる町田さんだが挫折についても触れておきたい 。

 常葉菊川を卒業後、 早稲田大学に進学し硬式野球部にも入部したが、1年を経たずして「町田 友潤」の名前が部員名簿から消えていた。

 組織には規律を保つためのルールがあるが、野球部独特のルールに慣れることができず、塞ぎ込んでしまったことが原因だった。

「単刀直入に言うと、僕が精神的に子どもでした。理不尽なことはあってはいけませんが、実際は野球の世界にも理不尽なことはあります。でもそこに対して、自分が真正面から受け止めてしまい、どんどん塞ぎ込んでしまい逃げてしまいました。
 別に暴力などがあったわけではありません。社会に出たら理不尽なことはもっとありますし、本当に自分が精神的に幼かったのだと思います」

 その後は、元チームメイトの戸狩聡希さんの仲介から社会人野球のヤマハに入社し、ここでは4年間プレー。持病だった腰の状態が悪化し、2013年に現役を引退したが、社会人野球を経験したことは、自分自身を見つめ直すいいきっかけになったと振り返る。

「社会人野球では、会社に野球をやらせてもらっている環境で、自覚や責任感が自分の中に出てきました。どんな状況の中でも、会社のために前を向いて、責任感を持ってプレーしなければいけません。その中で野球をプレーさせていただけたことは、精神的な成長につながりました」

 だが矛盾するようではあるが、現役の高校球児に対しては、同じような状況に直面した場合でも無理に野球を続ける必要はないと力説する。

 そこには、町田さんならではの人生観があった。

「こんなことを高校生に言っていいのかわかりませんが、もしどうしても嫌だったらやめてもいいのではないかと思います。自分のように理不尽を真正面から受け止めてしまう方が危ないと思いますし、野球だけが人生ではありません。
 嫌なことを右から左に流せばいいとか、そんな安易なことは言えなくて、 本当につらいことであればやめてもいいし、自分のようにそれを糧にして違う道で頑張ればいいと思っています。今思えば自分も、それはそれで本当にいい経験だなと感じていますが」

[page_break:きっかけは高校時代。福祉の道を志しヤマハを退職]

きっかけは高校時代。福祉の道を志しヤマハを退職

エラーの連発に怯えた、鉄壁のセカンド。 恐怖を克服した経験が福祉の世界で活きている 株式会社Gree・町田友潤社長(常葉菊川OB) | 高校野球ドットコム
仕事中の町田 友潤さん

 引退後はヤマハに残り社業に専念する道もあったが、 かねてより興味を持つ世界があり退職することを決断した。

 それは福祉の道だった。

 きっかけは高校時代に遡る。高校2年の春に選抜甲子園で優勝を果たし、学校に戻ると優勝報告会が行われた。先生方や生徒たちに祝福を受ける中で、校舎の周辺には地元の住民もお祝いに駆けつけており、そんな中で町田さんは寮に帰る途中に、知的障害のある男の子を連れたある母親から声を掛けられた。

「お子さんと一緒に写真を撮ってくださいと言われたのですが、その時に『この子は障害を持っていて、この子にとっても、私にとっても励みになりました』と、温かい言葉をいただきました。
 自分からすれば、ただ一生懸命野球をやっていただけなのに、こんなに感動してくださる方がいたことにすごく驚きました。野球をやれるうちはこれまで通り頑張って応援される選手になろうと思いましたが、とはいえずっと現役を続けられるわけではありません。
 この体験をしてから、こういった子どもたちに、直接役に立ちたい思いが常に頭の中にありました」

 現役引退後、町田さんはすぐに行動を開始する。

 知人が運営している障害児支援施設を見学に行き、まずは現場で実務経験を積んでいこうと決断。2年間の修行期間を経て、放課後等デイサービスの「グリーピース」を立ち上げた。

 その後、「グリーピースⅡ」、「グリーピースSwitch」と事業所を増やしていき、児童発達支援の「グリーピースToys」も開業。現在は計4施設を運営する経営者となっている。
 放課後等デイサービスは、対象が小学生から高校生までとなっており、児童発達支援の対象は6歳までの未就学児だ。利用者の多くは小学生で、普段の業務の中で福祉の仕事にやりがいを感じる瞬間は多くあると口にする。

「実は独立志向があったわけではありませんでした。それでも起業した理由は、福祉の道を志してからは、自分が思い描く施設で子供たちに還元していきたいという思いがあったからです。
 この仕事をやってよかったなと思えるのは、子供たちができないことに一生懸命挑戦して、できなかったことができるようになった瞬間に立ち会えた時です。その瞬間はものすごくやりがいを感じますし、福祉の仕事を選んで良かったなと心から感じます。
 最初はエラーをしまくっていたけれど、最後は甲子園で良いプレーができた自分と重なる部分もありますね」

[page_break:取材を通して福祉のことを少しでも発信していきたい]

取材を通して福祉のことを少しでも発信していきたい

 思い描く施設を目指して経営者の道を邁進する町田さんであるが、これまでには多くの困難もあった。

 立ち上げ時から従業員を募集し、一から指導していく中で、福祉や介護の仕事は若者から敬遠されがちな仕事であると肌で感じるようになる。

 担い手の少なさは、福祉の世界に入った時から業界全体の問題として耳にはしていた。実際に事業所を立ち上げ、なかなか社員の採用が進まなかったり、また入社しても長く続かなかったりするケースにも直面し、解決しなければならない問題だと痛感した。

 そして経営面を考えても、「利用者は入ってきてくれるのか」といった不安は常につきまとい、会社を経営する難しさを思い知った。

「福祉や介護の仕事は、若い人たちからは敬遠されがちなところがあって、すごく大変な仕事であるイメージを持たれているようです。担い手の少なさは、問題だなと感じました。
 幸いにもうちの事業所には、僕がまだ若いこともあって、担い手を増やしていきたい理念に共感してくれた若者が多く入社してくれました。平均年齢は20代半ばとかなり若いと思います。
 従業員に常々、若いうちからしっかり力を付けていけば、事業所としても個人としても信頼されるから頑張っていこうと声を掛けています。その分、給与の面でも平均を絶対に下回らないように、経営者の努力もしています」

 それでも「甲子園のスター」だったことは、思わぬ形で経営に活かされた。

「救いだったのは、甲子園で自分の名前がかなり知られたため、利用者のお父様がすごく興味を持ってくださることです。実はお母様と比べて、お父様と接点を持つ機会はなかなか少ないのですが、僕への興味から利用につながるケースもあり、こんな形で活きるとは思いませんでした」

 町田さんには、自身の会社経営だけではなく、業界全体を盛り上げていきたい気持ちが強い。 最近では「元甲子園のスター」として取材を受ける機会も多いが、それは福祉の世界に興味を持ってもらえるきっかけになればといった思いからだ。

 担い手が少ないが故に、閉鎖的になりがちな福祉の業界を、もっともっと良くしていきたいと町田さんは思いを語る。

「元々前に出るのは好きではなく、自分だけの取材であればお断りしていると思います。ですが、福祉のことを少しでも発信できるのであればと考えていて、福祉の世界にはこんな人がいるんだよと、こんなに良い業界なんだよと知ってもらえるきっかけにしたいと思います。
 実は昨年、小学校で未来授業というものをやらせていただき、高校野球や甲子園での活躍が今の仕事にどのように活きているのか、45分間の授業を行いました。今年も行う予定で、こうした活動も福祉業界を広めていくきっかけにしていきたいですね」

[page_break:元横浜高主将とタッグ。野球を通じて出会う仲間は大きなもの]

元横浜高主将とタッグ。野球を通じて出会う仲間は大きなもの

 また現在も、野球との関わりは持ち続けている。

 地域の野球教室に指導者として参加したり、また経済的に苦しい子どもたちに野球用具を寄贈したりする取り組みを行ってる一般社団法人「日本未来スポーツ振興協会」の静岡県の支部長も務める。

 日本未来スポーツ振興協会は、町田さんと同世代で横浜高校の主将を務めた小川健太さんが代表理事を務めており、高校3年時はともに春夏連続で甲子園に出場。その当時から親交もあり、卒業後も連絡を取り合う関係だった。

 小川さんからの連絡に、協力することを即答した町田さん。静岡県内で野球用具を必要としている子どもたちを探したり、野球人口を増やすイベントに参加したりするなど精力的に活動している。

「小川は僕たちの世代の象徴のような存在で、みんなが一目置いていました。そんな彼から直接連絡があり、一緒にやらないかと声を掛けてもらいました。僕も野球に育ててもらった人間なので、高校野球に恩返ししなくてはいけない気持ちがあり、そこで思いが合致して協力することにしました」

 甲子園での成功体験を福祉の世界にも活かし、経営者として、野球人として活躍を続ける町田さん。最後に現役の高校球児へメッセージをお願いすると、野球に打ち込む中でできる経験、仲間の重要性を熱く語った。

「正直、自分が甲子園で良いプレーができたことはあまり記憶に残っていなくて、甲子園期間中にあの選手があんなプレーしたとか、あいつがあんなことを言ったとか、そういった仲間の些細なことがすごく思い出になっています。
 甲子園に出ても出なくても、野球を通じて出会う仲間はすごく大きなもので、僕と小川のように将来別の形でつながることもあります。是非野球のつながりを大事にしてほしいと思います。
 今はコロナ禍で満足に野球ができないかもしれませんが、一生懸命プレーしている高校球児の姿に僕たちも勇気をもらっています。僕たちにも協力ができることがあれば、できる限り協力するので是非声を掛けてもらいたいなと思います」

 町田さんは現在31歳。

 自身もまだまだ道の途中である。

 思い描く福祉、そして野球への恩返しを胸に、これからも真っ直ぐに進み続ける。

(取材:栗崎 祐太朗

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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