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文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身)

2021.11.23

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム
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文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム14名の社長が語る高校野球の3年間で学び、活きているがまとめられた書籍が発売
人生で大切なことはすべて高校野球から教わった

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム

 2021年7月7日、平成の怪物と呼ばれた松坂大輔投手が今季限りで現役を引退すると発表した。

 世代の象徴として、同学年に当たる1980年度に生まれた選手たちは「松坂世代」と呼ばれ、プロ野球界だけでなく、高校野球や大学野球で彼らとともにプレーした著名人など、世代のつながりは強く続いている。

 そしてそんな「松坂世代」の一人として、甲子園の舞台を経験したのが株式会社スポーツバックスの澤井芳信社長だ。

 京都成章高校の主将として、春夏と2度の甲子園出場を果たした澤井さんは、第80回全国高等学校野球選手権大会では決勝進出を果たし準優勝。決勝では松坂投手を擁する横浜高校にノーヒットノーランで敗れたが、「あの決勝戦は一生の財産」と胸を張る。

 現在はスポーツマネジメント会社を経営し、元メジャーリーガーの上原浩治さんや広島東洋カープの鈴木誠也選手のマネジメントを手掛けているが、高校野球の経験は現在にどのようにつながっているのだろうか。

甲子園出場を目指して京都成章に進学

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取材中、笑顔を見せる京都成章OB・澤井芳信さん

 京都市伏見区出身の澤井さん。学区内には伏見稲荷大社があり、小学校の時は遠足に、また中学時代は友人との溜まり場にもなっていた。

 野球は小学校3年生時に兄の影響で始め、地元の少年野球チームに入団。だが、決して強豪チームだったわけではなく、中学校に入学時も硬式野球チームではなく部活動の軟式野球部に入部した。
「小学校の時は万年1回戦負けのチームで、僕の代限りで潰れました。中学時代も硬式野球のチームには入っていなかったので、練習もそれほどキツかった記憶もないし、練習後に友達と伏見稲荷大社で話したりしていましたね。

 両親も厳しい人ではなかったので、勉強しろと言われたことはないし、野球の練習をしろとも言われたことはありませんでした。野球の試合を見に来たことも、ほぼなかったですね」

 中学時代は、最後の夏の大会では京都市内の大会でベスト16に進出。京都府の中でもレベルは決して低くないチームで、同地区から強豪校に進む選手も少なくなかった。

 中学野球を引退して進路選択の岐路に立った澤井さんは、甲子園へ行くために、一般受験で京都成章の入学を目指すことを決断する。
「僕が中学3年の時、京都成章が甲子園初出場を果たしました。結果は1回戦負けでしたが、その後チームの練習会にも参加させていただき、そこで京都成章は大学進学を目指している進学校だと聞かされました。

 決して勉強ができたわけではないですが、平安高校(現龍谷大平安)や京都西高校(現京都外大西)といった強豪校に入るイメージもなくて。かといって公立高校に行けば、甲子園のチャンスは少なくなると思って京都成章を目指すことに決めました」

 当時の澤井さんの成績は、オール3で体育だけ5。

 合格ボーダーラインのギリギリだったが、中学野球を引退してから塾に通いはじめ、成績は右肩上がりに向上した。

 こうして京都成章に見事合格した澤井さんは、晴れて野球部の一員として甲子園を目指すに至ったのだ。

[page_break:甲子園出場のために文武両道に励む]

甲子園出場のために文武両道に励む

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取材中の澤井芳信さん(京都成章OB)

 京都成章での高校生活をスタートさせた澤井さんだったが、野球と勉学の両立は想像以上に大変だった。

 当時の奥本保昭監督は、練習以上に生活態度と成績を重視しており、赤点を取ると練習にも参加させてもらえず、また授業中に居眠りをすれば担当の教員から報告が入る。特に1年時は奥本監督がクラスの担任も務めており、グラウンドでも校舎内でも気の抜けない日々が続いた。
「でもやっぱり寝てしまうんですよ。その度に怒られていましたし、それで僕はバレないように首を直角にして、ノートを取っているように見せかけて寝るという技を身に付けたりしました。
 そしてまた練習もきつかったんです。練習は本当にどこよりもやった自信があります。
 本来であれば、帰りは20時17分のバスに乗って最寄り駅に向かうのですが、時間に縛られて練習したくないので、僕らは駅から学校まで30分くらいかけて自転車で通学していました。学校まではずっと登り坂なので、本当にきつかった記憶があります」

 当時はまだ、夜遅くまで照明をつけてナイター練習をしても許される時代だった。全体練習が終わった後も、澤井さんをはじめ、選手たちは黙々と練習に打ち込み、21時前にようやくグラウンドを後にする。

 帰宅すると時計は22時を回っているが、それから勉強もしなければならない。特に大会期間中は、試験一週間前でも練習は行われ、眠い目をこすって勉強に打ち込んだ。
「試験一週間前は、帰ってご飯を食べて風呂に入って、一回寝るんです。その後、夜中3時ぐらいに起きて勉強していました。眠らないと内容が頭に入ってこないので。そうやって試験勉強を乗り切っていました。もちろん夏の大会の期間中も試験は行われるので、早く試験終われと思いながら勉強をしていました」

 厳しい練習と苦しい勉強に耐えることができたのは、やはり甲子園に行きたかったから、と振り返る。勉強を疎かにしていては、野球に打ち込むことができず、結果として甲子園からも遠ざかってしまう。

 「甲子園のために勉強をしていました」。澤井さんはそう言い切る。
「勉強が大事だということは頭では理解していましたが、やっぱり甲子園に行きたいから勉強するという気持ちが根底にはありました。練習が休みの日も無駄にしたくないので、ゆっくり休むことなくグラウンドで自主練習をして、その後に勉強もしっかりする生活を送っていました」

 学業との両立を徹底して求められる厳しい環境の中でも、甲子園を目指して無我夢中で練習に打ち込んだ澤井さん。その思いは、最上級生となった時に花開くのであった。

[page_break:甲子園初出場も初戦でまさかの大敗]

甲子園初出場も初戦でまさかの大敗

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム
澤井芳信さん(京都成章OB)

 2年夏、1学年上の先輩たちが全国高等学校野球選手権京都府大会で敗れて引退すると、澤井さんはショートのレギュラーに定着し、また主将にも就任した。

 チームには左腕エースの古岡基紀さんといった好投手もおり、澤井さんのリーダーシップにも後押しされながら、京都成章は秋季大会を勝ち上がっていった。
「結果として、秋季近畿地区大会でベスト4に進出して、選抜甲子園出場を掴むことができました。もちろん嬉しかったのですが、実は秋季大会では3回も負けているんです」

 京都府は、秋季大会では単純なトーナメント制を採用しておらず、ブロックに分かれて上位進出校を決める1次予選をまず実施する。その後、各ブロックから2校が2次予選に勝ち進み、そこから改めて近畿地区大会をかけたトーナメントが始まるのだ。

 京都成章は1次予選の決勝で平安高校に敗れたが、決勝に進んだ2校が2次予選に進めるため近畿地区大会出場への道を残し、さらに2次予選でも決勝で京都西高校に敗れたものの、同じく決勝進出の2校が近畿大会に進めることから、2度の敗戦にも関わらず選抜甲子園へのチャンスが残っていたのだ。

 結果として京都成章は、秋季近畿地区大会でベスト4進出を果たして、見事選抜甲子園出場の切符を掴む。澤井さんは「ギリギリの戦いも多かった」と振り返るが、ともあれ中学時代から掲げていた目標を見事達成した。

 甲子園出場が決まり、歓喜するチームメイトたち。だが、澤井さんには一抹の不安もあった。
「近畿地区大会の準決勝では、奈良県の奈良郡山高校に0対7で敗れて力の差を感じました。そもそも3回負けていた時点で、他のチームとは差を感じていましたし、エースの古岡の出来にも少し不安がありました」

 そしてその不安は、選抜甲子園で見事的中することになる。初戦の岡山理大附戦、京都成章は試合の序盤から大量リードを許して苦しい展開となる。打線も援護らしい援護をできぬまま、その後一方的に点差をつけられて2対18で大敗。初の聖地はほろ苦い経験となった。

 まさかの大敗に肩を落とす選手たち。だが、この敗戦が夏の快進撃に繋がっていったと澤井さんは振り返る。
「覚えているのは、選抜甲子園で負けてバスで学校に帰った次の日のことです。学校の先生方や生徒のみんなが温かく迎え入れてくれました。負けたにも関わらず『よく頑張った』と声を掛けていただきました。監督は泣きながら『絶対に、夏も甲子園に行きます』と僕らの前で言わはって、強くならなきゃいけないと強く感じました。

 もちろん厳しい声もあり、京都の恥やと言われたこともありましたが、全国の強さを知ることができたのは大きかったと思います。やっぱりそんなに甲子園は甘くないし、強くなるしかないとみんなの意識が統一されて、春以降はこれまで以上に練習しました」

[page_break:危ない試合をモノにできるチームが夏に勝つ]

危ない試合をモノにできるチームが夏に勝つ

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高校時代の澤井芳信さん(京都成章OB)

 春以降、選手たちの目の色は以前と明らかに違っていた。

 昼休みには、後輩たちがグラウンド整備をする横でティーバッティングを行い、着替える時間を短縮するために学生服の下にはユニホームや運動着を常に着用。澤井さん自身も、主将としてチームメイトとの会話を意識的に増やし、選手層の底上げを意識した。監督と選手の間に立つ、中間管理職の立場を意識しながらリーダーシップを取ったと明かす。

「監督が言ってることを、部員たちに理解してもらわないといけないですし、かといってただやらされてるだけでも駄目です。監督と選手がお互いの考えを理解し合うことができればいいなと思いやっていましたね。
 幸いにも当時のチームは気持ちの入ったいい奴らばかりだったので、はみ出そうな奴も結局僕らの方に引き込まれていきました。
 エースの古岡なんて、選抜以降は気付いたら走っていましたからね。学校から駅までの自転車で30分の道のりも、あいつは走って帰っていました。帰りは下り坂ですが、それでも10キロ近くはあります。鞄や荷物は後輩に渡して駅で待っててもらい、駅で着替えて帰るみたいな。さすがに僕はそこまでできなかったので、本当にすごいなと思っていました」

 取り組む姿勢、練習量。
 これまで以上に質の高い練習を積んでいき、京都成章の選手たちは春以降も大きく成長した。

 そして迎えた、夏の甲子園をかけた京都府大会。
 京都成章は、初戦から田辺高校に勝利を収めたものの2対0と苦戦し、続く3回戦も洛星高校を相手に4対1。決して、快勝とは言えない試合内容が続いた。
「特に苦戦したのが、準々決勝で対戦した大谷高校でした。試合は、5回まで2対6と劣勢に立たされる展開で、やばいなあと思いました。
 それでも何とか6対6まで追い上げて、なおも満塁のチャンスで僕に打席が回ってきます。どん詰まりのセカンドゴロでしたが、相手のミスで何とか逆転に成功しました」

 絶体絶命のピンチを脱した京都成章は、その後準決勝の北嵯峨戦は7対1で勝利し、決勝の京都鳥羽戦も7対0と完封勝利。
 大会終盤になるにつれて、選手たちは尻上がりに調子を上げていき、見事に春夏連続での甲子園出場を掴んだ。

「やっぱり危ない試合をモノにできるチームが、夏は勝ち上がっていくと思います。松坂のいた横浜高校もずっと危ない試合が続いていましたが、夏の戦いは絶対危ない試合があるので、そこをモノにできるかできないかがすごく大事です。ピンチの場面で、やばいどうしようで終わってしまうのではなく、粘り強く踏ん張ることができるかどうかが鍵になる。
 そういった部分を普段の練習で鍛えていくべきだと思いますし、技術練習だけでなく、そういった環境をいかにして作るかが本番に活きてきます。僕らは『27アウトのノック』という公式戦を意識した9イニング27アウトを取る伝統の守備練習をやっており、プレッシャーの中で練習をやってきたことも大きかったと思います」

[page_break:悲願の甲子園1勝。その後も破竹の快進撃]

悲願の甲子園1勝。その後も破竹の快進撃

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム
澤井芳信さん(京都成章OB)

 会心の戦いで、春夏連続での甲子園出場を掴んだ京都成章
 周知の通り、甲子園でも破竹の勢いで勝ち進んでいき、最終的には準優勝を果たすことになるのだが、当初の目標はあくまで初戦突破。学校として初の甲子園勝利を挙げ、選抜甲子園ではできなかった勝利の校歌を歌うことを目指していた。

 それだけに1回戦の仙台高校戦は、甲子園の戦いの中でも特に印象深く残っている。試合後半に打線が繋がり、10対3と大きくリードした状態で最終回を迎えた京都成章だったが、9回裏に突如相手にペースを奪われる。

 4連続長短打で点差を詰められると、さらに守備にもミスが出て3失点。なおも三塁にランナーを置くピンチを迎えると、澤井さんはマウンドに野手を集め、気持ちを落ち着かせることを提案する。
「普段からやっていたメンタルトレーニングを活かして、高ぶっていた気持ちを一度落とすという作業をやりました。『まだ勝っているから一回みんな落ち着こう』と言って、野手全員で屈伸をしたんですよ。プレー再開後、いきなりショートゴロが来て『これ絶対エラーできひんやん』って思いましたが、何とかアウトにできました」

 澤井さんが捌いたショートゴロの間に三塁ランナーが生還してさらに1点は失ったが、これで二死ランナーはなしとなり、最後はエースの古岡投手が三振を奪ってゲームセット。10対7で逃げ切り、念願だった甲子園で校歌を歌うことができた。
「初戦を勝ててとりあえずは良かったなと。そこから上を目指すというよりも、一戦一戦目の前の敵を倒すことにしか集中していなかったですね。競った試合も多かったですが、あとはもう楽しかったです」

 その後は、2回戦で如水館を5対3で撃破し、3回戦では桜美林に5対1で勝利しベスト8進出。以降も、常総学院豊田大谷と強豪校を立て続けに破り、京都成章は見事に決勝進出。松坂大輔投手を擁する横浜高校と、日本一をかけて激突することとなった。

 松坂投手は準々決勝のPL学園戦で延長17回を投げ、一人で250球にも及ぶ熱投、また翌日の準決勝・明徳義塾戦でもリリーフ登板していた。
 疲労がピークに達していることは想像に難くなく、実際に1番を打つ澤井さんも初回の投球を見て「行けそうだ」と感じたと振り返る。
「記事に出て後で知ったのですが、はじめは打たせていこうと考えてたみたいで、まだエンジンもかかっていなかったのだと思います。でも先頭バッターの僕がいきなりジャストミートして、結果はアウトでしたが、そこで松坂のエンジンがかかったみたいですね」

 回を追うごとに松坂投手のボールは勢いを増していき、初回に感じた希望は気が付けば消失していた。付け入る隙は一切なく、得点どころかヒットすら許してもらえない。
「是非一回見てみてください。PL学園戦の松坂のフォームと、決勝の松坂のフォームは全然違いますから。PL学園の時は力んでいましたが、僕らとの試合では力が抜けて指にパチンとボールがかかり、伸びのあるすごい球がきていました。あれは打てません」

 結果、京都成章は最後までヒットを1本も打つことができずに、ノーヒットノーランを許し完敗を喫した。
 平成の怪物・松坂大輔のすごさを最後の最後に見せつけられた形となったが、それでも澤井さんは楽しく高校野球を終えることができたと振り返る。
「よく冗談で言うのですが、中学時代の全日本のメンバーが集まったチームと、僕らのような名もなき集団が戦うとこんな結果になるなと。
 それに僕らは選抜甲子園で2対18と大敗したところからのスタートでしたし、春を経験していなかったらピンチで屈伸したり、冷静にプレーすることもできなかったと思います。
 負けてもやりきった感がありましたし、逆に横浜高校はあそこで僕らに負けていたら笑っていられなかったでしょう。そこの差ですかね」

[page_break:高校野球が今にいきているのは「忍耐力」]

高校野球が今にいきているのは「忍耐力」

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム
ブレイクスルーパートナー税理士法人・阿部慎史代表(早稲田実業OB)

 改めて高校時代を振り返り、澤井さんは高校野球生活で培った「忍耐力」は現在の社長業、ひいてはビジネスマンとしても大きく活かされていると語気を強めて語る。

「高校野球は、甲子園というわかりやすい目標があって、甲子園出場が現実的でないチームでも「ベスト8進出」など明確な目標設定ができます。でも仕事は結果がわかりづらいので、努力の方向性に迷う元アスリートや元球児も多いのが現実です。甲子園以上のモチベーションを見つけるのはなかなか難しいので。でもそれは当たり前で、それをわかった上でやらないといけないし、仕事に対する目標の価値も人それぞれ違います。
 その中でどうやって自分の目標に近づくかを考えたときに、僕の場合は『忍耐』に集約されると考えています。高校野球をやっていると、自分に足りないものがわかりやすいので、目標に対して明確にアプローチできますが、仕事になるとそれが難しい。
 目標設定がまずすごく大事で、それを成し遂げるために大事なのは何かと言われると、結局『忍耐』になるんですよ。目標に向かうための努力やつらいことを乗り越えていくには、やっぱり高校野球の時に死ぬほど練習をやってきた経験が力になるのではないかと思います」

 現役の球児に置き換えると、これは野球だけではなく勉強にも当てはまる。澤井さんは、甲子園への練習がしたいがために勉強を頑張っていた。これは目標への手段として勉強を捉えていたということだ。

 もちろん、中には勉強そのものが大好きな学生もいるが、多くの選手が苦手であろう勉強から逃げないことで培われた「忍耐力」は、学生時代に身に付けておくべきだと澤井さんは考えている。
「みんな嫌なことをしたくないのは当たり前ですが、スポーツを理由に勉強から逃げてほしくないんですよね。プロのアスリートとして生きていく人もいますが、多くの人はそこに当てはまりません。
最低限の勉強はすべきだと鈴木誠也選手(広島東洋カープ)も言っています。あのレベルの選手でも言い切ることなので、絶対に勉強からは逃げないようにしないといけないですよね」

 そしてもう一つ、澤井さんが現在に繋がっていると感じている経験が、不条理な上下関係をなくしたことだ。時代背景もあり、入学時は厳しい上下関係があったと振り返るが、最上級生となってからは後輩との健全な関係を心掛けた。
 その結果、先輩後輩間での健全なコミュニケーションを取ることができるようになった。それは社員を持つようになった現在にも繋がっていると明かす。
「決して変な馴れ合いではなく、しっかりとコミュニケーションは取れていたと思います。それに僕らの学年は決して弱くなかったし、みんなちゃんと練習していたので、後輩からもリスペクトされていました。
 今の会社でも同様です。叱る時は叱る。でも、普段は茶々も入れられる関係は保つ。風通しを良くしつつも馴れ合いにしない、良い意味での緊張感は大事かなと思いますね」

[page_break:映画「ザ・エージェント」の影響からスポーツマネジメントの世界へ]

映画「ザ・エージェント」の影響からスポーツマネジメントの世界へ

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム
澤井芳信さん(京都成章OB)

 高校卒業後、同志社大学に進学して野球を続けた澤井さん。3年秋にはショートでベストナインを獲得するなど活躍を見せ、卒業後は社会人野球のかずさマジックに入社した。4年間の現役生活を送り、その後は社業に専念する道もあったが、スポーツマネジメント会社への就職を選んだ。
「社会人野球時代に所属していた会社が住宅会社でした。社長は、宅地建物取引士の資格を取って不動産について学んだら、京都に帰ってもええんやからと言ってくださったのですが、やめる頃には新しい道に進むことを心に決めていましたね」

 スポーツマネジメントの道を志したのは、高校時代に見たある映画がきっかけだった。
 トムクルーズが主演の「ザ・エージェント」。
 映画を通して、エージェントの仕事やスーツを着ることへの憧れが沸き上がり、また、もともとスポーツに携わる仕事に就きたいと考えていたことから、スポーツのマネジメントの世界へ踏み出すことを決めた。
「大学時代も、もし野球で無理だったらと思い、スポーツマネジメント業界についていろいろと勉強していたので嬉しかったですね。就職情報誌のリクルートでも、スポーツのマネジメントの仕事を見ていた覚えがありますよ」

 スポーツマネジメント会社に入社して実際に業務がスタートすると、苦労しながらも自ら考えながら仕事を作っていく作業に大きなやりがいを感じたという。
 就職した会社は決して大きな会社ではなかったため、自分で考えて動くことが求められた。営業でのアプローチや最優先に行うべき業務、多くの作業をこなすためには何が必要かを常に考えながら、目の前の業務に取り組んだ。
「周りによく言っていることが、僕のコンプレックスは大手の会社で働いたことがないことなんですよね。教えてもらうより、自分で考えてやることの方が多くありました。任されたポジションで一生懸命やるだけでしたね」

 多忙の中にも、やりがいを感じていたスポーツマネジメントの仕事。
 そしてここでは、後に独立へと繋がっていく大きな出会いもあった。元メジャーリーガーの上原浩治さんのマネジメントを担当することになったのだ。

 担当となったのは2008年。当時の上原さんはアメリカで世界最高峰のプレーヤーたちとしのぎを削っていた。澤井さんは、上原さんがこれまで積み上げてきた価値を落とさないようにすることを心掛けながら業務に当たったと振り返る。
「失敗もいっぱいしましたし、迷惑をかけたこともいっぱいありました。でもやっぱり上原さんの『鞄持ち』になったら意味がないと思ったんです。あの人に信頼される、相談される立場になるために、自分(の価値)を上げなきゃいけないと思っていました。
 そのためにはやっぱり自分が成長せなあかんし、自分はこう思いますと自信を持って言えなきゃいけないと思いました。だからこそ、自分は大学院(早稲田大学大学院)にも行って勉強したわけです」

[page_break:上原浩治さんの一言で独立。トップ選手からの刺激も糧に進む]

上原浩治さんの一言で独立。トップ選手からの刺激も糧に進む

文武両道で培った忍耐力でメジャーリーガーの信頼も掴んだ 株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身) | 高校野球ドットコム
株式会社スポーツバックス・澤井芳信社長(京都成章出身)

 上原さんを担当して3年目になる頃、メジャーリーグの世界から刺激を受ける中で、スポーツマネジメントの世界でどのような方向性で活動していきたいのかが明確になってきた。

 スポーツの価値をどのように社会に提供していくか。それを社会に出る前の学生たちとアカデミックな場でもう一度学びたい。そう考えた澤井さんは、2013年4月に早稲田大の大学院・スポーツ科学学術院に入学し、同時に退職することを決断した。そして、そのことを上原さんにも報告に行く。

 だが、そこで掛けられた言葉は思いもよらぬものだった。
「辞めることになりましたと報告に行ったら、『お前独立せえよ。一緒に行ったるから』と言ってくださったのです。驚きましたが、それで独立したという流れです。上原さんの鞄持ちにならないように意識したことが、信頼に繋がったのかもしれません」

 上原さんの一言をきっかけに、2013年に株式会社スポーツバックスを設立した澤井さん。
 所属アスリートは年々増えていき、現在はマネジメント事業だけでなく、スポーツ施設のコンセプトから設計までコンサルティングを行う、スポーツファシリティコンサルティング事業も行なっている。

 プロ野球界では、上原浩治さんの他にも鈴木誠也選手や同じ松坂世代の平石洋介さん(元福岡ソフトバンクホークス一軍打撃コーチ)も所属している。

 トップレベルの選手や指導者のマネジメントを担当する中で、彼らから学ぶことも非常に多いと澤井さんは語る。
「平石は選手としてはトップに行けなかったので、プロフェッショナリズムではなく野球観の話をよくします。選手への指導はどうあるべきか。平石は熱く、そして深く考えているので私も勉強になります。
 上原浩治さんや鈴木誠也選手からは、やっぱりプロとは何かを学べますね。僕がプロになれなかったのはこういうところなんだなと、お二人と話していると感じます。やっぱり結果を出すところにコミットしてるので、練習のための練習はやりません。
 プロ1年目にブルペンに入らないとか、普通はできないでしょう? でも『僕はこっちの方が結果が出るから』と言って、やり切った上原さんは本当にすごいですよ。
 大抵の指導者は、そこでなんでブルペン入らないんだ? となるじゃないですか。でもそこでブルペンに入らずに結果を出してきた。彼らの自分の考えを持つ強さや継続力はすごいですし、学べる点だなと感じています」

 京都成章時代の文武両道の経験、そして松坂世代の繋がりを活かしながら、経営者として活躍を続ける澤井さん。最後に現在の高校球児へのメッセージをお願いすると、上原さんのような「自分の考えを持つ強さ」を引き合いに出しながら、熱い言葉を口にした。
「指導者はあくまでも指導をしてくださる方なので、本当に自分の人生の責任を取ってれるわけではありません。指導されたことを受け入れつつも、まず自分がどうありたいのか、自分はどうしたいのかをもっと考えて取り組んでほしいと思います。
 わからないことがあれば聞けばいいし、受動的じゃなくて能動的にやってほしい。自分の目標に対して、我慢強く工夫して取り組んでもらいたいなと思いますね」

 澤井さんも今、アスリートにとってのよきパートナーとして、スポーツが社会に与える価値の向上を目指して、忍耐強く日々の業務に臨んでいる。そしてアスリートから受ける刺激も大きな糧に、これからも経営者として力強く進み続けるだろう。

(取材:栗崎 祐太朗

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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