目次

[1]甲子園出場を目指して京都成章に進学
[2]甲子園出場のために文武両道に励む
[3]甲子園初出場も初戦でまさかの大敗
[4]危ない試合をモノにできるチームが夏に勝つ
[5]悲願の甲子園1勝。その後も破竹の快進撃
[6]高校野球が今にいきているのは「忍耐力」
[7]映画「ザ・エージェント」の影響からスポーツマネジメントの世界へ
[8]上原浩治さんの一言で独立。トップ選手からの刺激も糧に進む

危ない試合をモノにできるチームが夏に勝つ



高校時代の澤井芳信さん(京都成章OB)

 春以降、選手たちの目の色は以前と明らかに違っていた。

 昼休みには、後輩たちがグラウンド整備をする横でティーバッティングを行い、着替える時間を短縮するために学生服の下にはユニホームや運動着を常に着用。澤井さん自身も、主将としてチームメイトとの会話を意識的に増やし、選手層の底上げを意識した。監督と選手の間に立つ、中間管理職の立場を意識しながらリーダーシップを取ったと明かす。

「監督が言ってることを、部員たちに理解してもらわないといけないですし、かといってただやらされてるだけでも駄目です。監督と選手がお互いの考えを理解し合うことができればいいなと思いやっていましたね。
 幸いにも当時のチームは気持ちの入ったいい奴らばかりだったので、はみ出そうな奴も結局僕らの方に引き込まれていきました。
 エースの古岡なんて、選抜以降は気付いたら走っていましたからね。学校から駅までの自転車で30分の道のりも、あいつは走って帰っていました。帰りは下り坂ですが、それでも10キロ近くはあります。鞄や荷物は後輩に渡して駅で待っててもらい、駅で着替えて帰るみたいな。さすがに僕はそこまでできなかったので、本当にすごいなと思っていました」

 取り組む姿勢、練習量。
 これまで以上に質の高い練習を積んでいき、京都成章の選手たちは春以降も大きく成長した。

 そして迎えた、夏の甲子園をかけた京都府大会。
 京都成章は、初戦から田辺高校に勝利を収めたものの2対0と苦戦し、続く3回戦も洛星高校を相手に4対1。決して、快勝とは言えない試合内容が続いた。
「特に苦戦したのが、準々決勝で対戦した大谷高校でした。試合は、5回まで2対6と劣勢に立たされる展開で、やばいなあと思いました。
 それでも何とか6対6まで追い上げて、なおも満塁のチャンスで僕に打席が回ってきます。どん詰まりのセカンドゴロでしたが、相手のミスで何とか逆転に成功しました」

 絶体絶命のピンチを脱した京都成章は、その後準決勝の北嵯峨戦は7対1で勝利し、決勝の鳥羽戦も7対0と完封勝利。
 大会終盤になるにつれて、選手たちは尻上がりに調子を上げていき、見事に春夏連続での甲子園出場を掴んだ。

「やっぱり危ない試合をモノにできるチームが、夏は勝ち上がっていくと思います。松坂のいた横浜高校もずっと危ない試合が続いていましたが、夏の戦いは絶対危ない試合があるので、そこをモノにできるかできないかがすごく大事です。ピンチの場面で、やばいどうしようで終わってしまうのではなく、粘り強く踏ん張ることができるかどうかが鍵になる。
 そういった部分を普段の練習で鍛えていくべきだと思いますし、技術練習だけでなく、そういった環境をいかにして作るかが本番に活きてきます。僕らは『27アウトのノック』という公式戦を意識した9イニング27アウトを取る伝統の守備練習をやっており、プレッシャーの中で練習をやってきたことも大きかったと思います」