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目標を持ち、全力で取り組めば開ける道はある。ブレイクスルーパートナー税理士法人・阿部慎史代表(早稲田実業OB)

2021.11.20

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 公認会計士、税理士、行政書士として多くの企業の経営をサポートしているのが、ブレイクスルーパートナー税理士法人の阿部慎史代表だ。
 東京六大学野球連盟や日本学生野球協会などの顧問会計士も務めており、野球界との関わりも持っているが、そんな阿部さんも元々は甲子園出場を夢見る野球少年であった。
 王貞治氏や清宮幸太郎選手(日本ハム)などを輩出した早稲田実業出身の阿部さんは、高校2年生の夏に控え選手ながら甲子園出場を経験。その後、早稲田大学でも野球を続けて、東京六大学野球の舞台で活躍したが、現在の活躍の基礎を作ったのは早稲田実業での3年間の高校野球生活であると断言する。
 3年間の高校野球生活から得たもの、そして現在のビジネスとの繋がりとは。

気付けば東京六大学を意識 夏からの切り替えで早稲田実業に合格

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ブレイクスルーパートナー税理士法人・阿部慎史代表(早稲田実業OB)

 1979年生まれ、東京都保谷市、現在の西東京市出身の阿部さん。
 三兄弟の末っ子で二人の兄が野球をやっていた影響から、物心ついた頃にはキャッチボールをするようになっていた。小学校に入学すると、地元の少年野球チーム・保谷ユニバースに入団して野球に慣れ親しんだ。
「はじめはいろいろなポジションをやりました。ピッチャーや内野、外野も経験しましたが、最終的にはキャッチャーを任されました。低学年の時からキャッチャーを守るのが好きで、そこから大学までずっとキャッチャーです」
 中学時代は硬式野球チームの保谷ドジャース(現:西東京ドジャース・ポニーリーグ)に所属し、ここでは打撃も大きく成長する。3年生時にはクリーンナップを任されるまでになり、地域では名の知れた存在に。チームは強豪とまではいかなかったが、攻守の要として活躍した。
「中学時代は毎日野球ばかりでした」と振り返る阿部さんだが、実は中学校は国立の東京学芸大学附属小金井中学校に通っていた秀才でもあった。阿部さん、そして同級生は受験をくぐり抜けてきた生徒ばかりで、学業への意識は高い環境である。阿部さんも周囲に引っ張られる形で勉強に食らいついていた。
 また、法政大学出身の父の影響から、気が付けば東京六大学を意識するようになっており、部活動を引退した中学3年の夏以降は高校進学のための受験勉強に集中。最終的に法政大学第一(現:法政大学高校)、立教新座早稲田実業の3校を受験し、早稲田実業商業科への進学を決めた。
「両親は教育熱心なタイプではなかったと思いますが、それでも『宿題はやったの』くらいは言われていました。中学時代は勉強と野球を両立したというよりも、引退するまでは野球に専念して、3年生の夏から勉強にエンジンがかかった感じでしたね」

[page_break:早稲田実業伝統の自立を重んじる指導の中で日々鍛錬]

早稲田実業伝統の自立を重んじる指導の中で日々鍛錬

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高校時代の阿部慎史代表(早稲田実業OB)

 無事に早稲田実業へ合格し、進学を決めた阿部さん。
 実は野球部への入部には迷いがあり、心境としては「早稲田実業で甲子園に出場する」よりも「東京六大学に進学する」といった気持ちが強かったという。
 強豪校でもあったことから、阿部さんは入学前に一度グラウンドを見学に行くことにしたが、結果としてこれが入部へと繋がっていくことになる。
「練習見学に行くと和泉実監督がいらっしゃって、声をかけていただきました。『入学予定者か』と聞かれたので、『そうです』と答え、中学校では硬式野球をやっていたことなどを話しました。すると、『中等部からの推薦組が入学前に集合する日があるから、その日に一緒に来たらどうだ』と言ってくださりました。
 監督直々に声を掛けてもらったことが嬉しくて、私は野球部への入部を決めます。おかげ様で、1995年の1年夏からベンチにも入れていただき、2年生の夏には控え選手ながら甲子園にも出場することができました。3年生の夏は、東東京大会(現在は西東京)の決勝で敗れて甲子園出場はなりませんでしたが、当時のチームは徐々に力を付けてきた頃で本当に大きな経験をさせていただきました」
 阿部さんが入学した時の早稲田実業は、現在も指揮を執る和泉監督が就任から2年しか経っておらず、その指導がまだ学生へと浸透していなかった。
 チームとしても1988年以降は甲子園から遠ざかっていたが、それでも1992年3月に急逝した和田明前監督の「選手の自主性を重んじる指導」は、和泉監督の手によって着実に引き継がれ、今まさにかつての力を取り戻そうとしていた頃であった。
 自主性を掲げる早稲田実業の練習だが、それは自立心を持って取り組まなければ上達できない裏返しでもある。野球は監督に選ばれて初めて試合に出場できるスポーツである以上、まずは監督に認められるため、練習をして実力を付ける必要がある。そのためには何をすればいいか。阿部さんは常に考え続けていたと振り返る。
「やっぱり僕なんかは考えてしまうんです、監督に使ってもらうためには何をすべきかと。いつ監督が見ているかと思うと、練習中に手を抜くことなんてできません。監督が自主練習に口を出すことはほぼなかったですが、やらなければならない危機感は常にありました。
 その中で特に意識したことは、無駄な時間を作らないことです。当時のチームは無駄な時間を過ごしている人間に対して、とても厳しい雰囲気がありました。夜遅くまで練習するため、しゃべっている時間などは本当に無駄で、練習しないなら帰ればという感じでした。そういった空気が作られていたことは、私だけでなくチーム全体が成長するための好循環の中にいたとも言えますね」

[page_break:威圧感に満ちた甲子園球場と悔いしか残らなかった最後の夏]

威圧感に満ちた甲子園球場と悔いしか残らなかった最後の夏

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ブレイクスルーパートナー税理士法人・阿部慎史代表(早稲田実業OB)

 和泉監督に「起用される選手」になることを常に意識しながら、日々練習に取り組んだ阿部さん。その甲斐もあり、2年生の夏には控え捕手ながら甲子園出場を果たし、高校野球の聖地に立つことになる。
 予選では20名の選手が試合出場選手として登録可能だが、甲子園で登録できるのは16名のみ(当時)。阿部さんは、本来であればベンチ外になる3番手の捕手だったが、東京都予選で2番手の捕手が怪我をしたためベンチに入ることができた。
 実際に立った甲子園球場は、想像していた以上に壮観だった。
「もう素晴らしいの一言です。東京都予選でもプロ野球で使用される[stadium]明治神宮野球場[/stadium]で試合をしていましたが、同じプロが使う球場でも甲子園の外野は天然芝で、絨毯のように平らでふかふかしてるんです。内野の整地された土の部分も本当に平らで、こんな綺麗なグラウンドがあるんだなと感動しました。
 そしてスタンドも、神宮のスタンドよりも傾斜が急なのでしょうか。大きくて威圧的な感じがするんですね。単純なサイズではなく、威圧感的にでかい球場だなと感じました」
 出場した第78回全国高等学校野球選手権大会では、惜しくも2回戦で三重県代表の海星高校に3対4で敗れるが、阿部さんは3年生が引退した後の新チームでは正捕手の座を掴み、また副キャプテンにも指名される。
 3年生の夏には、前年に続いて東東京大会の決勝に駒を進めたが、最後は岩倉高校に12対14で敗れ、阿部さんの高校野球は幕を閉じた。
 阿部さん自身も決勝で2つのエラーが出るなど、個人としてもチームとしても決して納得のいく戦いではなかったと振り返るが、それでも当時の悔しさが後の大学野球での活躍に繋がっているとも明かし、高校野球生活を総括する。
「甲子園は一回負けたら終わりのトーナメント。ですから、練習では絶対に一つの試合も負けないための練習をどれだけやってきたかだと思いますが、早稲田実業での3年間ではその練習をやってきた自負がありました。だからこそ、ミスで敗れたことは本当に悔しかったです。
 ちなみにこの年、夏の甲子園で優勝したのは智弁和歌山高校でした。でも練習試合では勝ってるんですよ。甲子園に出ていれば、全国優勝ができる力はあったと思っています」
 高校野球で大きな悔いを残した阿部さんは、大学でも野球を続けることを決心する。
 早稲田大学には、全国各地から実績のある選手が集まることも知っていた。それでも、力はあったはずなのにミスで負けたという、高校生最後の試合のあまりにも無残な負け方が、阿部さんを突き動かした。

[page_break:ドラフト指名選手とも互角の実力。大学野球での成長を生んだ二つのポイント]

ドラフト指名選手とも互角の実力。大学野球での成長を生んだ二つのポイント

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 高校野球での悔しさを引きずる形で、早稲田大学でも硬式野球部に入部した阿部さんだが、ここでの経験はその後の人生に大きな影響を与えるほど濃密なものであった。
 当時の早稲田大学も現在と同様、全国から実績のある選手たちが集まり、チームでは常にハイレベルな競争が繰り広げられていた。
 2学年上にはヤクルトなどで活躍した藤井秀悟氏(今治西出身)がおり、同期には江尻慎太郎氏(仙台二出身・元日本ハムなど)に東辰弥氏(天理出身・元阪神)、後輩にも和田毅投手(浜田出身・福岡ソフトバンク)や鳥谷敬選手(聖望学園出身・千葉ロッテ)、青木宣親選手(日向出身・東京ヤクルト)といった後の一流プロ野球選手が在籍しており、阿部さんもその中で必死に練習に打ち込んだ。
 中でも、一番のライバルだったのは、後に阪神タイガースにドラフト指名を受ける東辰弥氏だった。
「彼は天理高校の出身で、3年春の選抜甲子園大会で優勝を経験していました。そんな選手が同級生のキャッチャーにいて、入学した時は完全に彼の方が上でした。1年の春から試合に出場していましたね」
 だが、ここでレギュラー争いを諦めてしまったら大学まで野球を続けた意味がない。阿部さんは、ここでも高校野球と同様に「監督から使われる選手」になるためには、何をすればよいかを必死に考えた。
「大学になると、レベルの高い選手が全国から集まるので身体能力が桁違いなんです。パワーや足の速さ、肩の強さ。もちろん私も負けないようにトレーニングをしますが、生まれ持った身体能力を変えることはできないので、ではどうすれば試合に出場できるのか。僕にできるのは頭を使って考えることだけでした」
 考えた末、阿部さんが出した結論は「怪我の防止」と「投手とのコミュニケーション」の二つだった。
 どんなに良い選手でも、怪我をすれば試合に出場できない。とにかく常に試合に出場できるコンディションを作っておくために、トレーニングも怪我をしないための体作りと柔軟を重視。また捕手として試合に出場するためには、監督だけでなく投手にも選ばれる必要がある。投手との信頼関係を構築するために、綿密なコミュニケーションにも多くの時間を割いた。
「大学2年生の時に監督が変わったのですが、野村徹監督という捕手出身の方で、やはりキャッチャーに対する指導の目が厳しいなと感じました。野村監督から指導を受ける中で、試合で使ってもらうためには投手との信頼関係が大事だと考えるようになりました」
 この二つを重視して練習に取り組んだ阿部さんは、下級生時からベンチ入りのチャンスを掴むようになり、2年生時には東京六大学リーグ優勝、全日本大学野球選手権準優勝をメンバーの一員として経験する。
 4年生時には捕手のレギュラー番号を掴むことになり、最大のライバルであった東氏とは試合出場機会がほぼ半分ずつ。互角以上の実力を見せて、また副キャプテンとしてもリーダーシップを発揮。憧れであった東京六大学野球の舞台で活躍した。

[page_break:野球は大学で終わり。卒業後、公認会計士の道へ]

野球は大学で終わり。卒業後、公認会計士の道へ

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 早稲田大学でも、捕手として地道に実力を伸ばした阿部さんだったが、実は4年生を迎える前に卒業後は野球を続けないことを決めていた。
 ドラフト指名を受けた選手と互角の実力を見せていたのであれば、阿部さん自身もドラフト指名まではいかずとも、社会人野球を続けるチャンスも十分にあったと思われるが、内心では上のレベルでは通用しないだろうと感じていた。
「私は、3年生までレギュラーになることができませんでした。上のレベルで活躍する選手たちは、早い学年から試合に出場して活躍していたので、3年になるまで試合に出場できないような選手は上では難しいだろうなと自分なりに決めつけていました。
 4年生になる前に監督との進路面談で、『野球は大学まででやめます』と伝えて、就職活動をすることを宣言しました。
 余談ですが、プロに入団した同期の選手たちから、お前も良いキャッチャーだったとスカウトの人たちが言っていたと後に聞かされました。でもドラフト下位指名レベルでも、野球を続けないと宣言している選手を指名するわけがありません。
『何が何でもプロに行きたい』と言い続けていたライバルの東は、阪神に指名されましたが、結局大事なのは『プロに行きたい』と思い続けることなのだと思います」
 では、そこから一体どのような経緯で公認会計士、税理士、行政書士の仕事へと至ったのか。
 実は4年生になり、野球と並行して就職活動も行っていたのだが、両立に限界を感じる出来事があった。企業面接は土日にも行われるが、リーグ戦の試合と日程が被る。迷った末、面接を受けた直後に試合に臨むことに決めたが、阿部さんは試合に向けての気持ちの切り替えに苦労したという。
「第4週目の東京大学との試合でした。企業の面接に行って、スーツのままチームメイトに遅れて神宮球場に行ったのですが、その時チームメイトはユニホームでウォーミングアップをしているのです。遅れて自分もウォーミングアップをはじめるわけですが、なかなか切り替えができませんでした」
 捕手として先発出場した阿部さん。だが、試合が始まると早稲田大学は苦戦を強いられ、3回を終えて0対2とリードを許す。
 先発は和田毅投手だったが、流れが悪くベンチの雰囲気も良くない。阿部さんの頭に投手交代もよぎっていた、その時だった。
 監督はなんと捕手交代を告げたのだ。
 阿部さんに代わり、マスクを被ったのはライバルの東氏。この選手交代により流れが大きく変わった早稲田大学は、後半の集中打で逆転勝利を収める。つまり、前半の流れの悪さは、捕手である阿部さんが原因だったと判断されたのだ。
 この一件で、レギュラー落ちへの危機感を持った阿部さんは、ある決断をした。
「こんなことを繰り返すわけにはいかないと思い、両親に就職活動を一旦やめようと思うと相談しました。留年するか何かして、今年は野球に専念させてほしいと。
 ありがたいことに、両親はわかったと言ってくれて、それじゃあ卒業後に専門学校に入り資格を取得すればとアドバイスをもらいました。そこで提案された資格が公認会計士でした」
 両親の提案を受けて、阿部さんは就職活動をやめて引退後に専門学校へ進むことを決断。
11月に最後のリーグ戦を終えると、そこから猛勉強を開始した。
「東京六大学で試合に出ていた選手たちは、秋にスポーツ新聞などに進路が発表されるのですが、そこに公認会計士と載ってしまったんです。まだなってもいないのに、いろんな人にお前会計士になるのか、すごいねって言われてしまい。これはもう後には引けないなと思いましたね」

[page_break:監査法人を3年で退所。友人との共同経営で独立へ]

監査法人を3年で退所。友人との共同経営で独立へ

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 野球を引退した翌年の1月に専門学校へ入学した阿部さん。
 猛勉強の甲斐もあり、さらに翌年の5月に行われた試験で見事合格。倍率6%の狭き門をくぐり抜けて公認会計士になることができた。
「勉強は、本当に野球に比べれば楽だと思います。野球は暑い日も寒い日も長時間の練習をやらなければならず、練習したことがそのまま試合に繋がるとは限らない。報われない努力もありますが、それに比べて勉強は基本的に冷暖房完備で、やっただけ必ず点数になって跳ね返ってきます。当時は1日14、5時間勉強しましたね」
 晴れて公認会計士となった阿部さんは、新日本監査法人に入所して社会人としての生活をスタートさせる。
 だが結論から言えば、阿部さんは3年間勤務して退所することとなる。公認会計士の仕事は、上場企業の決算書に間違いがないかチェックすることだ。営業マンのように売り上げの数値目標があるわけではなく、淡々と「間違い探し」を行う毎日。目標のない生活にやりがいを感じることができなかった。
「主なお客様は経理の方々なのですが、自分がやった仕事の間違いを指摘されるので、相手からすれば煙たい存在なんですね。煙たがられる仕事をやるのがつらく、つまらないと思い3年でやめてしまったのが正直なところです。
 その後は、同期にプロ野球選手がいた影響から代理人の仕事に興味を持ち、弁護士事務所に転職しました。代理人の仕事は交渉事なので、非弁行為に当たるため日本では弁護士にしか認められていないのです。
 ここでは法律への感覚、リーガルマインドを肌で感じながら仕事をすることができました。半年でやめてしまったのですが、非常に大きな経験をさせていただいたと感じています」
 志を持って入所した弁護士事務所を、半年で退所したのには理由がある。ある日、友人に共同経営での会計事務所立ち上げを持ちかけられたのだ。目的を持って入所した手前、すぐに退所することへの躊躇いもあったが、それ以上に目標を持って仕事をすることへの思いが沸々と湧き上がってくる。
 阿部さんは弁護士事務所を退所し、友人とともに会計事務所を立ちあげることを決断した。
「結局2年ほどで仲間割れして、私が抜ける形で共同経営をやめて一人で独立しました。会計の仕事とは関係のない事業をやろうかとも思いましたが、最終的に会計士だけでなく、税理士の仕事もやることに決めます。会計士の資格を取ると、税理士の資格もついてくるんですよ。経営者と直接接することができて、喜ばれる仕事がしたいと思ったのです」
 滑り出しは順調だった。独立した当時はFacebookが出始めた頃で、独立したことを発信すると早稲田実業や早稲田大学のつながりから多くの紹介があった。
 早稲田系列のつながりの深さを改めて実感し、とんとん拍子で事業を拡大。現在は、東京六大学野球連盟や日本学生野球協会などの顧問会計士も務めており、再び野球界との関わりも持つようになった。

[page_break:経営者となり人材育成の重要性を実感。まだ道の途中]

経営者となり人材育成の重要性を実感。まだ道の途中

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ブレイクスルーパートナー税理士法人・阿部慎史代表(早稲田実業OB)

 仕事を受注する点では順調だった阿部さんだが、その一方で人材の育成には苦労が多くあった。これまでは野球でも仕事でも、自分のパフォーマンスさえ高ければ結果を出すことができたので、後輩を育てていくことを意識したことがなかったのだ。
 経営者の立場となり初めて人材育成の重要性を肌で感じ、阿部さんは社員が前向きに成長していける取り組みを日々考え続けた。
 その結果、行きついた答えは「会社の成長」と「社員の成長」をリンクさせることだった。人間は目的を持って仕事に取り組めば、一生懸命になって成長しようとするが、さらに組織の目的と従業員の目的が紐づくようになれば、双方が同じ方向を向いて共に成長することができる。
 阿部さんは組織と従業員がともに成長するための目標を作り、従業員にとって価値のある組織にしていくことを決めた。
「高校野球を3年間続けた人は、そもそも目的を持ち続けている人なので、勝手に最後まで続けるんですよ。みんなが同じ甲子園という目標を共有しているので。自分は何となく起業したこともあり、これまでは『日本一の会社を作る』のような大きな目標を持っていたわけではありませんでした。そこで個々の成長と会社の成長をリンクさせる目標を作りました」
 その目標は公にはしていないが、新たな目的を持ったことで組織全体に推進力が生まれ、ここまで手応えを掴んでいると語る。
 そんな阿部さんに、現役の高校球児へのメッセージをお願いすると、早稲田実業時代、そして経営者である現在を照らし合わせながら温かい言葉を送った。
「目標を決めたら、まずはそれに向かって一生懸命全力で取り組んでほしいと思います。もちろん必ず甲子園に行けるとは限りませんが、その先に必ず開く道はあると思うので。
 私はたまたま2年生の時に甲子園に行きましたが、行けなかったとしても高校時代に自主性を持って練習に取り組んだことや、チームメイトと同じ方向を向いてできる限りの努力を重ねたからこそ、今があると思っています。だからこそ、みなさんは今、野球に100%の力を注いでほしいです」
 まだ道の途中ではあるが、阿部さんも今、経営者にとってのよき相談相手として、また社外ブレーンとして企業の発展を支援するための経営に取り組んでいる。
 これからも野球で培った「全力で取り組む力」を、経営者たちを支える力へと活かしていく。

(取材:栗崎 祐太朗

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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