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ビジネスマンとしての基盤を作った早稲田実業の「自立」の精神 東京ガスケミカル株式会社・阿久根謙司常務(早稲田実業OB)

2021.06.30

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 早稲田実業の和泉実監督、桐光学園の野呂雅之監督と高校球界を代表する名将と同じ高校時代を過ごしたのが、東京ガスケミカル株式会社の阿久根謙司常務だ。

 阿久根さんは、早稲田実業、早稲田大、東京ガスと俊足の外野手として野球を続け、その後社業に専念した後もプロサッカークラブのFC東京で社長を4年間務めるなど、ビジネスマンとしても実績を残して、現在もグループ会社の東京ガスケミカル株式会社で辣腕を奮っている。

 そんな阿久根さんは言う。
 ビジネスマンとしての土台を築いたのは、早稲田実業野球部での3年間であると。

 阿久根さんの高校野球、ビジネスマンとしての活躍を語る上でキーワードとなるのは「自立」だ。その背景や核心、そして現役の高校球児へ伝えたい思いに迫っていく。

王貞治さんに憧れ早稲田実業を志す

 埼玉県所沢市出身、1961年生まれの阿久根さん。
 その頃は、子どもは野球をやるのが当たり前の時代。小学校1年生から野球チームに入団する友人も多い中で、阿久根さんがチームに入団したのは4年生と、当時としては少し遅めだった。

 「それまで何をしていたかと言うと、日曜日になるとよく友達と公園で遊んでいて、遊びに行く前には親父が100円をくれるんですよ。文房具屋兼おもちゃ屋みたいなお店が学校の前にあって、その100円をいかにして上手く使うかワクワクしながら考えて、お菓子やアイスを買ったり、時にはお店のおじちゃんがおまけをしてくれたり、そしてそれを秘密基地で食べたり、色んな事をして遊びましたね」

 その後、友人に誘われたことがきっかけで小学校4年時から所沢リトルで野球を始めた阿久根さんだが、かと言って生活が野球一色だった訳でもない。

 父親との約束で毎朝6時にランニングを行っていたが、途中で歩いて近くの焼却炉にガラクタを探しに行くこともしばしば。学校ではお楽しみ会(学芸会)での演劇のシナリオつくりやプロデューサー役として友達と日々楽しんでいた。

 「ポジションは外野で、センターを守っていました。上手な子はピッチャーやキャッチャー・内野手などに指名されましたが、下手だから外野に回されたのだと思います。外野でも最初はよく“バンザイ”していました。
 でも野球も勉強も嫌だと思ったことは全く無く、早稲田実業は王貞治さんが出た高校だということは知っていたので、そんな場所で野球がやりたいといった気持ちが強くありました。当時は巨人のV9の時代なので、もう憧れですよね。後楽園球場にもたまに連れて行ってもらいましたが、行く度にワクワクでした。
 勉強の方はそこそこ点数は取れていましたが、ちゃんと塾に行って受験勉強をしている人もたくさんいたので、今思えばそれでよく早実に合格できたと思っています」

 その後、無事に早稲田実業中等部に合格し、在学時は学校の軟式野球部と硬式野球チームの所沢シニアを掛け持ちして野球に打ち込んだ。
テレビ画面の中の甲子園で躍動する、早稲田実業のユニフォームに大きな憧れを抱いて、毎日夢中で白球を追いかけた。

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「教えない教え」の中で野球に打ち込んだ高校時代

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 内部進学で早稲田実業高等部に進み、野球部にも入部した阿久根さんだったが、1977年(昭和52年)当時のチームは歴代でも非常に力をつけていた時期だった。

 阿久根さんが中学2年時の1976年に早稲田実業は12年ぶりに甲子園に出場し、高校入学直前である1977年の選抜大会からは4季(春夏)連続で甲子園に出場。また1学年上には、後に中日ドラゴンズで活躍する川又米利氏がおり、阿久根さん自身も2年生の春夏と2季連続で甲子園の土を踏んだ。

 「2学年上の先輩方は春夏と甲子園でベスト8に進出されて、本当に強い世代でした。1学年上の川又さんは本当によく練習される凄いバッターで、その後甲子園に出られなかった私たちは、自分たちを「谷間の世代」と勝手に呼んでいました。同期には和泉実さんや野呂雅之さんがいて、のちに指導者として素晴らしい実績を残していますが、学年としては谷間だったんです」

 当時の早稲田実業は、なぜそれほど強かったのか。
 阿久根さんは、恩師である和田明監督の指導方法に触れながら強さの秘密を明かす。

 「教え子のみんなは、和田監督の指導を、『教えない教え』と呼んでいました。
 打撃に関しても『スーッ・ターンと打て』としか言いませんでした。今考えてみると、『スーッ』で力を溜め込んでボールを呼び込み、『ターン』でしっかりボールを前で捉える、ということと理解しています。野球を左脳の「言葉」で教えるより、長嶋茂雄さんと同じ右脳(イメージや音)的での指導であったためわかりやすかったです。しかも監督自身が実際にバッティング練習でゲージに入り、「スーッ・ターン」とホームランを連発していました。それ以外の細かい技術指導はありませんでした。
 「教えない教え」は、つまり自分で考えさせていた、ということだと思います。

 当時の早稲田実業は学校からグラウンドまでも距離があり、グラウンドにも照明が一部しかなく、暗くなると練習を行うことが出来なかった。特に冬は練習開始から30分ほどでグラウンドは暗くなり、以降は各自で自主練習を行うことになる。

 決して恵まれた環境では無かったが、環境が整っていなかったからこそ「教えない教え」の通り、選手は自分で考えて様々な自主練習をしていました。和田監督は、多くは教えず、選手一人ひとりが考えて動くことを求めていたのだと思います」

 阿久根さんも、そうした早稲田実業の環境の中で持ち味の守備力を磨くことができ、高校2年春夏と控え選手ながら甲子園出場、3年時はレギュラーを掴むことができたと振り返る。

 「私は守備範囲が広いと言われていましたが、そうなれたのは早稲田実業の野球の中で自分で考えながら練習したからだと思っています。
 当時は川又さんがチームでも特に凄い打球を打っていたのですが、川又さんが打撃練習をするときに私はよく守備についていました。その時、外野への大きなフライに対し、いかに早く打球から目を切り、落下地点まで早く行けるかをいつも意識して練習していました。川又さんは外野への大飛球をたくさん打ってくれたので、私の守備がうまくなったのです。

 昔の高校野球は『やらされる練習』が主流でしたが、やっぱり大事なのは『自立』だと思います。現在の早稲田実業の和泉監督も、『選手が勝手に育つのを、少し後ろで見て支えてあげるだけ』と言っていました。だから選手が育つのだと思います」

 「自立」を促す指導方針は、その後の阿久根さんの人生に大きな影響を与えるものとなっていく。

[page_break:「正しい査定」により1年で監督を解任に]

「正しい査定」により1年で監督を解任に

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 高校卒業後、早稲田大、東京ガスと野球を続け、その後指導者を経て社業に専念することになる阿久根さん。だがビジネスマンとしてのエピソードの前に、「自立」への思いをより強くさせる出来事について触れておきたい。

 東京ガスに入社後、7年間選手としてプレーし、その後4年間コーチを務めた阿久根さんは、1997年に1年間だけ監督を務めた。

 「実は1年で監督を辞めることになりました。恐らくそんなことは東京ガスの野球部が始まって以来、そしてこれからも私だけだと思います。
 監督として2年目を迎えるときに、『教えるティーチングは止めようと思う』とコーチに相談したところ、そのコーチからは『それはできない』と言われました。当時の私はコーチングの勉強を始めたばかりで、コーチに納得してもらえるような話ができず、コーチからは『選手たちはみんな監督についてきているじゃないですか、何で方針を変えるのですか』ともっともなことを言われて、コーチング導入についての話し合いが2~3週間続きました。

 結局、私とコーチの意見がぶつかる形になり、野球部長が間に入ってヒアリングが行われた結果、私ではチームをまとめきれてないので監督交代という『正しい査定』が下りました。こうして私は監督を一年で辞めることになります」

 「正しい査定」と口にするように、阿久根さんはこの出来事を真摯に受け止め、コーチにも選手にも迷惑をかけたと感じ、部下に「自立」を促すようなコーチングを覚悟と信念を持って取り組むことを心に決めた。

 阿久根さんが行いたかったコーチング、それは早稲田実業時代に自らも取り組んだ、選手に「自立」を促す指導だ。ポイントは以下の3点。
・相手の話を傾聴する
・共感する
・否定せず最後まで聴く

 こうした取り組みを行うことで、選手が自ら考えるチームを作りたい思いが阿久根さんにはあった。

 だが、人間万事塞翁が馬。
 その思いは野球指導の現場で実現することはなかったが、ビジネスマンとして大きく花開くことになる。

[page_break:傾聴、共感、否定せず最後まで聴く改善で社内でも存在感]

傾聴、共感、否定せず最後まで聴く改善で社内でも存在感

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 社業に専念後、阿久根さんは思い描いていた「自立」を促すコーチングを活かして、ビジネスマンとして社内で実績を残し始める。

 阿久根さんはある社員の、ユニークなエピソードを紹介した。

 外出先では無事故なのに、帰社後の車庫入れ時に、車の後ろや横をこすってしまうことがなくならない、という事象があった。現場の安全運転責任者に原因を聞くと「外で緊張できているのに、帰社して気が抜けてたるんでいるんだよ」と言うだけで、阿久根さんが本人になぜぶつけてしまうのか聞くと「左後方確認不足で…」と口にする。

 本来であれば、そこで終わってしまうところだが、阿久根さんはもう一歩踏み込んで、「そういうことってあるんでしょうね。ではなぜ左後方が確認不足だったんでしょうか?」とミスを認めたうえで質問を重ねた。

 するとその社員は、渋々口を開き、
 「『朝、奥さんと喧嘩をしてきたんです』と言うんですよ。では、どんな理由で喧嘩したのか尋ねると、犬の散歩をする際に、犬が糞をすると拾って公園のトイレで流すそうなのですが、それを聞いた奥さんは『うちの子の糞だから、公園に捨てず家に持って帰ってきなさい』と。それで喧嘩をしているそうなんです」

 喧嘩が原因で、運転中の集中力を欠いていたその社員に、阿久根さんはさらに質問をした。
 「では、どうすれば集中力を欠くこと無く、車の左後方をぶつけずに済みますか?」

 するとその社員は、ハッとしたように答えた。
 「犬の糞を家に持って帰って捨てればいいです」

 「次の日から、その社員は左後方をぶつけることなく駐車ができました。なぜできたのか聞いてみると、やはり犬の糞を家で捨てたからだそうです。家で捨てたことに奥さんが感激して『ありがとう』と言われただけでなく、もう何十年もしてくれていなかった出勤時の玄関先までの見送りにまで来て『あなた、行ってらっしゃい、気を付けて』と言ってくれたそうです。その日はものすごく気分が良くて、運転に集中できましたと。

 結局、なぜミスが減ったかというと、私がミスを認めたからです。夫婦喧嘩の中身なんて、普通人には言ってくれないはずです。
 『そういうこともありますよね』と私がミスを認めることで、嘘の原因究明ではなく、本当の原因究明から、本当の再発防止策につながったのです」

 傾聴、共感、否定せず最後まで聴く。先述した3つのポイントが実践されていることを如実に示すエピソードだ。
 相手の気持ちに寄り添い、ミスや弱点、本当の問題がどこにあるのかを気付かせることで、多くの業務改善に成功した阿久根さん。2002年にR&D企画部に異動し、2008年からは導管企画部のグループマネジャーを任されるなど、社内でも存在感を見せていた。

 そして2011年12月、そんな阿久根さんに思いも寄らぬ転機が訪れる。

[page_break:再建を託されFC東京の社長に 風土を一新した「自立」の精神]

再建を託されFC東京の社長に 風土を一新した「自立」の精神

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 2010年12月6日、阿久根さんのもとに突然辞令が出された。
 何とプロサッカークラブであるFC東京を運営する、東京フットボールクラブ株式会社の社長を命じられたのだ。
 実は辞令が出される2日前の12月4日、FC東京は最終節で京都サンガに敗戦しJ2降格が決まったばかりだった。

 チーム再建の重責を任されただけでなく、畑違いのサッカーのクラブ経営。しかも当時のFC東京には日本代表選手が2人在籍しており、メンバーは決して悪くなかっただけに早期のJ1復帰は至上命令。大きなプレッシャーの中での舵取りを任された。

 「降格したプロサッカークラブの立て直しにコーチングが通用するだろうか」
 一瞬そんな言葉も頭を過ぎったが、それでも阿久根さんはここでもブレることなく、早稲田実業野球部で培った自立を促すコーチングを実践することを決めた。

 社長に就任してまず最初に、阿久根さんは選手に対してミーティングをやらせて欲しいと、監督にお願いした。
 J2降格直後で、ショックを引きずっている選手たち。だが阿久根さんは、開口一番に意外な質問を投げかけることで、選手たちの興味を引いたのだ。

 「『皆さんが思い描く理想のキャプテンシー、キャプテン像ってどんなものですか』と質問しました。選手たちははじめは呆気にとられていましたが、次第に色んな答えが出てきます。それをホワイトボードに書いていったんです。

 田中マルクス闘莉王氏やドゥンガ氏・長谷部誠選手、中には漫画・ワンピースの主人公であるルフィと答える選手もいました。『何言ってんだ。マンガじゃないか』と否定する選手もいましたが、どんな答えが出ても私は絶対否定することはしません。
 『待ってください。マンガだって社会風刺していて、的を得ていることもあると思うんですよ、ところで、一体ルフィさんのキャプテンシーってどんなものなんですか?』と聞くと、その選手は『矢面に立つ、です』と答えました。私は『素晴らしいキャプテンシーですね』と否定せず共感しました」

 一通り、答えが出揃うと阿久根さんは口を開いた。

 「みんなバラバラですね。
 でももしかするとこれはそれぞれ自分がなりたいキャプテン像なんではないでしょうか。そしてもしみんなが自分が理想とするキャプテンのように自立すれば、絶対に意識や行動が変わり、FC東京は間違いなく強いチームになると思います。
 そのためのサポートはしっかりしますので、これからよろしくお願いします」

 このミーティングを通して阿久根さんは、新しい社長は一人一人の考えを認め否定をしないことを理解してもらえ、チームに士気を取り戻すことができたと振り返る。
 その後も選手と個別に話し合う中で、チームの課題としてより粘り強い精神力や、選手個人個人の主体性が必要だと感じ、改めて選手の「自立」を目指したコーチングを行うことを決意した。

 阿久根さんは、2011年J2リーグの開幕までに「自立」に向けたいくつもの布石を打つ。
 まずは自主性に定評のある東芝ラグビー部の練習に選手と足を運び、実際に模範となる組織の在り方を目に焼き付けさせた。

 ホイッスルが鳴ってプレーが止まる約15秒の間に、選手たちが自発的にコミュニケーションを取って、次の組み立てについて自分たちで考える、というのが薫田前監督の指導だった。実際のゲーム形式の練習においても、プレーがひと段落すると3~4人の塊があちこちにでき、全員が話しながらセンターラインまで戻る。また全員で集まっての話し合いの場には監督はおらず、高台の上で俯瞰してその姿を見守るだけ。グラウンドに立つ選手のみで作戦や空気感を作り上げていた。

 「絶対に勉強になるなと思って練習を見に行かせていただきました。その後FC東京の選手全員にレポートを書いてもらうと、『俺たちに足りないのはこれだ。選手同士のコミュニケーションがなかったのが降格につながった』とのことでした」

 また変えたのは選手だけではない。
 選手たちをサポートする、スタッフの業務や意識も改革していった。

 「スタッフの部長クラスに『このクラブの課題を上げてください。答え付きで』とお願いしたところ、『会議の在り方を変えるべき』という意見がありました。これまでの会議は、Aさんが社長に提案すると、それに対して社長から10分ぐらい意見と結論が伝えられ、次にBさんが提案するとそれに対して10分社長からの話、といった具合に、議論にならないまま時間が過ぎていったそうです。

 そこで、みんなで話し合って会議にルールを決めました。各部長には3日前までに議題の内容を読み込んで準備してもらい、会議では議論だけを行う、というルールにすることになりました。
 それまで議論した経験がなかったので、始めは稚拙な意見や的外れな意見も出ていたずらに長い会議になり7時間を費やすことになりました。しかし、時を重ねるにつれてだんだん中身のある議論ができるようになり、最終的に4年後にはそれが集約されて3時間で効率的な会議になった、ということはなく、中身が濃く全員から意見が出る7時間の会議にブラッシュアップされました。それぞれが自立して、やらされずに議論できるようになったのです」

[page_break:「パスをつなぎ倒させてください」下位低迷からの快進撃]

「パスをつなぎ倒させてください」下位低迷からの快進撃

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 こうして、選手とスタッフの「自立」に向けたいくつも布石を打ち、迎えたリーグ戦だったが、いざ開幕するとこれまでの良い雰囲気とは裏腹に全く勝てない。
 序盤は7戦のうち2勝しかできず、順位も13位と低迷。
 5月のアウェイでのゲームでは決して能力が高いと対得ない相手チームが必死に食らいついて1対2と敗戦。スタジアムではファン・サポーターから、ブーイングではなく「罵声」が飛ばされた。阿久根さんは、このままではJ1復帰は難しい、J2 暮らしが長くなるかもしれないと覚悟したと振り返る。

 だがそんな時、選手たちから思いもよらぬ提案が出た。
 当時の大熊清監督のサッカーは、「堅守速攻」の粘り強く守ってカウンターで得点を挙げるスタイルだったが、選手から出てきた提案は、パスを回して試合の主導権を握る「パスサッカー」だった。

 実は当時のFC東京には、日本代表の選手が2人もいたため、相手選手はどうしても守備偏重になり、こちらがカウンターできないゲーム展開だった。前年まで、FC東京は城福浩監督が途中解任になるまではパスサッカーを行うチームで、そうした背景もあり選手から「パスサッカーがいい」と主体的な声が上がったのだった。

 「しかも選手たちが言った言葉は、『パスサッカーをやらせてください』ではなかったんです。

 今でも鳥肌が立ちます。
 大熊監督からは、『奴らなんて言ってきたと思いますか。“俺たちにパスをつなぎ倒させてください”って言ってきたんですよ。阿久根社長、私はこれが奴らの信念なのだと思いました。私の辞書にパスをつないではいけないという文字はなかったので、“よし、それでいこう”と伝えました』と。
 その日から選手たちの目の色が変わりました」

 そしてそこからFC東京は破竹の快進撃を見せる。
 引き分けを挟んで11戦負けなし。下位に低迷していたのが嘘のように一気に1位まで駆け上がっていき、見事リーグ優勝。1年でJ1復帰を達成して、天皇杯でも初優勝を果たした。

 「自分たちで決めたことなので、緩くならないんです。J1に復帰した後も、年々成績を上げていき、会社としての収益も増えていきました。
 それで私は、この組織は自立したなと思い社長を退任することに決めたんです。『社長のいらない会社』がやっぱりベストだなと思います。『究極の自立』です」

 2015年に東京ガスに帰籍し、その後もライフバル推進部長や東京ガスケミカル株式会社の常務執行役員に就任するなど、活躍を続ける阿久根さん。
 現役の高校球児たちへのメッセージをお願いすると、サッカーの話から一転して最後は野球人の笑顔を見せて口を開く。

 「例え監督の指示、命令があったとしても、やるのは自分なので、そこに自分の意思が無ければただの『やらされる野球』になってしまいます。生身の人間がやることなので、色んなことが考えられるようになると、野球がとても面白くなります。
 自分が無いとやりがいに繋がらないし将来にも繋がりません。野球でそうなれるチャンスがあるのに、逃しているのはもったいないなと思うので、野球を通じて、そして将来は自分の選んだ道で、是非自立することを目指してほしいなと思います」

 やっぱり阿久根さんには、野球がよく似合っている。
 これからも早稲田実業で培った「自立」の精神で、活躍を続けるに違いない。

(取材:栗崎 祐太朗

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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