Column

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB)

2021.05.27

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB) | 高校野球ドットコム
このシリーズの他の社長のストーリーを読む!
【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった

 アグレッシブ、エネルギー、情熱的――
 今回の取材を通じて感じた印象だった。高校野球屈指の激戦区・千葉県の成田市に本社を構え、主に住宅の販売やリフォーム。増改築・リノベーションといった業務を中心にして展開する株式会社ハウジング重兵衛。創業120年を超える伝統のある企業だ。

 そんな歴史ある会社のかじ取りを任されているのが、6代目となる菅谷重貴社長。高校時代は地元・千葉の佐原で高校野球に打ち込んだ元高校球児だが、高校野球は菅谷社長の中でどんな思い出となっているのだろうか。

チームメイトの一言が仕事の土台となった

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB) | 高校野球ドットコム

 「小さい時から両親が仕事をしている姿を近くで見ていました」という菅谷社長が野球と出会ったのは小学4年生の時。
 「夏になれば水泳、冬は駅伝。また、それ以外にもバスケや陸上など、運動神経が良かったので、色んなことをしていました。そんな中、先輩が野球クラブに入っていたことをきっかけに野球も始めることにしたんです」

 それまで野球との接点はなかったというが、野球にのめり込んでいった菅谷社長は、中学に進学しても部活動で野球を続けた。「がむしゃらにやっていました」と当時を振り返るが、父親譲りの運動神経の良さと、負けん気の強さを前面に出したプレーで、中学時代は主将として県大会まで勝ち進んだ。

 当時を菅谷社長はこのように振り返る。
 「負けず嫌いでしたので、人の上に立って指示を出したり、リーダーシップを発揮するのは好きでした。ただ、自分のことばかりを考えて、チームのことまで考えられていませんでした」

 そんな菅谷社長は、高校で地元の佐原高校への進学を決める。佐原をはじめいくつかの学校から推薦の誘いがあったが、「進学校だったということと、周りからも強く推されて決めました」と佐原へ入学。

 佐原野球部の同級生には、地元でも有名な選手ばかりいた。これには菅谷社長も「このメンバーなら高校野球でも頑張っていけそうだ」と刺激を受けたという。

 「当時は毎日10キロくらい走っていました。今にして思えばあまりいい練習ではないですね(笑)」と笑う菅谷社長だが、練習自体は苦にならなかった。元々、小学生の時に駅伝や陸上などをやっていたこともあり、長距離は得意だった。

 その後、試合に出られるようになったのは2年生になってから。自分たちの代になると、4番サードで試合に出場。打線の中心として佐原の攻撃を支えた。また、身体能力の高さを生かした守備範囲の広さや、強肩を武器にサードとして活躍。

 だが、送球に課題があり、3年春には外野にコンバートとされたものの、このコンバートが菅谷社長にとってはプラスに働いた。
「結果的に外野手となったことで、バッティングに専念することが出来るようになったんです。また、その頃からウエイトトレーニングも始めて、パワーがついたので、ホームランが一気に打てるようになりました」

 そして迎えた最後の夏、佐原は強豪ひしめく中で4回戦まで勝ち上がるが、安房高校に敗れベスト32止まり。あと1つ上位進出とはならなかった。「もう少し上に行きたかった」と語る菅谷社長だが、佐原での3年間は現在の仕事の基盤となったことは間違いない。

 「高校では副主将を務めましたが、中学時代と変わらず自分のことしか考えられない井の中の蛙でした。甲子園に行きたい、1つでも上に行きたいと思ってプレーをしていましたが、ある時、チームメイトから『俺はお前のやり方に我慢しているんだ』と言われたことがありました。その一言をきっかけに、チームに対する意識が変わりました」

 実は菅谷社長は、それまでは先輩とも喧嘩をしてしまうほど、気持ちが前に出過ぎてしまい、自分のことを最優先にするような選手だった。しかし、チームメイトの思いを知り、それからは周りのことを最優先に考えるようになったという。

[page_break:野球に代わるものは会社を受け継ぐことだった]

野球に代わるものは会社を受け継ぐことだった

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB) | 高校野球ドットコム
佐原高校時代の菅谷重貴社長(真ん中)

 そんな菅谷社長は、「まだ野球をやり切れたとは言えない」と不完全燃焼の想いから、高校野球を終えたあと、大学野球の道へ進むことを決意。東京六大学か東都大学リーグでプレーをするために選んだのが、青山学院大の夜間部だった。

 子供のころから夢だったプロ野球選手になるために、厳しい環境に身を投じた。

 「青学に進学して気付かされたのは、自分は高校までいろんなことを他人のせいにしてきたんだなということです。青学は自主練習が多かったですし、全国の名門校出身の選手たちが集まり、身体能力が高いだけじゃなくて、野球を知っている人が多かったんです。そういう選手たちと比較して、自分の取り組みや考えの甘さを痛感しました」

 それでもプロ野球選手の夢を叶えるために、菅谷社長は練習を続けたが、大学4年生になる前に、自ら引退を決意した。プロ野球を志すには実力が足りなかったと感じたのだ。
 「小学4年生から始めた野球から離れることになり、野球がなくなって、無の状態でした」と当時を振り返る。

 野球に代わるような情熱を注げるものとは何か。菅谷社長が考え抜いた先に見つけた答えは父親の存在だった。
 「小学4年生から大学まで野球をやらせてくれた父親のことを思い出したんです。父の仕事ぶりを幼いころから見てきて尊敬もしていました。そんな父と一緒に働いて、会社を継ぎたいと思いました」

 しかし、株式会社ハウジング重兵衛の当時の社長であった父に話をしたところ、「会社としてもまだ準備が出来ていないから、もう少し待ってくれ」と止められた。そこで、大学卒業後は、同業の株式会社リバティホームへ就職をした。

 「入社後は、周りには『3年間で10年分の仕事をやって、辞めます』と宣言していました。それがあって人によっては、『3年で辞める人間だから』と冷たくされることもありました。でも、事情を理解いただいた先輩方などからは営業のノウハウを丁寧に教えていただきました」

 そこでは、株式会社ハウジング重兵衛で取り扱っていなかった新築を中心に勉強したが、そのなかで「お客様のために一生懸命やれば、その想いはお客さんに伝わる」ということを学んだという。それは現在の仕事の土台ともなっている。

 その後、大学時代に取得した宅建の資格を活かせる三井のリハウスに転職。不動産の売買ノウハウを学んだ後、2011年より、株式会社ハウジング重兵衛に就職。最初の1年間は職人として、現場で働く日々を送った。

 その後菅谷社長は、2012年に常務に就任。そして2019年より6代目の社長として会社のトップに立った。

[page_break:3つの信念を貫き、これからも人々を笑顔に]

3つの信念を貫き、これからも人々を笑顔に

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB) | 高校野球ドットコム

 創業120年のタイミングでの社長就任となった。

 「下積み時代からずっと会社を継ぐ準備をしてきたので、自分の中では準備万端の状態で就任できました」と語る菅谷社長。
 しかし、想定外だったのは新型コロナウイルスの蔓延だった。

 「会社を永続的に続けるためにも、コロナのせいで売り上げが下がっていては、父に心配をかけてしまうので、経営悪化で心配をかけないように気を付けて指揮をとっていきました」

 そんな菅谷社長のこだわりとして、お客様に”コト”を消費してもらうことをウリに、競合他社との差別化を図った。
 「うちはすべてお客様が体験、経験、実物を見て買い物が出来るように、ショールームの形で販売をしています。チラシやホームページに力を入れて、訪問販売等はやらないという方針で経営しています」

 現在はハウジング重兵衛を筆頭に、ぬりべえ、fun’s life homeといった専門店を作り、時代のニーズに応えつつ、社員のやりがいや地域活性化を促している。また、休日には社員と出かけるという菅谷社長。

 「弊社は一志団結と言う理念があります。現場は違っても全員が心一つにして頑張る。お客様により良いものを提供することを目標に仕事をすれば、結果は後から付いてくるはずなので。そういう部分でも社員との時間を大事にしています」

 住宅関係であれば、建物1棟建てるために、設計士や現場、そして関連会社と多くの人が関わってやっと完成する。心一つにして、ハウジング重兵衛の理念『一志団結』の精神を貫く菅谷社長だが、そういった考えが持てたのも、高校野球での経験が大きい。

 高校時代のチームメイトから「お前に我慢しているんだ」という一言を受けたとき。また、リバティホームでの仕事を通じて「お客様のために仕事をする」という精神を学んだ瞬間。そういったものの積み重ねによって、菅谷社長の現在があり、ハウジング重兵衛の成長にもつながっている。

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB) | 高校野球ドットコム

 社長としての3年間を経て、今改めて感じていることは、“社長が引っ張る”という姿勢だという。

 「会社はトップの人間で99%決まる!と言われています。だから学び続ける姿勢や明るく元気でいることが大切だと思っています。あとは家族を大事にできる人を増やしたいと思っていますので、そういうところも自分から実践していかないといけないと思っています」

 家族を大事にし、社員も大事にする菅谷社長。新入社員の面談でもこだわりがある。

 「新入社員は家族、チームメイトと同じだと考えています。そのため、会社説明会で私は1時間話をしますし、面接も私が一番初めにやります。そこで価値観や考えが一致しないと採用しません。ウチに向いていないと思ったら、素直に言って別のところを勧めます。それでもウチに来たい人は採用しますけどね」そういって、明るく笑った菅谷社長。

 実は菅谷社長は高校まで父親と一緒に風呂に入り、いろんな悩みを聞いてもらっていたそうだ。その中で、経営のノウハウを学んできたという。

 そんな菅谷社長に今回、高校球児たちへのメッセージをいただいた。

 「せっかくやるのであれば高い目標に向かってやり切ってほしいですね。僕の場合はプロ野球選手を目指して大学までやってダメだと思ったので、切り替えて仕事に就くことが出来ました。そうやってやり切れば、やり切ったことに自信をもつことも出来ると思います」

  高校野球を通じて学んだチーム意識、そして父から学び吸収していった経営ノウハウ。さらに社会人経験で培ったお客様のために、という想い。この3本の矢で、これからも会社を成長させ、人々に笑顔を届けるに違いない。

(取材:田中 裕毅

野球での完全燃焼を経て浮かんだのは父の顔。創業120年の家業を継ぐため“一志団結”で組織づくりに挑む 株式会社ハウジング重兵衛・菅谷重貴社長(佐原OB) | 高校野球ドットコム
このシリーズの他の社長のストーリーを読む!
【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

関連記事

応援メッセージを投稿

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

RANKING

人気記事

2024.04.16

【春季埼玉県大会】2回に一挙8得点!川口が浦和麗明をコールドで退けて県大会へ!

2024.04.16

【群馬】前橋が0封勝利、東農大二はコールド発進<春季大会>

2024.04.16

社会人野球に復帰した元巨人ドライチ・桜井俊貴「もう一度東京ドームのマウンドに立ちたい」

2024.04.16

【12球団4番打者成績一覧】開幕ダッシュに成功した4番はOPS1.1超のWBC戦士!

2024.04.16

城西国際大の新入生に大阪桐蔭、帝京、作新学院、神村学園ら強豪校の好選手が揃う!

2024.04.14

【全国各地区春季大会組み合わせ一覧】新戦力が台頭するチームはどこだ!? 新基準バットの及ぼす影響は?

2024.04.12

東大野球部の新入生に甲子園ベスト4左腕! 早実出身内野手は司法試験予備試験合格の秀才!

2024.04.12

【九州】エナジックは明豊と、春日は佐賀北と対戦<春季地区大会組み合わせ>

2024.04.11

【埼玉】所沢、熊谷商、草加西などが初戦を突破<春季県大会地区予選>

2024.04.11

【千葉】中央学院は成田と磯辺の勝者と対戦<春季県大会組み合わせ>

2024.04.09

【大学野球部24年度新入生一覧】甲子園のスター、ドラフト候補、プロを選ばなかった高校日本代表はどの大学に入った?

2024.04.05

早稲田大にU-18日本代表3名が加入! 仙台育英、日大三、山梨学院、早大学院の主力や元プロの子息も!

2024.04.14

【全国各地区春季大会組み合わせ一覧】新戦力が台頭するチームはどこだ!? 新基準バットの及ぼす影響は?

2024.04.02

【東京】日大三、堀越がコールド発進、駒大高はサヨナラ勝ち<春季都大会>

2024.03.23

【春季東京大会】予選突破48校が出そろう! 都大会初戦で國學院久我山と共栄学園など好カード