目次

[1]助っ人から始まった野球人生
[2]満身創痍でもたどり着いた4強
[3]大学3年から始まったトレーナーへの道
[4]野球を通してメンタルが強くなった

 若者たちに人気の町としても知られる三軒茶屋。キャロットタワーをはじめ、少し離れた場所には駒澤オリンピック公園などがあるが、そんな三軒茶屋のマンションの一室に会社を構えるのが株式会社J-LIFE CREATIONだ。

 扉を開けると、入り口からハワイを意識した温かみのある雰囲気が漂うが、そこで経営者と理学療法士と言う2つの顔を持つ人こそ今回の取材相手・福田 潤さんだ。爽やかなで柔らかい口調が印象的で、大らかな人柄が伝わってくる福田さんは高校時代、野球に情熱を注いできた経歴を持っている。では元高校球児・福田さんはいかにして今のポジションを確立したのか。そのエピソードをご紹介していきたい。

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助っ人から始まった野球人生


 当時は日本中がサッカーブームで、福田さん自身もそれに影響されて小学生の時は休み時間にサッカーするような子どもだったという。一方の野球は、父とキャッチボールをすることと、テレビ中継でジャイアンツの試合を見る程度。

 それでも、友人の誘いをきっかけに3年生の時に、野球チームに入った福田さんは、次第に野球の楽しさにのめりこんでいく。

 礼儀に対する厳しさもあれば、和気あいあいとする楽しさもある中で、当時は足の速さと体の大きさを活かしてバッティングで貢献するような選手に育っていった。

 中学校へ進学すると、部活動ではなく、硬式野球クラブチームの松本南リトルシニアへの入団を決意する。

 「硬式を打つ感触が好きだったんです」と、軟式野球は選ばず、練習会に参加したその日のうちに親に相談して入団を決意した。

 ただ入団すると、様々な壁に直面する。

 「怖い先輩が多く、上下関係には苦労しましたし、プレーでもスピード感が違いました」

 また、チームの練習は土日に加えて、平日水曜日の週3日と練習量が多かった。それでも、基礎的な練習のおかげで野球のプレーの土台を築くことが出来た。セカンドのレギュラーをつかんだ福田さんは、招待試合などではそこそこの戦績を収めるも肝心の大会ではチームとして、大きな戦績を残すことはできず。全国区の大会まで勝ち上がることが出来ないまま、中学時代は終わった。

 そんな福田さんが高校の進学先に選んだのが松本深志だった。

 「大学進学を考えて勉強をしっかりやっていこうと思い、松本深志高校への進学を決めました」

 その後、先輩の怪我もあり、入学して2週間で3年生のチームの試合に出場することとなる。練習試合でも結果を残すなど順風満帆なスタートを切った。

 しかし、そんな福田さんをケガが襲った。

 「頑張りすぎてしまって肩を痛めてしまったんです。でも、1年生で試合にも出させてもらっている立場で、『練習休みます』とは言えなかったので、我慢しながら練習を続けていました」

 痛みを我慢しつつ、周りに対して誤魔化しながら練習を続けていたが、次第に腕が上がらなくなった。そしてついには食事をするにも顔を近づけなければ食べられないほど、腕の状況は悪化してしまった。

 夏大会直前でベンチからも外され、初めての夏はスタンドで先輩たちを応援した。新チームから再びベンチ入りを目指すこととなったが、肩の痛みは引くことはなかった。

 「手術するほどではないと思っていたので、月に2回ほど痛み止めの注射をして、無理やりやっていました」

 ただ痛みには勝てず、パフォーマンスにも悪影響が出る時期もあった。