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熾烈な練習、寮生活、両親の死を乗り越え生まれたハングリー精神とフォローの準備  株式会社LIVNEX HOUSE・八島睦社長(北海道桜丘OB)

2021.02.02

 リモートワークへの対応やデュアルライフ(二拠点生活)、別荘など、多様化するライフスタイルに合わせ、環境も含めた住宅の提案を行っているのが株式会社LIVNEX HOUSEだ。リーズナブルな価格で人生で最も高い買い物と言われる住宅の購入ハードルを下げ、またデザイン性に優れたハイセンスな住宅にも人気が集まっているが、代表取締役として舵を取るのが就任2年目の八島睦社長だ。

 そんな八島社長が、現在の活躍の礎を築いたのは北海道桜丘野球部(旧北海道日大、現北海道栄)での3年間であると断言する。高校3年時には、1番・二塁手として春季北海道大会で優勝、夏の南北海道大会ではベスト4に大きく貢献した八島社長。高校野球から得たもの、そして現在の社長業への繋がりを伺った。

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【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった

生活の中に野球があるのが当たり前だった少年時代

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 北海道札幌市出身の八島社長が、野球へ興味を持ったのは父の存在が大きかった。
 「喋った記憶があまりない」と話すほど寡黙な父だったが、野球への情熱は人一倍強かった。朝野球のチームを4つ掛け持ちし、朝はほぼ毎日グラウンドに繰り出す。八島社長もよく父の野球についていったと言い、幼い頃から生活の中に当たり前のように野球があった。

 その後少年野球の監督を志した父は、脱サラしスポーツ用品店を開業。八島社長も小学校1年生から当然のようにチームに入団し、本格的に野球を始めた。
 「試合には4年生からしか出場できない決まりがあるのですが、私は4年生ということにして2年生から試合に出ていました。だから私は4年生を3回経験したんです。昔はその辺りも厳しくなかったのかもしれません」

 父の野球熱も相まって、どんどん野球にのめり込んでいった八島社長。練習から帰ってきても自宅裏の公園で黙々と壁当てを行い、また父とナイター中継を見ながらスコアをつけることも日課になった。
 「配球を見ながら、父と次は何を投げるか予想し合っていました。西本聖投手(元巨人など)だからここはシュートだろうとか、江川卓投手(元巨人)だがらここでストレートだろうとか。そういった環境が当たり前の小学校時代でしたね」

 中学進学時は当時、強豪中学からも声が掛かるほど実力をつけていたが、八島社長は地元の札幌市立幌東中学に進学する。学校は50人11クラスというマンモス校で、野球部も後に読売ジャイアンツに入団する大内貴志氏が在籍する実力校。八島さんも当然野球部に入部し上位進出を目指したが、意外な一面があった。

 「私の時代はスクールウォーズやビー・バップ・ハイスクールといった不良少年を描くドラマがありましたが、ドラマの中での出来事が普通に起こるような学校でした。学校のガラスは割れていて、廊下にはタバコの吸い殻が落ちていたり。ある意味ハングリーな環境ではありましたね」

 そんな環境に八島さん自身も馴染んでいき、必ずしも素行のいい中学生ではなかったという。やんちゃな中学時代を送ったが、それでも野球だけは一生懸命に取り組んでいた。

 入学時148センチだった身長は、3年生になる頃には176センチまで成長。内野手として守備力を持ち味としていた八島さんは、高校進学時には数校からスカウトも受けた。

[page_break:厳しい練習と上下関係。壮絶だった高校時代]

厳しい練習と上下関係。壮絶だった高校時代

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高校時代の八島さん(右)

 誘いを受けた中で、八島社長が選んだ高校が北海道桜丘だった。だが当時の北海道桜丘は厳しい練習と上下関係が有名な高校の一つで、進学を決めて入寮の意思を担任に伝えた際も担任の先生に驚かれたという。

 「実は中学3年の11月に母親が事故で亡くなりました。母親は生前に『北海道桜丘に野球で進学して欲しい』と周りに話していたそうで、その思いを叶えたいと『母親の遺言だから行きます』と先生に伝えました。それでも先生はお前本当に行くのかと止めてきたので、よっぽどだったのだと思います」

 実際、いざ入学するとその練習量と上下関係は想像していた以上だった。

 最初の練習では嘔吐するほど追い込まれ、寮生活も心が休まる時間はほとんど無い。1年生の時は上級生よりも早く寮を出て、授業が終わるといち早く寮に戻りグラウンド整備をして上級生を迎える。北海道桜丘は学校とグラウンドは丘の上にあり、麓から学校までは約2キロの登りとなっている。その登りを利用したランニングメニューやトレーニングは八島社長も「二度とやりたくない」と口にするほど。

 練習後も寮では「寝るまでマッサージ」と呼ばれる、練習で疲れた先輩の身体を隅々までマッサージしてその先輩が眠りにつくまで続けるという「仕事」があった。深夜までマッサージを続けることも多々あり、睡眠時間を削られる日々だった。鉄拳指導が許された時代背景も含め、高校野球では強いハングリー精神が培われたと振り返る。

 「一番は負けたくない気持ちがありました。私は1年夏からスコアラーでベンチに入り、2年生ではレギュラーになりましたが、試合に出場できなかった先輩は面白くないですよね。毎日焼きを入れてくる(鉄拳指導する)先輩もいて、野球だけでは負けないようにと思っていました」

 強烈な練習量と上下関係を乗り越えて、最上級生でもレギュラーとして活躍した八島社長。

 ちょうど同期には実力のある選手が集まっており、2年生からレギュラーだった選手が6人いるなど甲子園出場を期待されていた代だった。秋季北海道大会では惜しくも準決勝で敗れたが、春季北海道大会では見事優勝。夏の大会前のスポーツ紙の番付表では優勝候補筆頭の二重丸がついており、「夏こそは」と誰もが意気込んでいた。

 だが、結果的に再び準決勝ではね返されて甲子園出場はならなかった。主力選手が直前の怪我で出場できず、チームが機能しないままの敗戦となった。甲子園出場は叶わず引退となった八島社長は、不測の事態に備えて常にフォローする準備の大切さを学んだという。

 「高校時代、自分たちの代はいつも大事なところで主力選手が怪我で出場できなくなっていました。そうすると、誰かが代わりを務めるしかありません。代わりを務められるように、事前に準備をしておく必要がありました。そうしたフォローしていく気持ち。それは、野球から学んだことかもしれません」

[page_break:住宅メーカーに就職し高卒1年目から実績を積む]

住宅メーカーに就職し高卒1年目から実績を積む

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八島睦さん(北海道桜丘OB)

 引退後、野球は高校で辞めようと考えていた八島さん。「将来は大工になりたい」と考え、監督との進路面談でその思いを口にすると、紹介されたのが東日本ハウス(現日本ハウスホールディングス)という上場企業の住宅メーカーだった。八島さんは東日本ハウスへの就職を決めて、社会人としてのキャリアをスタートさせた。

 だが住宅メーカーといっても希望していた大工ではなく、配属されたのは営業職。一軒一軒ドアホンを押して、「住宅の購入をお考えではないですか」とお伺いして回る飛び込み営業がスタートで、また八島さん以外は大卒の社員がほとんどだった。

 会社からは、面談3000戸を回って1棟の受注が取れる統計があることを聞かされたが、八島さんは気が遠くなるどころか「一番に受注を取りたい」と逆に意気込んだという。

 周りの大卒社員が築30、40年の古い戸建ての団地を回る中で、八島さんは北海道庁や鉄道会社の社宅となっている団地に狙いを定めた。当時はエレベーターもなく、5階建ての団地を階段で上り下りすることもあり、周りの社員が避けていたところだった。

 それでも八島さんは地道に一軒一軒回り続けた結果、何と1700件を回った7月に初受注が取れた。その後も9月に1棟、12月には2棟と立て続けに受注し、上司にも認められるようになった八島さん。その後も業績を残し続け、29歳の時には札幌支店の実質のナンバー2、幹部候補生として将来を嘱望される存在となった。

 「始めは『飛び込みノート』という日報のようなものを日々書くのですが、他の大卒の社員たちは飛び込み営業をしてもいないのに、喫茶店で適当なことを書いていることを知りました。3000件を回って一棟受注できると言われていたのに、高卒の私が1700件で受注できたということは数をごまかす人間がたくさんいたということです。
 今思えば家を建てそうな人がいる所に、戦略的に足を運んでいたと思いますが、マイスター(指導員)の先輩もヒントをくれて、それを忠実に守っていただけでした」

 入社直後から実績を残し続けた八島さんだったが、期待の大きさを表わすようなエピソードがある。入社した年に、野球に打ち込むきっかけとなった父親が亡くなったのだ。当時は高校生と中学生の二人の妹がおり、若くして一家の大黒柱にならざるを得なくなったのだった。

 「当時の私の手取りは9万円で親戚の引き取り手も無く、妹二人を施設に預けるかという話しも出ました。親が亡くなって一番悲しいときに、兄弟と離れるなんて考えられないと思い、当時日当で8000円程がもらえる力仕事に転職しようと退職届を出しました」

 だが当時の上司は退職届を受け取らずに、八島さんを転勤者の扱いにして家賃全額補助とするよう特別な対応をしてくれたのだ。その時八島さんは、当時の専務に「うちの社長になるつもりでやりなさい」と声を掛けられ、会社からの手厚い待遇に応えなくてはいけないと、さらに実績を上げていった。

[page_break:野球を通してメンタルが強くなった]

野球を通してメンタルが強くなった

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八島さんと社員の皆さん

 その後、29歳で東日本ハウスを退職し、敏腕営業マンとして6社を渡り歩いた八島さん。その間には会社の再建や起業、倒産、時にはいわれのない疑いで提訴されることもあるなど、波瀾万丈の道を歩んだ。

 2018年にLIVNEXグループの傘下である株式会社LIVNEX HOUSEの代表取締役社長に就任し、経営者として新たなスタートを切ったが、今振り返ると高校野球での経験が現在に活きたことが多くあるという。

 「厳しかった高校3年間でついた忍耐力が、とても活かされているなと思います。ここまでの波瀾万丈の道も、自分の経営判断が間違っていたこともあるかもしれませんが、それに耐えられるメンタルはあの3年間で身についたと思います。野球から学んだというよりも、野球を通して強くなった感じです。仕事で失敗しても、死ぬほど殴られたりしないですから」

 また主力選手の怪我で甲子園に出場できなかった経験も、現在に大きく活かされている。不測の事態に備えて常にフォローする準備の大切さを学んだことで、経営者となった現在も常に万が一の事態に備えた準備を怠らない。誰かが欠けたとしてもフォロー準備をしておき、それがチームの底上げとして強化されていくのだ。

 「特に(営業の)チームを持った時は、私がいなくなっても売り上げが落ちることがないように私の分身を作ることを心掛けました。後輩に同行して『俺と同じことをやれば、俺と同じぐらい売れるんだ』ということを見せてあげるんです。言うだけではなくて、やって見せて『契約します』と言って頂くところまで見せないと理解できないので。私の部下は分身なので、喋り方まで似てくるんですよ」

 高校時代の経験を活かして社長として活躍する八島さん。最後に高校球児へのメッセージをお願いすると、2つのメッセージをいただいた。
 「1つ目は、今を大事にして欲しいということです。高校野球は十代の今しか出来ません。これから絶対できないことなので、今しか出来ないことをやり切って欲しいです。
 2つ目は、中途半端にならずとことんやり切ることを心掛けて欲しいです。就職のためにやっていたとかではなく、とことんやることが大事です。例えばレギュラーになれず補欠だったとしても、チームのためにサポート役を買って出たり。そういった人の方が入社後も間違いなく活躍できます。中途半端な人間は、何をやっても中途半端なので」

 壮絶な環境の中でも、それに耐え抜いて評価され、成長してきた八島社長ならではの言葉と言える。現在は、Webを起点とした営業スタッフを置かない販売手法や、広告宣伝は極力行わないなど、これまでの常識を覆す方向性を打ち出し、らつ腕を振るっている。

 ビジョンを語る八島さんの生き生きした表情に、確固たる自信が感じられた。

(取材:栗崎 祐太朗

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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