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経営者としての自分は野球で形作られている。高校野球もサイバーエージェント時代もチームの中でどう存在感を発揮するかが鍵でした 株式会社デジタルアイデンティティ・鈴木謙司社長(船橋東OB)

2020.09.08

 鮮やかな青色のシャツにグレーのジャケットと半ズボン。インタビュー中にも見せる笑顔も含めて、“爽やか”という言葉が似合う鈴木謙司社長。現在は、コンサルティング業務を主とした「株式会社デジタルアイデンティティ」を経営している。

 そんな鈴木さんは高校時代、戦国千葉の船橋東で3年間高校野球に打ち込んできた元高校球児だ。鈴木さんが野球に携わるきっかけをくれたのは6つ上の兄だった。

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 「僕は次男なんですが、地域に同級生がいなかったので、6つ上の兄や兄の友人とずっと野球をやっていたんです。ですので、物心ついたときには壁当てをやっていましたし、遊び相手がいなければ1人で1日中壁に向かって練習していました。また父が阪神、母がジャイアンツファンだったこともあり、プロ野球の中継は毎日みていましたね」

 小学校に入学すると、地域の野球チームに入部。
 しかし、キャッチボールする相手が当時は年上ばかりだったことで、一時はチームを離れたが、3年生になると再びチームに戻って野球に対して本格的に向き合うようになる。

 それから中学へ進んだ鈴木さん。
 「レベルの高い船橋市内でも優勝できる実力を持ったチームでしたが、監督がかなり怖い人でした」と当時を振り返る。

 練習の厳しさはもちろんのこと、常にみられている緊張感の中で毎日、練習に打ち込んだ。

 そんな環境の中で、鈴木さんは中学3年時には、主将となり、また4番・捕手で活躍。「主将にはなりましたが、ベンチにいることは嫌だったので、とにかく上手になって試合に出られるように練習しました。環境(役職)が人を育てるではないですが、主将になったことで、かなり成長できたと思います」

 その後、自宅から近い船橋東へ進学する鈴木さん。ここから高校野球の世界に飛び込んでいくことになるが、進学の決め手をこのように語る。

 「高校の監督が、中学時代の監督と知り合いだったこともあり、中学の監督に勧められたんです。実際、僕の中でも自分の実力からして強豪校でレギュラーになるのは難しいなと思って、選手として負け続けるのは嫌でしたし、やるなら勉強とバランスよく一生懸命取り組めて、なおかつ、甲子園に行ける可能性のある船橋東に進みました」

 想像通り練習はハードなものだったが、現在の鈴木さんの下支えとなるような「経営者としての考え」をここ船橋東で多く学ぶことができた。

 「練習量は多くて時間も長いので、きつかったです。実際に同級生20人のうち、半分くらいは吐いてしまって休んでしまうほど。とくに大変だったのはミーティングでした。
 練習時間と同じくらいやるのですが、そこでは『野球人である前に人であれ』といった道徳に近い話が多かったんです。その時は話が長いと感じることもありましたが、今は『ビジネスマンである前に人であれ』と思っているので、当時の学びが現在の土台になったと思います」

[page_break:船橋東で社会人としての基本が出来た]

船橋東で社会人としての基本が出来た

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船橋東時代の鈴木謙司さん

 そうした中で、鈴木さんは1年生の秋からベンチ入り、そして公式戦での出場機会も掴む。そこには鈴木さんの中にある作戦があった。

 「全体的におとなしい選手が多かったので、その中で自分の価値を一番発揮できるものは何なのか。これを常に考えると声を出してチームを盛り上げることだったので、とにかく声を出して存在感を示していました」

 その後、鈴木さんはチームの主将となり、新チームを牽引する立場へ。この時、監督から1つの決め事が伝えられる。それは部員を誰1人として辞めさせないことだ。
 「僕の中では練習についていけず、勉強に集中したければ辞めるのも仕方がないと思っていました。ですが、誰も辞めさせないということは監督の方針でしたので、当時はたくさん辞めたい選手がいましたが、声をかけていきました」

 試合に出られない、さらにベンチ入りも難しい選手にとっては続ける意味を見出すのは簡単ではない。しかし、鈴木さんは仲間たちの気持ちに寄り添う形で声をかけ続けて、監督との約束を守った。

 自身のプレーに関しては4番・捕手という小学校、中学校からずっと主力として活躍してきたプライドもあり、必死に練習をした。だが、新チームスタート時から、中々納得のいく結果が出ず、空回りする状態が続く。

 それでも、鈴木さんはできる努力を目一杯続けた。夜中に素振りをし終えた後、バットを抱えたまま寝落ちをしてしまうこともあった。ある時、鈴木さんは気付いた。

 「追い込むことに満足をしている自分がいたんです。やっていることだけに満足していて、本当に結果を残すための最適な練習ができていませんでした」

 そこから鈴木さんは取り組み方を変えた。ひたすらバットを振るのではなく、1回のスイングに対し、試合並みの緊張感をもって練習に取り組むようになる。すると次第に結果が出はじめ、4番・正捕手のポジションをつかみ取った。2年生の秋には県大会で、県ベスト16入りを果たすなど、着実にチームも強くなっていた。
 しかし、最後の夏は千葉大会3回戦で西武台千葉に敗れ敗退。人として、野球人としても成長ができた高校3年間だったが、鈴木さんは大学では野球を継続せず、野球からも離れた。

 高校野球では多くのことを学んだが、とりわけキャッチャーとしては人の良さを引き出すことの大切さを知ったという。
 「自分たちの代のエースは真面目で、静かな選手でした。自分とは真逆な寡黙なエースでしたが、彼がいなければ勝てないほど、持っている能力は高かったです。ただ自分の考えを押し通してしまって、エースの持っている力をすべて発揮しきれなかったんです。
 だからエースと話し合ったり、ブルペンでボールを受けて、本人が調子の良い時とそうでない時を言いやすいようにコミュニケーションの取り方を工夫したりしました」

 そういった部分は、経営者としての今にもつながっている。

[page_break:やりたいことを見つけたいから経営者へ]

やりたいことを見つけたいから経営者へ

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社員の方とコミュニケーションをとる鈴木謙司さん

 高校野球で完全燃焼し、もっと社会を知るべく、鈴木さんは大学では塾講師のアルバイトなど様々な経験をした。しかし、大学2年を終えるころ、鈴木さんは危機感に襲われる。

 「『燃えるような、人生をかけてやるようなことをしたい』と思ったんです。しかしやりたいことを見つけても経済的な自由、時間的な自由がなければ人生をかけることはできないことに気が付いたんです。
 だったら経営者として成功して、お金や時間の制限をなくせるようにすれば、やりたいことは見つけられると思ったんです。これが経営者を目指す始まりとなりました」

 しかし、経営者とはどんな仕事なのか。具体的なイメージが沸かなかった鈴木さんは「社長を知ることが出来る仕事をやろう」と考えて、就職活動をスタート。

 ITに強いプログラミング関係のコンサルティング会社に入社を決めるが、鈴木さんは文系出身。プログラミングはもちろん、パソコンも苦手だったため困惑した。

 「1年間やって技術は身つきましたが、研修の時は何ひとつわからず焦りました。周りの人は普通にできていたので、エンジニアとして配属されるまでは隣の人を説得して手伝ってもらいました」

 船橋東時代、主将として辞めかけていた選手を説得した時のコミュニケーション能力を活かして何とか仕事を覚えた鈴木さん。エンジニアとして実力を付けて仕事も1人できちんとできるようになったが、入社当初の目的だった経営者という職業の全貌はわからなかった。

 「社長と仕事が出来ると思ったのですが、仕事をする機会がなかったんです。だから『間違えた』と思いましたね」

 25歳の時に転職先を探し始めた鈴木さんは、ここで転機を迎えた。株式会社サイバーエージェントに入社することになり、社長である藤田晋氏と一緒に仕事をする機会が訪れたのだ。

 「ラッキーでした」
 サイバーエージェント時代は、入社半年で新人賞をもらうなど、鈴木さんは数多くの実績を残した。ここまで活躍できた要因として鈴木さんはこう語る。
 「バードビューですね。優秀な営業マンはたくさんいましたので、その中で自分がどうやって存在感を出すのか。全体を見渡して見つけたのが、前職で培ったIT系に強い営業だったんです。それで結果を残せたので作戦勝ちです」

 もちろん、ここにも船橋東時代の取り組みが役立っている。
 高校時代もベンチ入りをするために、とにかくチームを盛り上げていた鈴木さん。その時に培った考え方、そしてキャッチャーとして全体を見渡す習慣のおかげでサイバーエージェントでも存在感を発揮することができたのだった。

[page_break:3年間の経験を1つも無駄にせずに今へ]

3年間の経験を1つも無駄にせずに今へ

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鈴木謙司さん

 サイバーエージェントでは、充実した7年半を過ごしたのち、鈴木さんは大学時代の友人に声を掛けられて、現在のデジタルアイデンティティの経営者となった。1からのスタートとなり、鈴木さんは大きな壁にぶつかった。

 「営業に行ってビルの最上階から1階までひたすら営業に行ったんです。そうしたら1件も取れなかった。前職では事業責任者もやっていて少し天狗になっていた僕が、『サイバーエージェントの看板を失っただけでこんなに取れないのか』と打ちのめされましたね」

 自分に期待をして、給料も払ってくれているのに結果を出せない。そこに鈴木さんは危機感を募らせていた。では、この状況をいかにして打開したのか。その答えも高校野球と通ずる部分があった。

 「結果から考えないといけなかったんです。どうやったら発注してもらえるのか。今までの提案内容を見直してみました。そうしたら少しずつ発注してもらえるようになりまして、結果も残るようになりました」

 今までは何でもできる、オールラウンドに仕事が出来るスタイルだったが、そこから1つの分野に特化するようにシフトチェンジした鈴木さん。それが結果としてある分野を求めていた一定数のクライアントのニーズに応え続けることに繋がり、会社を軌道に乗せていった。

 これはまるで、鈴木さんの高校時代の新チーム発足時のスランプの時期と重なる。やみくもに素振りをするのではなく、1回のスイングに緊張感を持たせ、量から質を重視するスタイルに変えた時のように。鈴木さん自身のなかに、野球の経験と価値観が根付いているのだ。

 こうして現在はデジタルマーケティング事業を中心に展開するコンサルティング会社の経営者として、東京証券取引所市場第一部に上場する企業にまで成長した。

 そんな鈴木さんは経営者という立場をどう捉えているのか?
 「会社の経営は芸術作品に近いと思っています。良くしようと思えばどこまでもできます。今でも、毎日違う問題にぶつかって挑戦しています。トライする日々は新鮮です。多分、今は仕事に没頭している状態だと思います」

 その一方で経営者という職業の難しさも当然感じ取っている。
 「働く意味や価値は人それぞれ違います。ですが、社員全員を1つの方向に向けないといけないので、そこが難しいです。しかしその辺りは、船橋東時代に部員をやめさせないように説得したことと似ているなと感じます」

 船橋東時代で培った3年間の経験を1つも無駄にせずに、今へ還元している鈴木さん。そんな鈴木さんに当時の自分にアドバイスをするとしたらと聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「高校野球の最高峰は甲子園ですが、そのレベルを知っておくことは大事だったかなと思います。目標を知らずにやみくもにやっても、目標にはたどり着けないと思うんです。だから目指すべきところはどんな場所なのか。そこを具体的に知ることが出来れば、今の実力とのギャップもわかると思うので、知ることが大事だと思います」

 最後に将来、経営者を目指している高校球児に向けてメッセージをいただいた。
 「本当にやり切ったと心から思えることが、自信に繋がっていくと思います。社会人になってもやり切る。グリット力とも言いますがそれを持っている人たちが社会で成功するんです。だから練習や試合を限界までやれば経験値が増え、自分の限界がどこなのかの基準ができるのでその後に繋がっていくと思います」

 4番・キャッチャーで主将という責務を背負い続け、プレッシャーから逃げずに挑戦してきた野球人生だったからこそ、鈴木さんは経営者となった現在、結果を残し続けることができている。生粋の野球人である鈴木社長は、これからも野球で培った経験と価値観を武器に、経営者として成功し続けていくだろう。

(取材/田中 裕毅)

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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