目次

[1]優勝旗返還で甲子園の土を踏み、KKコンビとも記念撮影
[2]仕事にも活きた、相手の気持ちを考えること
[3]手を抜かずに色んな経験をして自信をつけてほしい

 家業である印刷会社を土台に、書籍の企画・プロデュースや物流、出版とグループ企業を次々と増やしていき、ワンストップでの出版サービスを展開しているのが新灯印刷株式会社の後尾和男社長だ。
 40歳の時に3代目として代表取締役を引き継いだ後尾社長は、製造原価が下がり続ける業界の現状に危機を感じ、自社で出版物を作り流通、販売までを行う仕組みを考案。現在では「出版」をトータルでサポートできるグループ企業を確立した。

 そんな後尾社長は、現在の活躍は高校野球の経験が大きな土台になっていると断言する。
 東京都の強豪・岩倉高校野球部出身の後尾社長は、第56回選抜高校野球大会の初出場初優勝にも立ち会うなど、怒涛の高校野球生活を過ごした。
 今回は高校時代を振り返っていただき、「現在の仕事にも繋がっている」と語る背景を見ていく。

優勝旗返還で甲子園の土を踏み、KKコンビとも記念撮影


 後尾社長が野球を始めたのは小学校3年生からだ。
 野球をやっていた友人の影響で少年野球チームに入団し、中学校では東京都大会への出場が常連だった練馬区の旭丘中学校野球部へ入部。遊撃手として活躍し、都内の強豪校である岩倉へ進学した。

 「実は岩倉に進学したのは、一般受験で(志望校に)落ちてしまったからなんです。岩倉は滑り止めで受けていて、しょうがなく行ったという感じでした」

 志望校ではなかったとは言え、野球に対しては情熱を燃やしていた後尾社長。甲子園出場の目標をもって、強豪である岩倉高校野球部へ入部したが、そこでは想像を超える厳しい練習が待っていた。

 「当時の練習はグランド50周を走るところから始まり、水を飲むことも許されない時代でした。僕が3年生になった時は3学年合わせると300人くらい部員がいて、練習についていけない部員もたくさんいましたね。上下関係もとても厳しかったと思います」



優勝旗の返還で甲子園に立った高校時代の後尾社長(一番左) 清原和博(一番右)をはじめPL学園の選手たちと記念撮影

 そんな厳しい環境の中で高校野球に打ち込んでいた後尾社長だが、その中でも大きく印象に残っている出来事が2つあると話す。

 まず一つ目は、選抜甲子園大会の優勝旗を返還にいったことだ。
 2年生の夏まではベンチに入ることも出来ず、2年生の春にチームが甲子園で初出場初優勝を飾った際もスタンドで応援団を務めていた。だが地道な努力と責任感の強さを買われ、2年夏からの新チームではキャプテンを任されたのだ。
 そして高校3年生の春、第56回選抜高校野球大会の開会式で後尾社長は優勝旗の返還で甲子園の土を踏んだ。

 「前年度優勝校の校旗をバックスクリーンの上に掲揚する時があるんですが、後ろを振り返った時のスタンドに観客がいる感じがすごいんですよ。あの景色は二度と経験できないし、すごい経験だったなと思います。
 しかも前年度の準優勝校が PL学園で、同世代には清原和博と桑田真澄がいました。待ち時間に、使い捨てカメラで彼らと写真を撮ったのも良い思い出ですね」

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