第6回 主力選手として活躍できたのは、裏方として支えてくれたメンバーのおかげ。経営者としても縁の下の力持ちを大切にしたい。 株式会社ブライド・トゥー・ビー・伊藤誠英社長(南山OB)2020年06月15日

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【目次】
[1]公式戦に出場するチャンスを多くもらえた高校3年間
[2]無意識のうちに基本を大事にできる姿勢が高校野球で培われた
[3]縁の下の力持ちの仕事をしている人をしっかり見られるように

 昨秋の明治神宮大会で優勝した中京大中京を筆頭に、様々な学校がひしめく全国屈指の激戦区・愛知県。その中京大中京と同じ愛知県で、最寄り駅も同じなのが南山高校。南山大学の付属校ではあるが、国公立にも多くの生徒を輩出する進学校である南山高校。

 その南山高校出身で、現在は株式会社ブライド・トゥー・ビーで代表取締役を務めているのが、今回のインタビューの相手・伊藤誠英社長だ。会社のトップに立つ伊藤さんにとって、南山高校での高校野球3年間は何をもたらしたのだろうか。

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【一覧】人生で大切なことは高校野球から教わった

公式戦に出場するチャンスを多くもらえた高校3年間



握手をする伊藤誠英社長

 父の影響で物心ついた時から野球を始めていた伊藤さん。父は中京高校(現・中京大中京)に特待生で入学するほどの実力を持っており英才教育といったところだが、中学受験で南山中学へ進学する。

 「地元の中学に野球部がなくて、当時はシニアリーグやクラブチームが盛んではなかったので、父から『中学でも野球をするには勉強するしかない』と言われたことが理由で南山中学に進学しました」

 その後、南山中学に進んだ伊藤さんは軟式野球で中学3年間を過ごし、本格的に硬式野球を始めたのは高校に進学してから。中高一貫校のおかげで早い段階からボールへの対応はできた伊藤さんだったが、「非効率な練習が多かった気がする」と当時を振り返った。

 「当時は練習中に水を飲むことが出来なかったですし、今にして思えば練習内容に対して、時間が長かったと思います。水分を取れない分、意識ももうろうとしている中でノックを受ける感じでしたから」

 当時、投手をされていた伊藤さんだったが、南山は人数が少ないチームだったこともあり、複数ポジションを守ることは当たり前の環境だった。
 「僕の代が7人くらいで、それが3学年あるようなチームで、公式戦ではセカンド以外のポジションに就きましたね。練習試合でダブルヘッダーの日には、1試合目の終盤に登板して、2試合目は先発みたいなこともありました」

 人数が少ないことも功を奏して、1年生の4月からレギュラーで試合に出続けた伊藤さん。様々なポジションを経験したことを「恵まれていた」と振り返りつつも、1年生の秋のリーグ戦の話を1つ持ち出した。

 「その時はけが人がいて11、12人くらいしかまともにプレーできないチーム状況だったのですが、試合の前日に転んで右足の親指の爪をはがしてしまって。しかしチームがそういった状況だったので、痛み止めを打って試合に出ましたね。
 その試合は足を引きずりながらプレーしていたんですが、相手の中京大中京の大藤敏行監督が、『もうやめておけ、お前』と声をかけてもらったんです。それくらい痛いのを我慢しながら試合をやったのでよく覚えています」

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