目次

【目次】
[1]1.聖地・神宮第二球場とのお別れ
[2]2.平成生まれの監督、初の甲子園出場/3.関東一、国体初優勝

1.聖地・神宮第二球場とのお別れ


 一塁側にはゴルフ練習場があり、高いネットに囲まれた不思議な空間。外野フライが本塁打になるような狭さ。人工芝は滑りやすく、しかも劣化してかなりはげている。
 それでも1961年に完成して以来、東京の高校野球の主要舞台として、多くの高校野球ファンに愛されてきた神宮第二球場が、秋季都大会の準々決勝を最後に、野球場としての役割を終えることになった。

 最後の試合の日となった11月3日には、早朝から多くのファンが押し寄せ、札止めとなる入場制限がなされた。
 最後の試合となったのは、前田三夫監督率いる帝京と、小倉全由監督率いる日大三の一戦。この球場で幾多の戦いを繰り広げてきた名将同士の一戦は、白熱の好ゲームになった。

 試合後、両ベテラン監督は、感慨深げに握手。この球場に対する熱い思いが伝わってきた。

 この球場の魅力の一つは、観客とグラウンドの近さからくる一体感だ。それに神宮球場の隣にあるというロケーションも大きい。神宮球場と神宮第二球場を掛け持ちする野球ファンやスカウト、記者も少なからずいた。

 この球場は、近年は東京の高校野球しか使っていなかったが、かつて東都大学野球の二部や、明治神宮野球大会でも高校の部を中心に使われ、東京の高校球児だけでなく、星稜高校時代の松井 秀喜横浜高校時代の松坂 大輔もこの球場でプレーしたことがある。

 彼らの名前が掲げられたこともある手書きのスコアボードも、今となっては骨董品だ。

 この球場が誕生したのは、1964年の東京五輪に向けて、神宮外苑に変化が訪れた時期であった。
 そして来年の東京五輪の後に撤去され、秩父宮ラグビー場が移転することになっている。

 神宮第二球場が使えなくなる一方で、収容1300人ほどの規模であった都営駒沢球場は、大規模なリニューアル工事を行い、3000人規模の球場になった。さっそくこの秋の大会から使用されたが、来年はフルに活用される見込みだ。