野球の未来が変わる。地方から変える 長野県野球協会の先駆的な取り組みとは?
長野県野球協会専務理事・小林善一さん
「野球組織一体化」という先駆的な取り組みとして注目を集めているのが、今年4月に設立された「長野県野球協会」だ。
協会の加盟団体には、学童をはじめ中学(軟式硬式)・高校(軟式硬式)・女子野球・大学・プロなど県内15の団体が加盟し、未来の子どもたちのためにタッグを組み、野球普及に向けて地域全体で動き出し始めた。
協会設立までの立役者となったのが、小林善一さんだ。これまでに県内3校の高校野球部監督を務め、その後、長野県高等学校野球連盟会長にも就任。「長野県の野球を元気にしたい」という思い一つで、長年の構想の具現化に奔走した。
小林さんの信念を支えたU18ワールドカップでの光景
2015年に大阪・兵庫で開催された第27回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ
忘れられない風景があった。
2015年に大阪・兵庫で行われた第27回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ。この時の侍ジャパンU18メンバーには、当時1年生で注目されていた清宮 幸太郎(早稲田実業出身)のほか、平沢 大河(仙台育英出身)、勝俣 翔貴(東海大菅生出身)、オコエ 瑠偉(関東一出身)など錚々たるメンバーがいた。
この大会で、小林さんは大会運営に携わっていたが、球場前でチケット切りをしていると、驚くべき光景を目にした。
「長野県ではとても考えられなかったです。アマチュア野球の試合で、ナイターゲームでもあるのに、地元に住んでいる家族がたくさん球場にやってくるんです。小さな子どもを背負ったお母さんたちも多く見かけました。『これが、本来の野球なんだ』と衝撃を受けました」
それと同時に小林さんの中で、強い気持ちも芽生えた。
「長野県内にも、新しい野球の風を吹かせたい。もっと県内の野球を元気にして、地元の人たちにも球場に足を運んでもらい、楽しんでもらえるようなスポーツにしたいと思いました」
そのためには、県内のアマチュア野球の団体も、プロの県民球団も一体となった組織が必要だと考えた。
しかし、当時はまだプロ・アマの壁は高く、すぐにプロ球団の信濃グランセローズを加えて動くということはできなかった。そこで、まずは小学生と中学生に向けた底辺拡大事業に着手した。
2014年1月に、長野県体育協会(現・長野県スポーツ協会)に各団体に声を掛けてもらい、初めて中学や高校の県内の野球団体が一堂に会した「長野県野球関係団体懇談会」を開催した。参加者のほぼ全員が「初めまして」と名刺交換をする状況で、県内とはいえ野球界の横の繋がりの薄さを目の当たりにした。しかし、これが後の長野県野球協会設立に向けた大きな一歩となる。
その2年後、2016年4月に「長野県青少年野球協議会」を設立。
この時期から中高生の野球人口の急激な減少が浮き彫りとなってきた。小林さんをはじめ県内の野球関係者たちが危機感を抱き、青少年野球協議会の設立に至った。
小中高の子どもたちが加入する団体・連盟が参加し、情報交換や意見交換を行う場を設けたり、また各地区でも協議会を設立し、地域ごとに競技人口拡大のためのイベントを開催するなど、長野県各地でその取り組みが広まっていった。
各地区で革新的な取り組みが次々展開
長野県内各地区で広がる子どもに向けた野球教室
長野県青少年野球競技会発足初年度、県内の小中高の指導者ら600人が参加した「長野県ベースボールサミット」を初めて開催。
また、この年にスタートした「北信野球の日」(※1)は、毎年1000~2000人の保育園生・幼稚園生・小学生たちが球場に集まる大イベントとなった。
(※1 北信地区は長野市を含む14市町村からなる)
このイベントでは、北信地区の中学・高校球児たちが案内役となり、小さな子どもたちに野球の楽しさを伝えたり、地元の社会人チームや信濃グランセローズの選手たちによる教室も開催されるなど、毎年大きな賑わいをみせている。
さらに、長野県の中信地区にある松本市でも「遊ボール松本」プロジェクトが始まった。松本市内にある松本大学や各高校の選手たちが一体となって、市内の保育園や幼稚園に出向き、投げる打つなど小さな子でも楽しめるようなゲームを通じて、野球の楽しさを伝えている。
また、それ以外にも、東信地区(上田・小諸・佐久など)や南信地区(諏訪・伊那・飯田など)でも、各地の協議会が子どもに向けた野球教室の開催を積極的に行い、県内で底辺拡大に向けた動きが徐々に定着していった。
「長野県青少年野球協議会の発足から6年経って、北信・中信・東信・南信の各地区が、それぞれの地域の特色を生かして取り組んでいくようになりました。長野県は広いので、連盟側が決めて動くよりも、地域ごとに地域の実態に即して各地で動く組織でないと意味がないんですよね。もっと高校野球の監督さんたちの力を借りることが大事だと思いました。監督さんたちは行動力もアイディアもある人が多いし、ネットワークもあるので、まずは監督さん同士で協力して動き出すこと。そこに中体連の方たちともタッグを組んでもらい、色んな活動を促進していく。各地区の特色を生かして取り組んできたことが、今回長野県野球協会を設立する上での基盤となったと思います」
そう語る小林さんのことを同協会広報委員長の山田雄一さんは、「小林さんはまさに総合プロデューサー的な存在です。人と人をつなぎながら、県内の野球界全体の力を総結集させる役割を果たしてくださいました」と話す。
子どもたちのために新たな野球界を
長野県知事杯争奪プロ・アマドリームトーナメント記者会見の様子(提供:長野県野球協会)
今回、小林さんが2022年4月に、長野県野球協会の設立を決めた理由は大きく2つある。
「1つは、2023年から中学の部活動が社会体育に移行するといわれています。その場合、影響を一番に受けるのが子どもたちです。そのためにも、地域で野球が続けられる受け皿を作り、地域全体で子供たちを支えていきたいと思ったからです。また、協会を設立する上で、一番大事にしたいのは“競技力向上”よりも、“未来ある子どもたちのために”ということだと話してきました。子どもたちのことを第一に考えて、新しい野球を作っていきたい。子どもたちが『野球をやってて良かったな』『野球をやってて楽しかったな』という野球を長野県で作り上げていきたいと思っています」
そのためには、子どもたちを指導する指導者側の知識や心構えも大事になってくる。
そういった点においても県内の野球組織を一つにすることで、学童のチームや指導者の情報を把握したり、公認野球指導者U-12のライセンス取得を広めるなど、子どもたちが野球を続けやすい環境を整えることができると考えた。
また2つ目の理由に、2016年に発足した日本野球協議会によって、プロアマの垣根が以前よりも低くなったことも関係している。
「青少年野球協議会を立ち上げた時から、プロ球団も含めてみんなで長野県の新しい野球を作っていきたいという思いがありました。信濃グランセローズさんは、これまでにも地域の子どもたちのために野球教室を開催したり、地域との関わりの大きい球団でした。そんな中で、球団会長の飯島泰臣さんも、子どもたちのためにという思いに共感してくださり、長野県野球協会設立に向けて一緒に歩むことができたというのも大きかったです」
飯島さんは、地元・松商学園出身でその後、明治大野球部でもキャプテンを務めた経歴を持つ。現在は飯島建設株式会社の代表取締役であり、信濃グランセローズの取締役会長。また、長野県野球協会の副会長も担っている。
飯島さんは協会設立について、このように語ってくれた。
「私たちが所属するルートインBCリーグ憲章の『地域の子どもたちを地域とともに育てる』という思いに則し、長野県にある唯一のプロ野球球団として、県内の様々な野球団体と手を取り合いながら、信濃グランセローズが最優先で取り組むべきこととして賛同しました。また、私の明治大の先輩でもある星野仙一さんが生前に、野球界が一つになることの大切さを普段の会話で何度も何度も話してくれました。それを具現化する第一歩と捉え、強くコミットして行こうと考えています」
3月19日・20日に協会設立記念イベント「第1回長野県知事杯争奪プロ・アマドリームトーナメント」を開催
そうして、長野県野球協会に、学童・中学・高校・女子野球・大学・社会人に加えて、プロ球団も加わり、4月1日についに長野県野球協会が設立。
3月19日・20日には、協会設立記念イベントとして、「第1回長野県知事杯争奪プロ・アマドリームトーナメント」を開催。
さらに、6月16日にも「第1回高校生対大学生交流試合」を松本市野球場で開催した。
この試合では、昨秋の長野県大会で優勝した松商学園と、関甲新学生野球連盟1部の松本大が対戦し、松商学園が6対3で勝利した。
長野県野球協会は、これからも選手たちの未来を考え、野球界に新たな風を吹かせるために、様々な取り組みを行っていく。
小林さんが大阪の地で見た、地方の球場に家族連れで気軽に野球を楽しみにくるような、そんな長野県の野球界の未来がきっと待っている。
(取材・文=安田 未由)
◆長野県野球協会公式サイト
https://www.baseballnagano.jp/