第10回 沖縄で着実に受け継がれる甲子園のDNA2019年12月16日
[2]新設の21世紀枠で宜野座旋風
1999年、選抜高等学校野球大会で沖縄尚学高校が初優勝。その後、2008年に沖縄尚学高校が二度目のV。その僅か2年後の2010年、興南高校が史上6校目となる甲子園春夏連覇を達成。「沖縄の高校は強い」と、全国に知らしめた。
改めて沖縄の高校野球が、どのように強さを増していったのか。県民悲願だった甲子園での優勝。
一方で2015年以降、甲子園で勝てなくなった理由など。高校の先生たちの意見も載せつつ、沖縄県高校野球史を振り返ってみたいと思う。
今回は沖縄水産の逆襲などについて紹介していく。
これまでの連載
◆野球後進県だった沖縄はいかにして強豪県に成長したのか?
◆「沖縄強し」を印象づけた語り継がれるベストゲーム
先駆者の意地!最強メンバーで九州大会初の連覇

沖縄水産 ※写真はイメージ
一方、県内では「打倒栽監督」を目指す機運が高まり、二人の名将が生まれる。まずは1993年、浦添商高校を初めて甲子園に出場させた盛根一美監督。そしてもう一人が那覇商業高校の神山昂監督(現KBC学園未来高校沖縄監督)。
だが、人一倍負けず嫌いの栽監督が、このまま黙っているわけは無かった。
新垣渚(ダイエー)、宮里康の二枚看板をはじめ、稲嶺誉(ダイエー)。そして大野倫同等かそれ以上の強打者大城直也ら「歴代最強メンバーが揃った」と言わしめた1997年の秋。県大会を圧倒的な強さで制した沖縄水産高校は、九州地区高校野球大会も制覇(翌年の春と合わせ県勢初となる九州大会の連覇を果たした)。
明治神宮大会では初戦8-3で仙台育英高校を撃破すると、準決勝の敦賀気比高校には14-3と大勝。県勢初の決勝に進むと、あの松坂 大輔擁する横浜高校と対戦。
7回までゼロに抑えられていたが、8回に松坂から3点を奪い準優勝。甲子園で悲願の優勝を遂げるのはこのメンバー。誰もがそう思っていたが、現実は厳しく、聖地では思うような成績を残せなかった。
初の甲子園制覇!沖縄尚学と金城孝夫監督
1998年の秋、沖縄尚学高校が躍進する。比嘉寿光(広島)、荷川取秀明(松山聖陵監督)らを擁し県を制すると九州でも勝ち進み選抜高等学校野球大会の切符を手に入れる。
初戦の比叡山高校戦を1-0の接戦でものにした沖縄尚学高校は、浜田高校、市川高校を撃破し勝ち進む。迎えた準決勝の相手は高校野球大横綱、大阪のPL学園。過去の沖縄球児たちに見えていた名前負けも、もう過去のものだった。
左腕比嘉公也(現沖縄尚学高校監督)が延長を投げ抜く。追い付いてくるPL打線だったが、味方も譲らない。最後は比嘉公也自身のバットからタイムリーが飛び出す。これを比嘉公也が守り抜き延長12回の勝利。決勝の水戸商業高校戦では、右腕照屋正悟を立てた金城孝夫監督。そして遂に、県民悲願の甲子園優勝が成し遂げられた。
20世紀が終わりを迎えるこのときに、「沖縄強し」の思いが本当の意味で広がっていったのだと思う。

- 當山 雅通
- 生年月日:1972/01/04
- 出身地:沖縄県金武町生まれ。現在は沖縄市在住。
- ■ 野球はもちろんだが、一番好きなのは球児たち。純粋で真っ直ぐな野球小僧を見ると自分のことのように嬉しくなる。
- ■ 学生時代は、野球、サッカー、バドミントン、駅伝など多くのスポーツを経験。現在は、合計4チームの学童軟式野球チーム(主に4年生以下の低学年専属)を見てきており、やっぱり自分は野球が好きなんだなと実感。現在はオファーがなくコーチ業も休業中(笑)。だが10月に3歳になる三男坊が野球を始めたら、また復活する野望を隠し持っている(笑)夢は三男坊が甲子園へ連れて行ってくれることだが、まずは野球へ興味を持つようにしむけるようにと、現在悪戦苦闘中である(笑)
- ■ 2012年より、高校野球ドットコムにて沖縄中心に情報配信
- ■ 沖縄県の野球と題したブログCBスタジアムを運営
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