東浜巨、島袋洋奨、宮城大弥など大人も憧れるヒーローが続々と生まれる沖縄
2017年、東浜巨(沖縄尚学-亜細亜大-ソフトバンク)が16勝を挙げ最多勝に輝いた。そして翌2018年、山川穂高(中部商-富士大-西武)が本塁打王、多和田真三郎(中部商-富士大-西武)が最多勝に輝き、沖縄出身選手がプロ野球界を席捲している。
この小さな島国から何故、プロの世界で活躍出来る選手が生まれるのだろうか。色々な視点からひも解いてみようと思う。
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学童軟式野球界から中学の硬式・軟式野球へ
上原忠監督
学童軟式野球界の頂点を決める大会は、全日本学童軟式野球大会マクドナルドトーナメント。その大きな舞台で2001年、八島マリンズが見事優勝を飾った。神森ロイヤルズに次ぐ二度目の全国制覇だった。
その八島マリンズからポニーリーグを経て、八重山商工から春夏甲子園出場を果たしたのが大嶺裕太ら。俺たちも続こう。学童軟式野球界が熱くなっていった。だが九州やその他の大会では優勝するものの、どうしても全日本では勝ちあがれずにいた。
それが昨年、根差部ベースナイン(豊見城)が決勝へ進出。6年生わずか2名という編成で堂々の全国準優勝を成し遂げ、今年、スポーツ少年団全国大会では八重山の真喜良サンウェーブ野球部が準優勝。野球人口の減少は沖縄でも顕著に現れているが、それでも野球好きのDNAを持つ多くの親子によって学童軟式野球界はまだまだ元気だ。
中学に進むにあたって初めて道が分かれる。ボーイズリーグやポニーリーグなどの硬式と、中学校単位の軟式野球部だ。軟式は中学校単位で出場する「全国」と言われる全国中学校体育大会と、クラブチームの出場を認める「全日本」と呼ばれる全日本少年軟式野球大会が球児たちの夢となる。
硬式の筆頭はやはり全日本中学野球選手権大会通称「ジャイアンツカップ」。沖縄にはないリトルリーグやボーイズリーグ、ポニーリーグヤングリーグなど団体の枠を超えた真の日本一を決める大会だ。ここでもその夢を目指して硬式チーム入りする小学生もいるが、どちらの球児たちもここでは通過点となる。やはり目標は高校野球で甲子園出場。そのために親も努力を惜しまない。
中学の軟式野球で監督を務め、その後高校野球に転身した奥濱正先生(宜野座を率いて2001年春の選抜大会ベスト4)や、上原忠先生(糸満を率いて2014年九州地区高校野球大会準優勝)らを輩出。現在も、第32回全日本少年野球大会で豊見城中学を全国制覇へと導いた石川先生(現東風平中学監督)など有望な指導者が多い。
その一方で、硬式では大野倫(元巨人、ダイエー)親富祖弘也(元西武)、比嘉良智(元ロッテ)などプロの世界を経験してきた人が監督を務めるなど、硬式軟式どちらも魅力があるのが沖縄の野球だ。
東浜巨、島袋洋奨、宮城大弥と子供も大人も憧れる高校球児
高校時代の島袋洋奨
そして21世紀の高校野球へと向かう。宜野座高校のベスト4を経て2008年、沖縄尚学が東浜巨を擁して2度目の選抜大会を制覇。その夏は、沖縄尚学を決勝で下した浦添商が夏の甲子園でベスト4入りするなど再び野球熱が高まり始めた。
こうなるとどうしても欲しいのが夏の頂点。それを実現したのが興南だ。島袋洋奨を擁し春の選抜で県勢3度目の優勝を飾るとそのまま夏の甲子園でも優勝。史上6校目の春夏連覇を達成する偉業を達成した。
自身が1968年ベスト4のときの主将である我喜屋優監督と、選手・監督として甲子園で優勝した比嘉公也監督(史上14人目)が、興南と沖縄尚学の監督として私学2強を形成しているのも、沖縄の子供たちの心をくすぐる。
「俺は興南に行く」「俺は沖縄尚学でやる」と、中学の有望選手が集まることでこの2校の対戦はスタンドがぎっしりと埋まる。それ以外では一番深い伝統を持つ首里や那覇、普天間、沖縄水産、浦添商、中部商などもOBがスタンドで声援を送り、高校野球を盛り上げている。さらに、東浜巨、島袋洋奨、そして今年U-18でその雄姿を県民に見せつけた宮城大弥などなど。子供たちのみならず、我々大人も夢中になってしまうヒーローが生まれるのも沖縄の高校野球の特徴だ。
(取材・當山 雅通)
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